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見上げた空のパラドックス
0.02 ーside Seiyaー

 一課と二課を仕切る鉄線を冰に導かれて越え、進んだ先では、嫌な音がいつまでも響いている。真夜中、二課の宿舎にはまだ明かりが点っていた。
 冰は表情を変えず、私は必死で耳を澄ます。
 部屋の窓は閉まっているのに、外からでも聞こえるほど大きく怒号が飛び交っていた。何かあったのかはわからない。何もないのかもしれない、これが日常なのかもしれない、冰の様子を見てそう考える。殺意のこもった尋常ではない叫び声。まれに悲鳴。仕事柄、聞く機会は多いものだが、本部にいて耳にしたことはあまりない。
 怒号の主はさすがに疲れてきたのか、しばらくすると勢いを弱め、ほとんど聞こえなくなった。かと思うと窓から漏れる明かりが消される。

「今日は二人が立て込んでていないからね。五人殺した子と、その子の弟。いつも被害者だったのはそのふたりだ」
「……だから?」
「代わりがあれってことだ」

 窓際のかげに踞っていた冰が、言いながら立ち上がる。

「行くよ」
「どこへだ」
「どこへでも」

 宛のないような返事をしたわりに迷わぬ足取りで先導した冰は、宿舎の玄関が遠目に見える位置まで来て立ち止まる。茂みに飛び込んで隠れ、二人して息を潜めると、宿舎から人影がひとつ歩み出てくるのが見えた。
 人影は小さく、見るからに冰よりも幼い子供で、しかも女だった。決して暖かくはない時期にも関わらず薄着なうえ素足で砂の上をふらふらと歩く。肩まで伸びた白の髪が彼女の表情を隠している。冰に視線を振ると、相変わらず表情を変えてはいなかった。
 少女は私達のすぐ隣で足を止めた。
 焦りが浮かぶも、冰が私の肩をつついたので、悟ってしまう。とっくに勘づかれているのだ。

「どうして隠れてるの?」

 無垢な響きをもった声が、少女から発せられる。すかさず、冰が答える。

「見つかったら怒られるからね。君もよかったら内緒にしていてほしい」
「んん? ていうか誰さん?」
「一課の者だ」

 少女は首をかしげて私達の隠れる茂みを見た。茶色の大きな目が、月明かりに輝いていた。

「なにしに来たのか知らないけど、じゃあ、ばれない場所教えてあげよっか」
「マジ? いいの?」
「うん」

 少女ががさがさと茂みを分けて私達のいる場所へ姿を見せる。見ず知らずの少年二人を前に、彼女はまずはと満面の笑顔で両方と握手をした。冰とは違い挨拶は徹底しているようだ。

「わたし片山ふみ。あなたたちは?」
「僕は冰千年だ。こっちの頭白いのが灰野誠也」
「おお。セイヤくん、おそろいだね」

 名前を教えるのはまずいのではというより先に、その紹介はあんまりだと冰に向かって拳を固めたところで片山が晴れやかに言い放ち、すっかり気勢を削がれてしまう。ファーストネームで呼ばれたのは記憶のかぎり人生初なのだ。驚きと戸惑いの混じった思いで片山を見やるが、こともなげにどうかしたのかなどと言われてしまえば引き下がるしかない。それに、互いに階級を言わないなんて何事だろう。ここは軍で私達は軍人のはずなのに。
 やはり二課は未知の世界だと腹をくくり、私達は彼女の後に続いてどんどんと敷地の奥に進んだ。
 案内されたのは本館の裏にある旧い倉庫らしい建物で、片山は、今日はこっちで眠るつもりだったんだよと、積み上がった木箱を指して言った。倉庫内は雨風が防げるぶんまだ暖かいにしても、さすがにその薄着では寝られまいと思うのだが。

「それで? なんで来たの? ちーちゃん」
「その呼び方は珍しいなあ」

 さすがの冰も一瞬微妙な顔をした。

「何してた? さっきさ」
「内緒。二課のことは一課には話せないよ」
「……」
「あれ、そんなに怒るー?」

 冰は眉ひとつ動かさなかったのに、片山はおおいに驚いたように問いかける。冰は珍しく大きなため息をついて首を振った。怒っちゃいないさと。だが、片山はそれをさらに否定する。

「怒ってるよ。どうして?」
「……あのさあ。君の力、なに?」
「感情操作」
「なるほどなあ。わかるわけだ」
「ねぇなんで怒ってるのー?」
「内緒だ」
「えー?」

 冰の内心にもし本当に怒りが生じていたのだとしたら、その原因は片山が先ほどの質問に内緒と答えたせいだろう。隠蔽されるほど、冰のもとにはその真実が近づいていく。何があったかをすべて目にしてしまったのやもしれない。だからか、彼はその怒りとやらを原動力に、突然、なにかを決意したらしい素振りを見せる。顔をあげ片山を睨み、いつもに似合わないどこか曖昧な笑みを浮かべてこうのたまう。

「ふみ、ここにはいつもいるのか?」
「え? うーん、そんなにいつもじゃないよ」
「じゃ、そのくらいで。また来るよ」
「今日はもう行っちゃうの?」
「寝なきゃでしょ。夜中だよ」
「あ、それもそっかー」

 定期的に二課に忍び込む。そんなとんでもないことを一分の迷いなく告げた冰に引きずられ、結局ひとことも喋らなかった私は倉庫を後にする。その帰り際、わざわざ片山が私を呼び止めて、笑って言ったのが忘れられない。

「セイヤくん、そんなに気にしなくても、似合うと思うよ!」

 余計なお世話だ。


2017年10月23日

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