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見上げた空のパラドックス
0.3 -side Higure-

 はっ、と目覚めて身震いする。空を見る限り短い間ではあろうが、眠ってしまっていた。
 試験一日目は結局、彼の居場所を探そう探そうと駆けずり回って終了した。食事はとっていない。トイレには一度だけ行ったが、奇跡的に罠はなかった。宿舎の寝室に戻ることはどうしてもできそうになく、広い屋上のど真ん中に座って皆が寝静まる夜を過ごしていた。ここなら、万が一なにかあっても見晴らしがきき、対処がしやすいからだ。
 空腹感は思ったより少なく、立ち上がっても足取りはしっかりしている。俺は晴れた星空のもとに立って、敷地の外を見つめた。

「ひっでぇの」

 一年、ここで暮らしてきたが、こう遠くまで見渡す機会はほぼなく、ついじっと見いってしまう。外には何もなかった。背の低い草木がまばらに生えた広大な枯野は、大小の穴が無数に空いて、黒々と寂れたその姿を夜風にさらしている。これは数年ごとに爆撃で空けられる穴なのだと言う。敷地内にも少なくはない。
 人は減った。
 大きな戦争があったらしい。異能者狩りと呼ばれるそれは、文字通り、異能者をこの世から排除するための虐殺だ。立ち向かう異能者はいて、しかし、受け入れる数も少なくはなく。団結できなかった彼らの前に、団結した無能力者の用意した爆弾と毒薬が雨になって降り注いだ。住める土地が減り、資源を失い、国々の情勢は荒れた。日本は異能者擁護派で、他国の殲滅派と争う様相となっていった。本当に争っていたのは国家ではなく、国内の殲滅派と擁護派なのだが。
 国家間の戦争は、いちおう、停戦したことになっているらしい。が、争いは今も続いているのだ。
 世界に根付いた異能者に対する憎悪の原因は、はっきりとはしていない。いつのまに異能者の存在が世間に浮き彫りにされたのかも。

(俺にわかるのは、力を持つことは、どうあがいても悲劇ってことだけだ)

 みずからが異能者であることを、ここ特諜以外で人に漏らしてはいけない。さもなければ殺されるから、というのは基本中の基本だ。
 この世界に降りたって最初の日、最初の瞬間、俺は弾幕の降る戦場の真ん中にいた。武器も戦うすべも持たなかった俺があの状況を切り抜けるには力を使うしかなかったが、あとで聞き付けて俺を拾いに来た特諜の人たちには口うるさく怒られるどころか、お前は自殺したかったのかと問われた。んなわけあるかと、すべてを説明すると、今度は精神疾患を疑われ、検査が始まって、そこにあの彼が現れたのだ。神と呼ばれた彼の力は、「虚偽を暴く」ことである。そいつ、嘘ついてないよ。彼の呆気ない一言ですべてが認められた。それから俺の情報は隠蔽されるようになる。ただの異能者、ただの少年兵。異世界がどうとか不老不死がどうとか、そんな話はタブーだ。時代の齟齬が露呈するから過去の話もするな。そう振る舞うようにと言われたのだ。
 そして怒濤の一年。普段はほとんど任務でいない彼がまれに帰ってくるたびに監督を頼んだりして、訓練に打ち込んだ。戦い、学び、実践の機会が与えられ、それが終わるとまた学ぶ。それしかしていなかった。
 俺は知らない。この世界の常識も、外がどんなひどい状況かも、やけに広い禁止区画で何が行われているかも、青空がどこにいるかも、知らない。
 夜風が遠くで砂を巻き上げる。
 俄然、人の気配を感じて、屋上に続く入口に目を向けた。重い扉が押し開けられると、そこに、見慣れない人の姿をみとめる。
 まず目に留まったのは長く白くうねった髪だ。それからお馴染みの軍服。白い顔。

「あ、――ごめんなさい!」

 開いた扉がすぐさま閉まった。
 呆気に取られ、いちおう銃を担ぎ直して、俺は扉に駆け寄り、開く。えてして白い彼女はそこに立っていた。戦意は、まったくなさそうだった。

「どちら様で?」
「あ、えっ、と……、……二課の、久本上等兵です。すみません、あの、こ、このことは……ご内密に」
「どうぞ落ち着いてください。私、一課の海間二等兵です。敬語は必要ありませんので」
「……あ、ありがとう、ございます」

 帽子を取って小さく頭を下げると、久本と名乗った彼女はうつむいたまま返事をした。敬語は直っていなかった。
 二課の人を見るのははじめてのことだ。何せ、二課の棟は一課の兵たちにとっては禁止区画である。逆もまた然りだろうから、内密にと言ったのか。

「屋上に出ましょう」
「え、え?」
「内密なお話なら、その方が安全です」
「あ……はい……ごめんなさい」

 こう言っちゃなんだが久本はえらく気弱そうな少女に見えた。とはいえ、この世界で俺より背の高い人はあんまり見たことがないから、年齢はわからない。栄養状態の悪いなかで育つため皆小さいのだ。だのに久本は縮こまって歩くので、さらに小さく思えて困る。年上ですよね、きっと。この世界で俺と同い年って言ったら130もあるかあやしいし。
 明かりの極端に少ない屋内から再び屋上に出ると、星の光が眩しい。俺が見ればきれいなのだが、久本は上には目もくれずずっと足元を見ていた。

「何故、二課の方がこちらの棟に?」
「……こちらの方が、高さが……ありますから」

 彼女ははじめて顔をあげ、赤みを帯びた深い目で俺を見上げる。ひとつにまとめられた長い髪が揺れ、その透き通った石の髪飾りが、ひとりでに髪を離れてゆく。石は光を吸って煌めき、次の刹那に肥大化した。板状になったその透明なものに、彼女は乗り込む。浮き上がる。味気ない見た目をした透明な板は、いわば飛行機だった。

「一緒に来ますか」

 久本が問う。共犯者になれば何も漏らさないだろうから? おそらくそうだろう。俺は苦笑する。

「どうせなら、隠れて行きましょう」
「隠れる……?」
「聞いたことはありませんか。うわさの幽霊」
「……ありません」
「失礼しました。私、光を使えます。外から見えないようにいたしましょう」

 ありがとう、と再び彼女が紡いだ。俺も板に乗り込むと、四角い板の四辺から壁が伸びてきて、やがて俺たちはガラスの箱の中にいた。俺も力を使い、この箱の周囲の光を撹乱する。俺たちは夜闇に隠れ、飛翔した。


2017年10月20日

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