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見上げた空のパラドックス
51 ―side Kazumi―

 鉄と油と塩のにおい。苦味と甘味の混じったなまぐさい味。たぶん、あんなに壮絶な食事は、わたしの人生の中では一回きりだろう。
 わたしは数年前、おかあさんを食べた。
 嘘偽りなくそのままの意味だ。まるでふつうの動物みたいに。皮を剥いで内蔵を取り出して、肉を切り離して血抜きをして、串に差して焚き火で焼いた。内蔵も食べられないかと思って焼いたけど、いやなにおいがしたからやめておいた。おかあさんひとりだけで、わたしは一週間も食い繋いだんだから、やっぱりおかあさんはすごいと思う。
 わたしたちには、お金がなかった。
 戦争が終わってから、この国にはもうぜんぜんお金がないんだって。国が貧乏なら、わたしたちがなにも持てないのだって、あたりまえ。おかあさんがよく言っていた。だから仕方ないの。国を出るためのお金もないから、じぶんで食べ物を探し回って、がんばって、生きていくしかないの。
 なんだって食べたよ。盗みはしなかったから、自分で探せるものはなんだって。だいたいは草や虫。たまに動物が見つかると、とってもうれしい。まえは火薬が安く手に入ったから、みつけた食料は焼くだけの調理がかんたんだ。でもだんだん火薬も高くなって、火おこしだけに半日もかける日が続いたりもした。
 でも、いちばん大変だったのは、水の確保。川に沿って移動して暮らしながら、川水をがんばって浄化して飲むんだけど、浄化には時間も手間もかかるし、できたと思ってもその水がほんとに安全かはまだわからない。においと味をたしかめて、だめだったらやり直し。悪い水しかない地域に行ってしまったら、もう地獄みたいな毎日になる。一滴も飲んではいけない日が何日も続いて、からだがどんどん動かなくなって、それでもし次のいい水場に辿り着けなければおしまい。みんな死んでしまうんだ。
 そして、いい水があるところには町がある。町にとどまりたいなら、仕事が必要だ。おとうさんは出兵して帰ってこないから、おかあさんとわたしだけの、からだの弱った女と子供。そんなわたしたちには、仕事なんてなかった。だったら、お金のある人に飼われればいいのかもしれない。試したことはある。けど、最悪だった。結局、おかあさんと町を逃げ出して、また川に沿って歩く生活に戻った。
 そのころに、そう、いまみたいに、熱波が来た。急に暑くなって空気がからからに乾いて、それで、川の水が――干上がった。
 水がなかったら、周りの生き物が死んでしまうから、食料不足になる。たとえ食料が確保できても、調理がほとんどできないから食べるのが難しい。そもそもわたしたちだって生き物だから、飲み水がなかったら死ぬ。
 おかあさんが衰弱した。もう、疲れたんだと思う。食べ物と水を探して熱い砂の上を歩くだけの毎日か、人に飼われてひどい目にあう毎日か。たったそれだけしか、お金がないわたしたちには選べない。そのことに疲れてしまって、心がくじけたんだと思う。
 おかあさんは言った。
 ――わたしにはもう、食料も水もいらないから、和美、あなたひとりでみんな食べちゃっていいの。わたし、もうどのみち死んじゃうから、せめてあなたに少しでも元気で生きてほしいの。
 わたしはそんなのだめだよと言って返した。おかあさんも生きなきゃ。わたし、ひとりじゃ動物もうまく捕まえられないよ。おかあさんがいないと、寂しくて、元気になんてなれない。
 おかあさんはそれでも頑なに食事を取らなかった。とっくに生きることをあきらめていたから。残された食料がもったいなくて、結局はわたしがぜんぶ食べることになる。わたしの体調は回復に向かう。おかあさんは弱っていく。熱い太陽光が容赦なく目を焼き水を減らす。もう、気が狂いそうな日々だった。
 覚悟していた、おかあさんの死の間際。
 遺言が、いまも脳裏にふいによみがえる。

「大切なものを見つけなさい。そのためなら、なんでもしなさい」

 ――わたしの大切なものはね、あなたの命だったの。和美。だから、わたしはそのためになんでもするの。
 おかあさんはそう言い遺して、自分の死体を、わたしに差し出したんだ。
 泣いた。水も塩も、すごくもったいないのに。泣いてしまった。泣きながらおかあさんの死体を調理した。食べて、食べられないことはなかった。おいしくはなかったけど。
 ありがとう、おかあさん。わたし、おかあさんひとりぶんで、一週間も生き延びたんだから。本当にそう思ったんだ。勝手に死んでわたしにぜんぶ託して、無責任だって喚くには、わたしの心は疲れすぎていたから。あのとき、おかあさんを食べ終えたときの、果ての知れない虚無感が、いまになっても度々わたしを襲う。
 おかあさんの死体を食べ終えて、排泄して、そしてわたしはからっぽになった。それでも、自殺って選択肢は、明確には浮かばなくて。わたしは自棄になって、川からは反対の方角へ歩き出した。最低限の水だけは持っていったんだけど。ようやく暑さの緩んだ“秋”の日に、クレーターの海を、荒野を、どこまでも真っ直ぐに旅した。どこへ流れ着いても、どこでのたれ死んでも、もういいかなあって思っていた。
 そうして流れ着いたのが、ファリアだった。わたしは、狩りをしていた関係で銃や刃物を使えるし、少しなら怪我や病気の手当てもできるし、料理がとくいだ。その力を組織に買ってもらえた。仕事が見つかったということは、暮らしていけるということ。皮肉にも、おかあさんが死んですぐ、おかあさんを苦しめた貧困から、わたしは脱してしまったんだ。
 働いた。食事に困らないし、身体を洗えるし、ひどい目にあうことも少ない。こんなに幸せな生活があっていいのかと思った。でも、わたしだけが幸せになることに、ずっと罪悪感があった。あのとき、くじけてしまったおかあさんを説得しきることができたら、ひょっとしたら今もふたりで生きていられたんじゃないかって。ふたりで幸せになれたんじゃないかって。罪悪感は、働きはじめてから時を経るにつれてじょじょに強くなる。幸せであることがあたりまえになればなるほど、わたしはこれでいいのかなあ、おかあさんはあれでよかったのかなあ、という思考が頭を過る頻度も増えた。
 思い悩むと食欲がなくなる。思い悩んだ程度で食欲がなくなってしまうくらいに、わたしの心は平和ボケして、弱くなってしまっているってことだ。すると、わたしの平和ボケを直すよう神様が仕向けているみたいに、だんだん、体調が悪くなってくる。からだが弱ると、わたしは過去の生活を、そこにあった死への恐怖をまざまざと思い出す。こわい、こわい。
 そんなとき――、戦闘員のなかでいちばん新顔で、いちばん若くて、よくわたしたちを気にかけてくれていたそらさんが――、わたしを治してくれた。わたしに命をくれた。その反動なのか顔を蒼くしてふらふらになって、内緒にしてくださいねとわたしに言いつけた。まるでおかあさんみたいに、からだは弱っているのに笑顔だけ穏やかで、やさしくて。
 お礼を言わなくちゃいけない。おかあさんにも、言えないまま、お別れしてしまったから。今度はぜったいにお礼を言わなくちゃ。そらさんもその日に色々あったみたいで、逢えなくなってしまったけど、それが、なに? そらさんは、まだ生きてる。死んでない。それならお礼が言える!

(おかあさん)

(これが、わたしの、大切なものです)

 そのために、なんでもします。
 だから――、わたしたちはただただ必死になって生きてきたから――、神様がいるなら、報われたっていいでしょうって、ずっと思っていた。
 でも、もう仕方がないから。
 最期まで、おかあさんの遺志を抱いて、わたしはゆきます。


2018年2月14日

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