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見上げた空のパラドックス
0.01 ーside Seiyaー

 冰千年は幼少から化け物だった。言い方は悪いが、神と呼べるほどの全能者でも人格者でもない彼がたぐいまれな力と才能を持って生まれたことを、他に表現することもできまい。学校も出ていない彼が僅か十のときに上等兵から伍長に昇進し、それもあり得ないのに、さらに数年で下士官を抜け出してしまったのはまさに異様である。そんな彼の監視係である私が彼につられて昇進してしまったのも。
 冰が特諜に拾われた直後から、私には監視が命ぜられた。私がようやく十を越えたくらいの頃だ。はたして勤まるのか? 不安があったが、特諜でそれが勤まるような能力を持っているのはたしかに私だけである。そして彼は初対面のその時、挨拶もせず、幼さにまったくそぐわない口調で開口一番こう言った。

「その力、これ以上使うな。いつか地獄を見るよ」

 六歳だぞ、あれで。私は耳を疑った。
 感知系の言ったことを人々は無条件に信じる。感知系の進言を拒める誰かは、少なくともここ特諜にはいない。上層部は彼を管理下に置いたつもりでいても、実質いつも逆だ。冰は直後に私の力を使わせないようにと上層部に進言したのだ。まったく昔から変わらずお節介な野郎だった。
 上層部は私に力を使わせる任務は回さなくなり、ただし、冰の監視において必要な場合にのみ使えと言が下った。冰はそれでいいよと言った。必要になんかさせないからと。
 なぜそこまでして私の力を封じようとするのか。もちろん気になって問うた。彼は、もう僕がそれで地獄を見たからさ、とこともなげに答える。それから続けて、

「で、君はなんて言うんだ?」
「今更それか。話は聞いていなかったのか」
「うん」

 うん、て。聞けよ。

「私は灰野誠也、上等兵だ」
「わ、上司じゃん」
「当然だろう。お前、入軍して何日も経っていないのに」
「三日は経ったよ」
「聞いていない」

 これから訓練期間に入って叩き直されそうな礼儀知らずだった。
 その予想はしっかり的中し、一年後には立派に上司に対することができるようになったのだが、しかし、奴め、私に対する態度だけは変えなかった。そもそも、感知系の存在は同じ特諜内でも秘匿されていたため、彼が私以外と話す機会はそう多くはない。つまり彼は変わらず憎たらしい奴だった。
 訓練期、彼は射撃が得意だった。その幼い身体で扱える銃など数は知れていたが、みるみる確実に腕を上げていき、最後には多少反動のきついものも使いこなしたのは圧巻だった。衝撃の逃がしかたが身体に染み付いているのだ。はっきり言えば天才である。彼に、何をどうしたらそんなに上達するんだと問うと、好きだからという答えが帰ってきた。

「銃は嘘をつかないし、人を正直にするんだ。ただ銃口を向けるだけでね」

 あの頃の冰は笑わなかった。ひたすら冷たい声をしていた。偽ろうとする意思がそこに働くとき真実を見る。彼の力がその言葉を証明していた。
 問題は、彼が滞りなく訓練を終え、任務についてからだった。
 冰は殺しすぎるのだ。任務上致し方ない場合にのみ許されているはずの殺人を、明らかにやり過ぎている。ここは名の通り諜報部なのだから、情報が手に入れば十分で、余計な殺人は望ましくない。注意をしようとも思ったが、なぜ殺すんだと聞くのはなにか怖くて、私は冰に何も告げずにその奇行を上層部に報告した。彼はすぐ殺人を禁止とされ、思いのほか文句を言わず従った。ただ、しばしば私を冷たい目で眺めるようになった。互いの間にぎこちなさが残った。
 その些細な罪悪感からか、その後の私は頭髪に悩みだした。まだ十五にも満たないのに髪が白くなってきたのだ。数ヵ月もするとあきらかに端から見ても白の割合が増えてきて、本気で思い悩んでいた。そんなある日に冰が私を見て腹を抱えて笑ったものだから、さすがに一発殴ってやった。あれが冰のはじめて笑った瞬間で、さらにははじめて私に謝罪をした瞬間だった。思わず許したが、正直、思い返すといつでも腹が立つ。意外と繊細なんだねってなんだよ。意外とも繊細も余計だ。
 殺しを禁ぜられたのちの冰は限りなく良い仕事をした。なんと言っても感知系はいくら能力を使用しても他者に気づかれることはない。各地の殲滅派レジスタンスや外国人の拠点に、接触しては相手の機密情報をいくつも拾ってきた。

 そのなかの、一番大きなもの、それが――諸外国が既におのおの確立させはじめていた、“対策案”の実態だ。

 そして、彼は一等兵から一気に伍長へ、私もそのひとつ上である曹長にまで突然に二階級特進した。私はゆえんを知らずかなり戸惑った。当時の冰は何も言わなかったのだ。諸外国でも、もちろんこの国でも、それは最高機密中の最高機密だから。
 だが、冰はいちどだけ大きく行動を起こした。

「二課に何があるか、知ってるか?」
「知りたくもない」
「……そうだなあ。でも聞いてくれ。二課で、今日、人が五人死んだらしい」

 冰はいったい私に何を伝えたかったのか。
 矢継ぎ早にこう頼んできた。

「なあ、灰野、僕を二課に行かせてくれ」
「は? 殺されるぞ」
「僕を殺せる奴なんかいないさ。僕のリミッターである君を殺せる奴も。それに、僕に内緒話はそもそも通用してないんだから」

 冰は正直という言葉を好いた。そこに怪しいものがあれば暴くのは当然で、見て見ぬふりは悪だという価値観を強く持っていた。だから行く、もしもばれたら、責任は僕が取る。だから黙っていてくれないか。自らの行動のあきらかな矛盾はわかっていたのだろうが、それでもあの礼儀知らずは丁寧に頭を下げた。
 なら私も行こう。
 言って、冰は珍しく呆気に取られ、すぐ笑顔を浮かべる。

「なら覚悟しろよ。灰野」
「望むところだ」

 何も知らないままでいたくなかったのだ。冰だけにすべてを悟らせ、気づかぬうちに彼の絶望を煽ることだけは、したくなかった。強い能力者の暴走を防ぐには、何よりもまず孤独にしないことだ。上層部はそのために私を置いたのだろうから。
 私達はその日、一課の誰も立ち入れなかった禁止区画へと足を運んだ。


2017年10月22日

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