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見上げた空のパラドックス
53 ―side Sora―

 死体袋を、家から少し離れたクレーターへ運び、埋めた。かつて人や町を殺した爆弾によってえぐられた土が、こうして誰かの墓となるのかと思うと皮肉で、私はそこだけ柔らかくなった赤茶色の土の塊をじっと見ていた。
 まったく、彼のもとへ来てからはじめての外出が友人の死体処理のためとは、なかなか寂しくて笑ってしまう。見知らぬ敵の死体は見慣れていても、親しいひとの死を目の当たりにするのは実はこれがはじめてで、それなのに笑えるくらい平静な自分が、同時に薄気味悪くもある。
 そんな私を、一歩後ろから彼が眺めていた。

「……高瀬」
「はい」
「私を恨むのか。友人だったんだろう」
「いいえ、そんな。いいんですよ。……部外者があなたがたの物語に口は出しません。友人なんて作っちゃいけないはずだった。それを守れなかった私が悪いんです」

 私は都合のいい人間だ。異世界人だからとかこつけて、こういう時にだけ部外者面をする。
 でも、友人を作らないつもりだったのは、本当だ。極限まで思い入れを減らそうとした。いつか絶対に去らなければならないから、もう世界に執着することのないよう努めようと決めていた。それが市場の一件であっけなく崩壊し、ファリアに拾われたときにやっと思い出したのだけど、もう手遅れだった。立場の弱い食事係に情が湧いていた。情が湧いた以上、それに抗うほうが後味が悪くなるだろうと思った。思い入れを減らす試みは失敗した。
 いま、私は自らの過ちを喉元に突きつけられている。同時に、疑問も。
 大丈夫か? 私はまた別れを惜しむ要因たりうる思い入れを芽生えさせてはいないか? いま、この世界を捨てろと言われて、はい捨てますと聞き入れられるほどの潔さを保てているか?
 ――さあ、どうだろう。
 振り返ると、青く眩しい髪を帽子で隠した彼と目があった。何も考えていないようで考えている、ぼんやりとした双畔に、私の中のなにかが崩れそうになる。私は強がるふりをしながらもすがっているのだ。死へのあこがれをもって、彼にすがっている。依存していると言い換えてもいい。彼は、まあ何も感じていないのかもしれないけれど、それでも私がどんなに醜く取り乱しても黙って傍にいてくれる人だから。
 泣きそうになって、こらえた。
 そして、口をついて、それが出た。

「……しょう……、さん」
「え」

 彼が目を見張る。
 私も驚いている。
 なぜ知っているのだろう?
 彼が私に名乗ったことは一度もないはずなのに。私は、これが彼の名前であることも含めて、知っている。知っているのだ。思い出したとか理解したとかではなく。

「なぜ知っている」
「……ごめんなさい。私にもわかりません。呼ばないほうがいいですよね」
「……」

 険しい顔つきで、彼が私の手を掴んだ。ぐいと引っ張られ、私は友の墓前から引き剥がされる。ふらつきながらの帰宅。痛いくらいの握力だったけれど、離してくださいとは言えなかった。

「他に何を知っている」

 がちゃんと玄関扉が閉められ、そこでやっと彼が口を開いた。

「他に……?」
「私は名乗っていない。お前が私の名を知るよしはなかった。そうだな」
「は、はい。そうです」
「お前、冰に触れられたことがあるか」
「え……、あ……、はい。あります」
「だったらそれだ……あの野郎……っ」

 こんなに彼が感情を露にするとは驚きの一言に尽きる。私は玄関前で立ちすくみながらばつの悪そうに唇を噛む彼の白い顔を眺める。たかが名前が、そんなに大切な、知られたくない代物なのだろうか。私にはその価値がわからない。
 扉を背にして考えた。他になにか、私が知っていてはならないことを知ってはいないだろうか。例えば、そう、彼の過去とか。冰さんから記憶を受け取ったとき、そこで私はなにを見た?

(ああ)

「……赤い……雨の、」

 つぎはぎの拙い言葉ふたつ。それだけで彼はますます血相を変えた。具体的には私の口を押さえた。言えと命じたのはあなたじゃないですか。不満をもって睨み付けようとするけれど、彼の様子を見るとその気もしぼむ。私、相当な地雷を踏んだ。そう理解するに容易い。
 何秒かの沈黙を経て、私の息を塞き止めていた手が離れ、そのまま彼はくるりと背を向けた。

「……ちょ、晶さんっ」
「呼ぶなっ!」

 言い知れない不安に突き動かされて、足早に歩き出した彼を止めようとした。必死でしがみついて、しかしすぐさまはねのけられる。その勢いは尋常ではない。再び玄関扉に背を打ち付け、しばらく呼吸が止まった。彼がしまったという顔をする。視界、明滅。思わずしゃがみこんで自らの爪先を見つめた。なんて衝撃だ。扉が頑丈でよかった。
 呼吸を取り戻そうとしてむせ返る。

「た、高瀬っ……悪い。無事か?」
「っ……平気です。私は傷付きません」
「悪い……」
「ちょっ、だから、さっきからどうして泣くんですか。悪いのは私なんじゃないですか?」

 きれいな人の涙には必要以上にどぎまぎしてしまう。彼は私の問いに首を振ったきり置き去られた子供のようにいつまでも泣いている。私は焦燥に駆られる。なにか、彼にとっての神域に土足で踏み入ってしまったような気がするのだ。
 とにかくどうすれば彼は泣き止んでくれるだろう。考えて、その肩に手を回した。

「あ、あの……泣かないでください……」

 以前、彼にされたのと同じように、子をあやすように抱擁した。そうしていると少しずつ彼の呼吸が落ち着いてくる。効果があってよかった、と私は細く息をつく。と、情けないことに気が緩んで脱力した。歩いてもいないのに、その場で転びそうになる。

「わっ……っと」
「大丈夫か」
「す、すいません……」

 どうしてこのタイミングで転ぶんだよ。
 恥ずかしすぎるよっ。
 羞恥に身をさらしながら、支えてくれた彼を改めて見る。涙に濡れた目は、しかしもう泣き止んではくれたみたいだ。

「取り乱してすまない」
「いえ、こちらこそ」
「ぜんぶ冰のせいだ。あいつ一回ぶん殴ってやる……」
「えっ。あの、お手柔らかにしないと死ぬと思いますよ……?」

 彼の力は普通でなかった。その細腕からは出るはずのない力だ。彼の異能、なのだろうか。詳しく問うのはマナー違反なので口をつぐむ。

「……高瀬」
「はい」
「説明する。部屋にあがってくれ」

 彼が、覚悟したように告いで、消毒薬のにおいが蔓延る部屋の隅の闇を睨んだ。


2018年2月25日

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