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見上げた空のパラドックス
2 ―side Kei―

 異能者殲滅派レジスタンス、ファリア。そう名乗るこの組織は設立から日が浅い。一年と少しほどだろうか。そして組織の設立者兼第一戦闘隊長もまだ二十と年若い。その青年の名を、灰野誠也と言った。元・関東北方軍特別諜報部一課に属する曹長だという彼についてを私はほとんど知らない。任務以外では話したことがない。それでも、彼を観察し、何かあれば報告する。私の役目はそれだけだ。
 ファリアが金桐町襲撃を企てたことは既に報告済みで、そこで灰野が何を起こすのか、見極めよと達しが出ている。今までもファリアは人員の確保のためにも異能者狩りにおける大規模作戦を何度か行ってきた(異能者狩りで成果を出せば熱心な殲滅派は集まってくる)らしいけれど、私が立ち会うのは今回が初。
 今日がその日だ。
 高瀬さんから昨夜拝借したナイフを腰に差し、私は長らく揺られていた車を降りる。ゴーストタウンと瓦礫の山の間くらいの、町とも呼べない町並みはひっそりとしている。金桐町はここからさらに一マイルは歩いたところにあると聞く。歩くうちに、じょじょに形を残した家が増えてゆくのだろう。
 襲撃にあたって走らせた車は三台。一台に七、八人が乗るので、作戦に関与する戦闘員が20人、車を守る者と医療に携わる者が数名ほどだろうか。ファリアに暮らす人員の半分くらいがこの作戦に参加している。
 私や高瀬さんを含め、火器をうまくは扱えず近接にのみ長ける者は、戦闘員の内でもっとも下位に扱われる。火器を扱えるかどうかというのは戦場において基本中の基本だ。多少なりとも扱えれば中程度に、特に長けていれば生活もより高水準を約束される。つまりこの組織内に階級と言うやつは三段階ある。呼称は簡単だ。上から、α、β、Γ。
 別の車から降りてきた灰野が、Γに収集をかけた。と言ってもこの作戦に参加を許されたΓは私たち二人だけだ。私は高瀬さんと顔を見合わせ、走ってゆく。灰野は、私達を一瞥してからこう問う。

「臭わないか?」

 私は意味がわからなかった。高瀬さんだけが肯定する。

「少しいやなにおいがしますね。いまは風上に町がありますから、おそらくそこから流れてきています」
「そう思う。お前たちに確認を頼みたい。危険があれば知らせろ」
「了解」

 一礼し、高瀬さんが町に向かって走り出した。私もそれに続く。その背後で、灰野が残った人員に指示を出しているのが見えた。
 黙って進むと、なるほどどこからか漂う腐卵臭が私にも知覚できた。硫化物特有のにおいに鼻をおさえると、高瀬さんが立ち止まって私に向き直る。

「久本さん、化学はわかりますか?」
「え、……ええ、まあ」

 問われるも、それは特諜でさえ教われる知識ではない。私でなければ明らかな難題だった。

「じゃあ、ええと……炭素原子がひとつと、あとこれなんだろう……」
「硫黄、ですか?」
「それかもしれません」
「なら……硫炭ですね」
「どういう毒ですか?」
「多いと意識障害が出ます。あと、揮発性なので……ここで一発でも撃ったら、爆発しますね。そうしたら、二酸化硫黄が出るので、呼吸器がやられます」
「……守ります。もう少し行きましょう」

 高瀬さんがそう言うなり急ににおいを感じなくなり、驚く私を引き連れて高瀬さんはどんどん町へ近づいてゆく。このあたりでもう彼女の能力がどういうものかは見当がついた。物質干渉か。
 進むほど瓦礫が家並みに変わってくる。明確に町へ踏み入ったと定義する境界は存在しないのだけど、たしかにそろそろ人を見てもおかしくないだろうというあたりで、高瀬さんがまた立ち止まり、そして卒然一目散に踵を返し、駆け出す。

「たっ、高瀬さん!?」
「連絡っ。緊急退避っ!」
「理由は!」
「あとでいいですっ。今はとにかく――私から離れないでくださいっ!」

 彼女の背を追って走り出した刹那、地に響く轟音が辺りを満たした。一拍おいて、目前のすべてが焔に埋め尽くされる。周囲の気温は急速に跳ね上がり、ごうと異音が耳のなかを満たす。え、と思う。瞬時に死を悟る。すべては火の海だ。一瞬あとには血管が沸騰して即死するに違いない。うそだ。こんな呆気なく。私は。

「……久本さん、ぼーっとしてないで、連絡っ」
「え、え……?」
「守ります! でも、いつまでもつかわかりませんから!」
「あっ……え、と、はい!」

 連絡機を起動。接続の確認もなく、叫ぶ。

「退避っ。緊急退避っ! 大規模なガス爆発を確認しました! 皆さんご無事ですか!?」
『了解。無事だ。“ここ一角だけ”、焔がない』
「……っ」
『今は感謝する。直ちに戻れ』
「――了解!」

 だから、どうなっても知らないと言ったんです。高瀬さんは安易に力を使いすぎる。ひとの命のために自分の命を安売りしすぎる。殲滅派組織内で異能を露呈するなど、本当に非常識な人だ。でも、今は確かに、彼女の非常識さがなければ、私を含めたみなが死んでいたわけで。無性に負けた気がした。
 私だって、ひとを守る助けくらい、できるはずだ。
 通信を切りながら、高瀬さんの腕をぎゅっと掴んだ。そのまま、焔から切り取られたふたりぶんの空間を包むように壁を床を天井を形作り、急速に、飛ばす。私達を乗せた箱はするどく焔を切り裂き、何秒もすれば車のもとへ帰りつく。私は異能が発覚することのないよう最大限計らったけれど、勘づいた人がいないとは言えず不安になる。その隣の高瀬さんはというと、状況をまったく理解できておらず、混乱する様子を見せながらもひとまずと車内に飛び込んだ。私も続く。扉が閉まる。発車。町が遠ざかるまで、高瀬さんは何も言えないままで消火に追われた。
 車内の空気は最悪だ。高瀬さんが疲労で臥せって震えているからか、あるいは異能者である彼女に誰もが冷ややかな視線を投げ掛けているからか。おそらくは両方だ。後者には私も含まれているから、つまりは全員が全員、この重苦しさを形作るに力をあわせていた。
 高瀬さんは俯いたまま動かず、しばらくは不規則に息を繰り返す。過換気発作手前といった具合だ。私はようやく彼女が火恐怖症だったと思い出す。しかし彼女を気遣う声はない。
 彼女は、黙って自らの落ち着くのを待ってから、小さな声で構いませんよと言った。諦めたような気配があった。そうまでして、彼らを救い、それなのに彼らに殺される。その運命を黙って受け入れたような。

「構いません。慣れていますから。もともとここへは逃げてきたんです。少しの間でも、ましな暮らしができてよかった」

 彼女を殺すことはできない。とすれば、彼女は売られる一択だろう。これほどの逸材、さぞや高値がつくに違いない。私は冷めた心地で彼女の未来を思った。

「どうぞご心配なく。あなたがたに危害は加えません」

 誰も異議は唱えない。誰も憎悪の言葉を吐かない。誰も不信を抱かない。彼女に救われたことが事実であるから。あるいは、彼らもまた異能を隠して生きているから。
 ――隠しきれなかった者から先に殺される。それがこの世界の真理だ。
 私は冷や汗をかきながら周囲を見回した。高瀬さんはまあ仕方がないだろうけど、私の異能が発覚してはいないか。今のところ彼らの意識は高瀬さんにのみ向けられているように見えて、安堵する。気づいている誰かがいたとしても、他が気づかないなら私に構う気はないということだ。
 あとはただこの空気に耐えればいい。
 そう思って、前に向き直ったとき、通信が入った。

『直ちに停車、待機せよ。人を発見した。第一車両で偵察に出る』


2017年11月11日

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