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見上げた空のパラドックス
0.1 -side Higure-

 ああ、あいつがうわさの幽霊か。
 聞こえるように言っているだろう声に、ただちょっと褪せた黒の軍帽を目深に直した。ああいう輩にじろじろ見られたくないのは、誰だって思うところだろう。よくよく楽観的だの無鉄砲だの勝手に言われる俺も例外ではなく、気づかれないように、ひっそりと息をついた。そして、両手に持ったでかいオートマチックを小さく見える的に向けて構える。
 聞き慣れた銃声が、耳当てごしにくぐもって響き渡った。

「はい、当たりー。次」

 腕にじゅうぶんな筋力がない俺は、極端に重たい銃はろくに構えることもできない。だから軽いものを使うのだが、軽いものは射撃の際の反動がひどく、一発目にして肩にはびりびりと痺れが残る。痛みはない。俺には感じることのできないものだ。
 好きではないよ、撃つのは。
 一発目より遠く小さくなった的へ、二発目を撃ち込む。

「当たりー。次」

 的が動き始める。俺の構える向きとは垂直に等速。落ち着いて、軌道を読み、速度に合わせて息をするように引き金を引く。

「はいはい当たり、次」

 等速ではなくなる。予測不可能に、しばらくまっすぐ進んだかと思えば戻ったりを繰り返す。こんな鬼難易度のゲーム、クリアできる方がおかしいだろう。だが、クリアできなければ命にかかわるから、吐けないへどを吐きながら訓練してきた。
 銃声。

「当たりー、ラストー」

 のんびりと判定する声が背後から聞こえて、また的が動きを変え、さらには大きさを変え。ふざけてやがる。
 緊張は十二分にしていた。若干口許が震えている気もした。だが周囲の野次馬は俺の様子をそう受け取ってはいないらしい。あいつは気楽でいいだの、化け物だの、どうせ当てるだのとうるさい。こちとらお前らの期待に答えるのにどんだけ苦労したかって、解らんだろうな。
 関東北方軍特別諜報部一課。
 野良の異能者として拾われた俺は、ようやく一年間の訓練を終えようとしている。今現在は訓練終了時の試験の真っ只中で、これが終われば、俺は任務につくことになる。
 的を見つめ、ひとつだけ深呼吸をする。引き金に指を当てて、野次馬の声を頭の中から排除して、そしてようやく固まった右手が動いた。どん、と、両肩に来る衝撃を足元へ逃がし、俺はぐるりと振り返って背後のテスターを睨む。

「当たり。おめでとう海間。次、実戦ね、僕と。能力の使用は許可するが、疲労で倒れたら失格。武器は支給品、自前、そのへんにあるものなんでもありで。会場は立ち入り禁止区域を除いてここの敷地全部。期間は三日。僕に一度でも攻撃を当てたら勝ちだ。ただし、殺すな」

 試験内容は、事前に知らされてなどいなかった。訓練は銃の分解と清掃からはじまり、戦闘と能力の制御はもちろん、極限状態で生存するための知恵、死体の処理、運転、人の騙し方、日頃のマナーや外国語にまで及んだ。それらの習熟度を見極める試験に関しては、何をさせられるかも、日程すらもその日の朝まで知らされることはないのが通例らしい。常に鍛練し備えることを、一年前から強いられていた。
 いや。何かを叩き込まれ、飲み込み、突然に試される。そういう意味では、俺の場合は、昔と今の生活に大差などない。違うのは銃を握るかどうか、死体を目にするかどうか程度のものだ。
 だから、突如宣告された無理ゲーにも、俺は表情を変えなかった。

「お手柔らかにお願いします」

 言って、四つ上の年若いテスターに向け頭を下げる。俺じゃなくても勝てる相手じゃない。だから勝たなくていいのだ。ただ何かしら評価してもらえるように意識しよう。

「うん、手加減はする。……聞いてたかお前ら!」

 彼が振り返り、遠巻きだった野次馬たちへどこか曖昧な笑顔を浮かべて声を張った。

「お前ら、海間の邪魔をしろ! 言語系以外なら能力の使用も許可する! ただし、その他の用途では使うな! それと器物破損は弁償だからよろしく!」

 了解、と鋭い声が射撃場を満たす。
 これにはさすがに焦った。マジで無理ゲーじゃねえかと。
 絶望しながらテスターを見やれば、彼はにこやかに腰のデリンジャーを引き抜き告げる。

「はい、はじめ」


2017年10月20日

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