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見上げた空のパラドックス
0.04 ーside Seiyaー

 二課の最奥、実験室。そこで彼女は眠っていた。結論から言ってしまえば、銃によって侵入こそできれども、研究チームの連中には手も足も出なかった。扉に発砲した時点で麻痺毒を吸わされて倒れ、片山に合間見えることさえできはしなかったのだ。
 目覚めたとき、目の前には白衣を着た見知らぬ男が何人かいて、お前か? そう問われた。なんの話だと問うと腹を蹴り飛ばされた。それは程度は軽いがたしかな拷問である。待ってくれ、聞くなら具体的に質問しろ、本当になんのことだかわからない。そう訴えるまでで既に私は満身創痍だった。身体はまだ麻痺毒の影響でうまく動かせず、されるがままに暴力を身に受ける。ああ、片山はこれを毎日受けていたんだなと痛感する。あの華奢な身体では痛みも生半可ではないだろうに、よく笑えていたなと、そう思うと悔しくて歯を食い縛った。白衣の彼等は、ここ最近二課で多発している殺人事件のことだと答えた。聞いたこともないぞと言うとしばらく息ができないほどの仕打ちにあった。本当に知らない。私は嘘なんかつかないんだ。会話にもならない会話は拮抗し、やがて私に薬瓶が突きつけられた。そこからの記憶は曖昧なのだが、おそらく自白剤か麻薬か何かを投与されてでもいたのだろう。最初からそうしてくれたら痛くなかったのだが。
 私が実際にまったくの無関係だと知った彼等は呆気なく私に銃を向けた。そこで私は我に返った。殺されるのは当たり前だ。私は重大な機密情報を勝手に入手し、あまつさえ軍に背こうとしたのだから。丁寧な軍法会議の制度なんて特諜にはあってないようなものだ。違反があれば殺す。使えない奴は片っ端から殺す。二課に限らない。特諜はそういうところだ。

「どうせ殺すなら撃つ前に教えろ。片山ふみはどうなった!」

 ためらいなど一ミリもあったものか。私は力を使った。
 片山は――死んではいない、らしかった。ただ、異能というエラーは魂そのものに宿るものだから、エラーを他者に渡す場合、魂もその他者と融合されることになる。つまりいまの片山の肉体のなかに片山の心はない。そのような説明をされた。いい加減本気で理解に苦しんだ。なんだ、魂って。古代のアニミズムでもあるまいし。だが、私の問いに答えたものが虚偽を伝えるわけもない。だから、つまり、片山はまだ生きている。心だって消えたわけではないという話だ。
 それなら、いつか。
 背中にあったはずの銃は当然取り上げられている。丸腰で、全身痛め付けられ、麻痺が残り動きにくい私に逃げるすべはもはやない。だが逃げなければ、永遠に片山の隠した真実を暴くことはできまい。
 私は問い質さなければならない。片山がなぜ私に向かってごめんなさいと泣いたのか。それを知らない限り、私は一生涯後悔するだろう。生まれてきたことを。出逢ってしまったことを。笑いあったことを。そんなことで冰を殴ったことを。
 そのために、ひとまずは、麻痺の弱化を願い時間稼ぎをする。

「なぜそんな実験をする。覇権のためか。こんな廃れた世界を乗っ取ってもなにが楽しい」
「知らん。お偉方の考えが俺らにわかるかよ。俺らはこれをしなきゃ爆弾抱えて敵地まで走らにゃならねえんだ。お前だって、従わねえからこうやってすぐ殺されんだろうが」
「……そういうのを馬鹿って言うんだぞ。生きたいのなら、逃げるべきだ。なんのための力だ。自分が持って生まれた力だろう。どうせ私達みんな殺すつもりの軍に捧げる謂れはないっ。頭を使え、研究チームなんだろう。逃げて、逃げ切れるまで走れ。爆弾は抱えなくて済むぞ!」

 私は血を吐きながら叫んだ。直前まで、私だって、死なないために軍に服属していたくせに、偉そうに。

「私は逃げるぞっ。お前らのように臆病風に殺されるつもりはない。逃げ切って、生きてやる。見てろよっ。私は! 冰を、片山を、私を――お前らを苦しめる特諜をゆるさねえっ!」

 長々と叫んでいたのに、誰も引き金を引かなかったのは何故だ。誰だって憎んでいるからだ。力を持って生まれただけでひどく利用される理不尽。いつかは必ず殺されることがわかっているのに今の命のために従ってしまう自らの不甲斐なさ。それらからくる異能力への憎悪。消えない死の恐怖。それゆえに人を殺すしかなくなった人類への失望。特諜育ちの私達に未来などない。軍に忠実に従うよう恐怖を刷り込むために幼い子供の時期から育てているのだ。あるいは幼い異能者ほど暴走しやすいから管理をするのだ。能力の有用性が高いほどその傾向は強く、私達はつねに軍にも自分にも怯えながら任務に身を投じてきた。
 冰だけが違う価値観を持って生きていた。彼は特別だから、軍も怖くない。誰もが恐怖をもとに動く人間でしかないことを誰よりよく知っていたから。彼は今までいったい何年かけて特諜のおかしさを暴こうと動いていたのだろう。私はここまで一緒にいたのにようやく気がついた。そうだ、特諜はおかしい。特諜は私達にとっては生活のすべてだったが、世界の中ではただちいさくあくどい人々の塊でしかない。
 逃げよう。逃げなきゃ。
 片山を連れて。
 どうすればいい?
 思えば、冰と出逢ってから、私は自分自身で判断するということをしなくなっていた。彼の行いに私が従う、そういう関係が自然と成り立っていた。知識を多く持つ彼の方がより正しいと信じていたから。仮にも私が上司なのだが、情けないことだった。
 ゆっくりと息をする。いまだに誰も引き金を引かないが、銃口の下がることもない。ああと思う。こういうとき、物理的干渉のできる能力だったら、怨まれず済むのにな。

「お前らは、このままここで生きて、殺されても、いいのか」

 この真実を引きずり出してしまえば、もう、彼らのここでの未来など消えうせる。軍への不満を口にしてはいけない。即、爆弾を上着の内側に抱えて敵地に乗り込めといった指示が下るだろう。行動を起こすなど論外だ。その場で処刑されても文句は言えない。そう刷り込まれた常識が、彼らの手を震わせる。彼らは回答を拒もうとする。拒めるわけがないのに。一人が銃を取り落とす。
 私は立ち上がる。まだ無音だ。誰もが私を気に止める余裕を持ってはいない。歩み、どう歩けば痛まないかと考えて、結局どこも痛むなと諦めをつける。取り落とされた銃を拾い、やたらに重たいそれに辟易しながら、また呼吸ひとつぶん。

「悪いな」

 ほとんど繋がって聞こえる轟音が止む頃には鮮やかに刻まれた、床にほとばしる血液の跡。下顎を残して脳みそを吹き飛ばされた肉塊の群れを一瞥して、私は覚束ない足を進める。まったく、余計に威力の高い弾を使いやがって。趣味が悪いったらない。こんなに大量の臭い色水を浴びるのははじめてで、たまらなく不快だ。
 じきに人が来る。
 私のいる場所よりさらに奥まった部屋の隅のベッドに、意識のない片山の姿を見つける。脈や呼吸を確認してみるとなるほど確かに生きている。しかしおそらく目を覚ますことはとうぶんないのだろう。その生気のない表情を目にすると、とたん胸が塞がったように苦しくなる。出したことのなかった涙が落ちる。そこで急に私は思い立った。あれ、ああ、なんだ、そういうことかと。唐突に理解してしまった。問いただそうと思っていたのに、その必要はなくなってしまった。その代わり湧き出でてきたのは愛しさ。途方もなかった。そう、私は片山を好きなのだ。それも、彼女の力でそうなるよう仕向けられた。彼女はそういう禁忌をおかした。その罪悪感が、私の過去と同じように彼女を追い詰めていたのだとしたら。それを冰が最初から知っていたのだとしたら。
 すべてに納得がいく。
 片山の自業自得でもあり、冰のせいにもでき、そして私のせいでもある。
 愛しさの前にはどうでもいい話だ。

「片山、行くぞ。死ぬなよ」

 片山を抱き上げるが、意識がないにもかかわらず軽すぎるように感じた。俗に言われるあれだろうか、死人の体重は生前より軽くなる、それは魂の重さだとする都市伝説。魂とやらが実在して、それがいまこの身体に入っていないなら、軽すぎるのもそれが原因か。そう思いたかった。そうではないと知っていても。
 これから私の武器は言霊だけだ。片手で人一人は運べない。そう覚悟して廊下に出るも、誰もいないことに驚く。待ち伏せをされているのではないのか。そう不審に思うも、なにより奇妙なのはにおいだ。私の出てきた部屋の中を上回るほど死臭が充満している。

(多発している、殺人……か?)

 確認する暇はない。この好都合に乗じて逃げることだけを考える。片山を敷地の隅の茂みに隠し、車を奪取しようと車庫に行ってもやはり誰もおらず楽々と目的が果たせた。車にはあるだけの武器と食糧を積み、助手席に片山を座らせ、門番まで消えてしまった門を抜けて本部を発つ。
 不可解なことは多くあった。
 あの中で冰は生きているのか。
 不安にはなるが、片山が先だ。まずはこの状態の片山でも生かし続けられるだけの設備が要る。そのための金をすぐに得るには、どこかで異能者を捕らえて市場に売るほかない。多くを殺すことになる。心は捨てよう。もたついてはいられない。
 私はクレーターだらけの枯野にどこまでも車を走らせた。


2017年10月24日

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