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見上げた空のパラドックス
0.05 ーside Seiyaー

 片山を生かすべく施設を整えるのに、私はまず近場の町で捕らえた異能者を引き連れて延々と荒野を南に下り、彼らを売りに出した。今や世界経済は異能者売買がなくては成り立たないだろう、それほどの大きな市場だ。かつて東京と呼ばれた街は今はほぼ全域が市場として売買の拠点とされる。私もその存在を知ってはいても出向くのははじめてで、狙われやしないかとひやひやしたものだ。
 その都市は見たこともないほど大きくこぎれいだった。なんと言っても瓦礫がないのだ。ひたすら所狭しとビルが立ち並び、細くいりくんだ道路は舗装され、どこも電気が通って光っている。夜に星が見えないほど街全体が明るい。私は片山を乗せた車を走らせながらいつまでも唖然としていた。市場は、寂れた様子の一切ない代わりに、物々しく騒々しい。
 異能者売買はオークション形式が普通らしい。私は、三次元の迷路のような街を駆け回って買い手を確保し、高く買ってくれるという他国の見知らぬ男と取引をした。
 そして、逃げ出すように市場を後にする。
 私も片山も異能者だから。
 それに、なにより、そうやって元手を得るのに数日もかけてしまって、時間が差し迫っていたのだ。片山は何日も目を覚まさないままで、食事も摂れず、弱りきっていた。
 市場に近いほど町も多くなる。私はその中から比較的治安のましな町を選んで病院に駆け込んだ。どんな時代にも医療は不可欠だ。誰も医師に頭は上がらない。私は片山を病院に預け、医師から片山の身体に目立った異常はないこと、ただ全身に痣や傷跡が見られること、したがって彼女の昏睡は心因性の可能性が高いということを聞いた。すでに原因を知ってはいたのだが、医師の分析もまたあながち間違っていなかった。
 医師は閉めきられた診察室のなかでもいっそう声を潜めて、こう言った。

「君ら、市場の方から来たんでしょう。よく生き伸びたね。もう心配ないよ。医者は差別をしないものだ」

 戦争と人身売買で回る経済なんか、すべておじゃんになってしまえばいいのにと、冗談めかして笑っていた。そうなのだ。その町医者は高齢で、まだこの国が軍を持っていなかった時代を生きている。その昔、この国はたいへんな平和主義だったらしく、武器を持つことさえ滅多なことでは叶わない時代が、何十年かあったのだと言う。だから上の世代の人間は口々に今の時代への恨み言を垂れる。戦争も人身売買も異能者差別もすべてを悪と見なしている。幼い時分よりそれを利用してしか生き延びてゆけない私たちは、彼らに何を言うこともできない。私はただ口を閉ざして、頭を下げた。なんにせよ彼が片山を生かしてくれる。
 私はその夜ばかりは車を走らせることも町に出ることもなく、片山の病室に泊まって翌朝遅くまで眠った。数日も動き通しでいつになく疲弊していたのだ。しかし、その安眠はいとも容易くぶち壊される。

「ずいぶん遠くに来てるなあ、灰野」

 相変わらず挨拶もなく現れたのは冰だった。私が特諜を脱走して一週間も空いていないのに懐かしさを感じるのは、そして違和感を感じるのは、彼の態度のせいにほかならない。私は、言いたいあれこれが口に出るより先に、目覚めて開口一番文句を垂れた。

「なんだ、その気持ち悪い笑みは」
「気持ち悪いは余計だ。君も祝ってよ、僕昇進したんだ。准尉だってさ。残念ながら君より上になった」
「この五日足らずでか」
「上司含めて軒並み死んだからね。生き残った奴等は少なからず昇進してるよ、ここ数日で」
「……何があった?」
「その言葉を待ってた」

 冰は、片山の隣に椅子を引っ張り、一瞬だけ顔を曇らせ、そこに腰かける。

「君みたいな馬鹿野郎がもう一人いたんだってさ。そいつの仕業」
「わかりやすく言え」
「実験を許さない奴が、特諜を潰そうとした。それで虐殺がおきた。君が発ったのとほぼ同時にだ。任務に出てた奴等と僕は平気だが、他はほとんど駄目だ」

 納得する。そうだろうと思っていたからだ。経緯は知る由もないが、多発していたという殺人、それがあのときにまた起きていて、だからあの無人の様相になっていたと考えると自然だ。いや、手口は知らないので自然とは言い難いが、説明はつくようになる。
 冰はどこか疲れたように息をついて続ける。

「僕は本格的に上層部に食い込む形になる。諜報はするが。研究のこともどうにかしろって言われた。建て直す手伝いはしなくちゃいけない。といっても、主要な人員がほとんどいなくなったんで、再開できたとしても数年後だろうが」
「……そうか」
「灰野はどうする? ふみはおそらく回復しないよ。このまま植物人間を守って生きていくのか」

 片山の手前、いつになく真剣で、静かな声で冰が問う。しかしそこに疑う響きはない。冰は私が何を言うかもわかっているからだ。だったら私も迷いようがない。いつもいつも回りくどい冰の言動を振り返る。一呼吸して、私は聞き返す。

「お前は何故仕事放ってこんなところまで来た?」
「放っちゃいない。僕の主な仕事のターゲットは君だからね。僕が血迷ったあいつを正してくる〜って言ってきたんだ」
「だと思った。それでどう報告するつもりだ」
「さあね。君は何がいい? 出来るだけ派手な隠れ蓑を用意してくれ」

 目を閉じたまま動く気配のない片山を見、私は少し考える。冰が言うのだから彼女にもう治る見込みがないとは事実なのだろう。治す。それができたら最高だが、できないと仮定して、それなら目指すべき場所はどこなのか。
 片山のことに限って心が落ち着かない。私はそのざわつきの欠片を拾い上げて何かを形作れないかと苦悩した。喪失、寂寥、やりきれなさを携えてなお止まない愛おしさ。それらをまとめ上げるには。ただ悲しいだけで途方に暮れる、そんな無駄をせずに済む道しるべはどこにあるのか。答えは簡単だった。なにせ、私はすでにその手本を目にしていたのだから。

「組織を作る」

 恨み。
 人の持てる最も明確な行動理由とは、いつだって何者かへの恨みだろうと思うのだ。これまでも、歴史の変革は、多くが人々の抱える恨みのためだったろう。それだから、人は戦う。戦って殺して生き抜く。それなら迷わずに済むから。

「へえ、何のため?」
「異能者を殺すため。私が逃げ出した実際の動機はお前しか知らないだろうし、擁護派とは考えがずれたと言えば、筋は通る」
「そんなもんか。で、本当は?」
「片山を兵力のない病院にいつまでも置いておけない。保護する場所と力と金の確保が先決だ。そのうえで、秘密裏に研究の妨害をねらって動く」
「よしきた!」

 聞くなり冰は楽しげに笑顔を見せた。珍しいこともあったものだと眉を潜めると、冰は席を立って踵を返す。しかしすぐに思い立ったように荷物を漁って、片山の枕元にぽんと花を置いて、驚く私をよそに改めて病室の出口に向かう。
 私はあまりのことに思わず震えた。衝撃だ。こいつ、やはり生半可な覚悟は決めていない。治せないと言いつつもどうにか治す気に違いない。生花の束なんて戦車を売ってようやく買えるような価値なのに!

「た……っ、高かったろう……!? はじめて見た……しかも、ドライフラワーだろうこれ……」
「情報屋をやってみたんで。あ、残りは後で君に渡すから」

 声帯がひくついてまったく言葉が出ない。疑問が思考を埋め尽くす。花を買ってまだ余りがあると? 正気か? こいつ下手すると大国相手に機密を売っていないか? いやいや国際連盟相手に世界の真理を売っていないか? 大丈夫か? というか、いつの間にそんな取引を? それもここ数日の話なのか?
 なんて奴だ。最終的にそこに落ち着いて、いったんは氾濫した思考がこんどはほとんど白くなる。冰は私の珍しい狼狽えぶりにたんに面白そうにしていた。

「お……お前……何をどこに売ってるんだいったい……」
「水のありかを水道局に。燃料のありかを発電所に」
「あー……えー……」

 なるほど完璧に神だ。こいつが公になれば全世界が揺らぐに違いない。隠しとおす特諜の判断は至極まっとうである。
 ひくわ。

「じゃ、また。いったん君を見つけたって報告してくる。捕まりたくなきゃ三日以内に居場所は変えてくれ。そのあとに動き始めよう」
「了解したよ。准尉」

 また気味の悪いあいまいな笑みを浮かべ、冰は今度こそ病室を去った。
 私は恐る恐る明るい山吹色したその花を手にし、点滴針を刺された片山の手に、一輪握らせる。しばらく祈るように目を閉じ、これからのことを思う。片山は弱っていく。だが、私たちが諦めることは、片山が死なない限りはないはずだ。私たちは戦っていく。それをこの花に誓いたい。
 一緒に行こう、片山。お前に罪なんかないんだ。経緯はなんだっていい。ただ、いま、お前の存在は私たちの命に値している。これからもきっとそうなる。それだけのことなのだ。

「また会えたら、長い話をしよう」

 目を開く。
 荷をまとめ、私も歩き出した。


2017年11月3日

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