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見上げた空のパラドックス
69 ―side Sora―

 彼は携帯端末で来客を確認すると、私に一分で着替えるようにと言いつけて部屋を出てゆく。言われた通りに身支度を整え終える頃に彼は戻ってきて、私に小さな拳銃を一丁握らせた。彼も目立たないけれど武装している。あまり喜ばしい客ではないらしい。

「私、銃は使えませんよ」
「いざとなれば見よう見まねでいい。脅しにもなる。念のためだ」
「……わかりました」

 ずっしりとした銀の、おそらくかなり旧いそれをホルスターごと受け取り、ハーフコックを何度も確認してこわごわと装着する。慣れない重みが緊張感を増す。そのまま彼に手を引かれて、早足で玄関へ。彼は端末を見つめて終始いやそうな顔をしていたから、ずいぶん反応していないにも関わらず来客はまだそこにいるのだろう。扉の前に留まり、彼は銃の安全装置を外してからこちらに振り返る。青の目に揺れはないが迷いはある。神妙な面持ちで。

「高瀬、裏切るなとは言わない。選ぶのはおまえでいい」

 聞き返す暇もなく、言葉尻が部屋を舞って、消えるか消えないかの頃に、玄関扉が押し開けられた。私は自然、その向こうを覗き込んで、そして目を見張る。
 赤い。
 はじめて目にする、その色。けれども記憶にはあるから変に思う。七年前の雨の日、赤い水溜まりを覗いて笑った少女の記憶だ。それが順当に成長すればなるほどこうなるに違いないといった容姿が、いま目の前にある。つい最近に見たはずの白の彼女は幻想だったのではないかとすら思えてくる。鮮やかで混じりけのない赤が、肩口に集まってわだかまっている。
 久本圭。
 同姓の二人が揃うと、やはりとてもよく似ていた。

「……髪を切ったんだな」

 弟がぽつりと言った。姉はかすかに頷く。

「元気か?」
「うん」
「よかった」

 あの彼が屈託のない笑顔なんて見せるものだから、私は思わずおののいて一歩だけ後ずさった。しかしそこで視界に入った銃を目に、緊張を思い出す。はて、と思う。きょうだいが会うというだけなのに、なぜ彼はこんなに念入りに警戒しているのか。

「晶、は……? 身体、大丈夫?」
「あぁ。平気だ」
「……」

 世間話をしているようでいて、久本さんがどんどん追い詰められているように感じた。言葉を失いうつむいた彼女に、彼はただいとおしむような目を向け続けた。誰よりも大切な人を見る目だ。それを受けた久本さんは――、なぜだろう、苦しんでいる。

「圭。いまの私のことは、どのくらい知っている?」
「あなたのことは……海間さんに、聞いたから」
「へえ」
「へえ、じゃないよ……なんで……?」

 久本さんが顔を上げた。前髪も切ったようで、以前よりも表情がよく見える。今にも泣き出しそうな。彼はいたって落ち着いて詰め寄る彼女の肩を抱いた。どうやらこういう時にはそうするのが彼のなかでは定番らしい。

「すまない。決めてしまった」

 何を?
 私の知らないなにかがここにある。それを必死になって探そうと試みる。腰に差した銃の重みが私を急かす。
 久本さんは黙って静まりはしなかった。

「私を、置いていくの……?」
「ああ。そのつもりだ」
「なんで」
「おまえが生きていてくれれば、私が死ぬにはじゅうぶんなんだ」

(……死ぬのか、晶さん)

(久本さんのために?)

 距離感が家族のそれではない。そうか。だから彼には恋がわからないのだ。姉がいとおしすぎるから。
 私は涙のない再会を見守りながら、冷や汗をかいた。二人とも精神状態が普通ではない気がしたのだ。私だからわかる、激情と危うさの境界線。彼らはそれを越えている。危ういのだ。今にも決壊しそうな苦しみのもとでなら、人間はなんだってできる。
 玄関先で抱き合うきょうだいを陽光が照らした。夏の陽射しはまばゆいから、私もまた目が眩んだ。その一瞬だった。その一瞬を見逃さなければ、だれも危機に瀕しないでいいはずだった。
 光に撹乱された視界が戻ると、脳裏にまず届いたのが警笛の音であり、見慣れた銀を知覚する視覚情報であった。あれは、そうだ。貸したのだ。久本さんに、私が。

「……晶さんッ!」


2018年3月31日

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