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見上げた空のパラドックス
0.03 ーside Seiyaー

 それから、任務がなければ週に2、3ほどの頻度で、私達は片山と交流するようになる。とはいえ片山は内緒だ内緒だと言って何も話しはしなかったのだが、その度に冰が怒ると言って不思議そうにしていた。しばらくすると冰が感知系でないかと勘づかれ、冰はあっさりと認めるので、私も焦った。なんせ冰が感知系であることはかなり重要な機密事項である。だが、誰にも言わないよと笑う片山が本当に頑固に有言実行をするたちであることはわかっていたので、ため息のみで済ませた。これ以上度が過ぎれば注意せねばなるまい。
 冰は片山のもとから一課へ帰る度に彼女に見えた真実を語った。彼女が軍で生まれさせられた人工異能者であるとか、今日は宿舎で職員から虐待を受けたらしいとか、先日の任務では性被害に遇ったようだとか、そんな話をさらさらと説くものだからこちらはいちいち理解に苦しむ。まあ二課はそういうところだからね、などと言う冰の声が冷ややかなのも無理はなかった。
 私は諜報と戦闘の腕には覚えがあるが、嘘をつくのはすこぶる苦手だ。片山が内緒だと笑ってみせる度に顔をこわばらせる私を、片山は最初はおかしそうに見て、やがてどこか察したようにありがとうと言うようになる。やはり喋るのは冰に任せていたし、ほとんどいるだけの私ではあったが、通ううちに少しずつ名前で呼ばれることにも慣れていった。
 片山はよく笑う少女だった。冰も私も滅多に笑わないので、笑わなきゃ駄目だよと言って、いつもおかしな作り話をした。沈痛な話は口にしない。内緒だよと一言告げてしまえば伝わるのだから話し込む必要はない。そうやって時間が余ると、彼女は即興の物語を楽しげに私達へ聞かせるのだ。私はそれを聞くのがとても楽しみだった。私が楽しみにしていることを知っている片山も、話すたびに得意気に嬉しそうにした。セイヤくんはあまり喋らないけど、聞くのは好きなんだね、と笑っていた。真夜中の暗い倉庫の中で、月明かりだけを頼りにして木箱に腰掛け、私達は確実に打ち解けていった。
 何年かして、未だにこの不正が誰にも知られていない、あるいは見て見ぬふりをされている現状に疑問さえ抱かなくなったころ、片山の様子が変わった。何を聞かれても内緒と言わず素直に答えるようになり、だから時間が余ることもなく、作り話をすることもなくなったのだ。たしかに今さら何を隠したところで無意味ではあったろう。しかし片山はあきらかに変だった。出逢ってすぐのころは朗らかに笑って内緒と言っていたのが、気がつけば震える声で懺悔のようにすべてを吐露するようになっていた。
 何かあったのか? 無視しきれずに彼女にそう尋ねたのは私だ。その日、彼女ははじめて涙を見せた。ごめんなさいと言った。何がだと訊いてようやく内緒だという答えを得たが、その顔に笑みはなかった。

「ちーちゃん。内緒だよ。本当に内緒にしてね」
「……わかってるって」

 私にも知られたくないことのようだった。
 そして、それきり、彼女は――倉庫に姿を現さなくなる。
 私は冰を問い詰めた。片山はどうした。何かあったんだろうと。私達の不正と関係はあるのかと。私のせいではないだろうなと。冰は首を振って言ってはいけないからとしか答えず、私の拳をひとつ黙って受け入れた。悪い、と彼が謝った。僕なら防げたかもしれなかったのに、迷ってしまったんだ、と。曖昧な物言いに、わかりやすく言えと私が怒ると、彼は本当に悪いと言って笑みなのかもわかりにくい曖昧な笑みを浮かべた。私は思わず激昂する。冰に出逢ってから何年も使わなかった自らの能力を、今こそ使おうと決意する。任務ではなく私益のためにだ。冰はすぐ気づき、驚かなかったが、悲痛な声でやめろと一言だけつぶやいた。
 真実の誘引。つまり、私の問いには必ず真実が返ってくる。それが私の能力だ。
 すっかりいつもの自信をなくし縮こまっていた冰に向かって、私は改めて片山のことを問う。すると冰は泣いた。泣いて、ついに特諜における最高機密を私に教えた。

「灰野、ふみは殺される。ごめん。これは僕でも防げないんだ」
「は? ……何を言っているんだ」
「実験。日本の編み出した対策案。彼女が、そのプロトタイプの、生け贄になる」

 “対策案”。異能者殲滅のための最も効率的な方法を模索する国家プロジェクトをそう呼ぶのだと冰は言った。各国がそれを考え秘密裏に各々提出して、競い、最もよい案を出した国が覇権を得る。もはや現代は異能者を殺すための世界だ。擁護派を気取っている日本軍だってどうせ異能者をまとめて管理したいだけ。その日本軍が、対策案の模索を目的として置いた部署が特諜二課で、試験的に殺すため、片山達が産み出された。
 ここまでだけでも信じ得ない話だったが、話はさらにややこしくなる。
 数年前、片山と初めて会った日、片山の同僚が上司五人を殺害する事件があった。その加害者は、何故かはまだ解明されていないが、殺した五人の持っていた異能力をその身に宿したのだという。

「異能っていうのは、なんか、形があるんだ。あの事件があってから、それを、一ヶ所に集約することができるって、奴等は考えた。腐るほどいる異能者をいちいち殺すより、集約したひとりを殺す方が楽だってね」

 殺した五人ぶんのエラーを引き受けたひとり。研究はこの数年で進められ、そのひとりに再び誰かの異能を引き受けさせる時が来た。その誰かというのが片山だった。

「殺さなきゃできないなら全然効率的じゃねえだろ」
「そうだね。まあ発展途上だから。とにかくデータが要るらしい」
「……なんで片山なんだ。他にもいるんだろ、二課」
「……それは」

 冰が言葉に詰まる。しかし黙ることはできずに、はっきりしない言葉を続ける。

「ふみは、……ふみは心を壊したから、使い物にならなくなって。……灰野、もういいでしょ。わかってくれ。僕だって、つらいんだ」

 片山が心を壊した理由は口にできない。約束したことだから。それだけは訊くなと、冰は涙の滲む形相で訴えた。
 私は、普段とうってかわってあまりに弱々しい冰の様子に言い様のない苛立ちを覚えて、彼の言う通り口を閉ざす。その代わり、踵を返し、銃を背負って駆け出した。昼間なのに、二課を囲む鉄線の隙間に向かい、なりふり構わず走っていった。冰は私を止めなかったし、私も止められて止まる気はなかった。
 だが、鉄線のもとに息も絶え絶えたどり着いたとき、どんな道を辿ったのやら冰は先回りして待っていて、泣き止んだばかりの顔で私を睨み付け、こう告いだ。

「行くなら行け。二度と戻ってくるな」

 言葉を紡ぐと共に肩を掴まれ、刹那、私の脳内で弾けるような圧力が生まれる。痛みとはまた違った衝撃に呻いて、目を上げると、もう私はここからどう進んでゆくべきかを抜かりなく理解していた。聞いたことだけはある。感知系が唯一行えるという干渉、それは、彼らの持つ特異な感覚を他者へ共有させることであると。
 冰は私に道を示したのだ。

「冰お前、なんのつもりだ……!」
「言っとくが、僕は今後裏切らないぞ。軍も、君も、ふみも。本当に神になってやる」
「わかりやすく言え!」
「行け。これは神託だ」

 そんなきざったらしい言葉を、たかが14歳の少年が大真面目に吐いたから。そこに、想像を絶する覚悟の片鱗を見たから。私はその日から迷うという行為のやり方を忘れた。そういう意味では、まさにそれは神託だった。

「……気取るなよ! 後でもっかい泣かしてやる!」
「ふうん、やってみなよ。意外と繊細な白髪野郎」
「まだそんな旧い話を覚えているのか。私はもう気にしていないぞ」
「知ってる。それもふみのお陰でしょ。ほら、行けって」
「お前は来ないのか?」
「僕はここにいた方が、できることが多いからね」
「……そうか」

 これっきりにはならない。言外にそう言われた気がして、私は少なからず安堵した。
 そして再び走り出す。
 希望はないに等しいが、何も知らないまま終わってしまうことの方が嫌だった。さんざん冰に隠し事をされたし、まだまだされている。知りすぎる痛みを背負う冰の隣で、確かに私は無知の悔しさを味わって生きてきたのだ。もう見て見ぬふりはしない。追及しよう。それがどんな辛酸の海に飛び込む行為であろうと、構わないと腹を決めたのだ。知って、知りすぎて、苦しみ抜いて、その先で何をするかを決めよう。無知に甘んじた幸福な暮らしは、もうたくさんだ。
 片山の元へ急ぐ。
 不正はすべて発覚し、下手をすれば私は殺されるだろうが、私には、これ以上なく信頼できる神託があるのだから。


2017年10月23日

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