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見上げた空のパラドックス
49 ―side Kei―

 あれから冰とは話していない。整理したければゆっくりでいいから。そう言っていたけれど、彼も私も弱ってきているいま、そんな時間は実はないのだと思う。明らかに焦ってきている。自分がいちばん療養しなければならない身だろうに、彼は私を置いてあちこち走り回っているのだ。私はというと、空調完備の涼しい医務室の奥に身を移して療養している。
 私の回復は思っていたよりかは速かった。目覚めて一日目、どうにか歩くことに成功したのだ。さすがと言うべきか、医務室の設備のよさは普通でない。水と栄養の適切な補給。それがまだできるほど裕福なのだ。

「久本ちゃん。身体強いなあ」
「……そう、ですか?」
「強い。事情は聞いているが、とてもそうは思えないくらい強い」
「事情、って……」
「永くはもたないんだろう? いま生きてるのも奇跡だって」
「……冰さんから、聞いたん、ですか」
「あぁ。もしものことがあるかもしれないからって」

 私は点滴台をぼんやりと見上げながら、暇に任せて思考を巡らせる。
 私が死ぬかもしれないということを、そんなに明確に視野に入れられるのなら……いったいなぜあんな計画を打ち立てたのだろう。
 久本圭と片山ふみの分離。
 厳密には違う。ふみの精神干渉を駆使して、圭を圭のみの状態に、ふみは元の身体に戻そうと言うのだ。ふみの力にそんな高等なことができるのかと問えば、僕の力を貸すよと冰は答えた。君に、一時的に僕の視界を渡す。そうすれば何をどうすべきかが自ずとわかるはずだから、と。成功すれば、私の寿命は少しでも伸ばせるし、ふみも長らえることができるという。一石二鳥だ。
 ただし、リスクはかなりある。一に、計画を始動するまでに、私が死ぬ可能性。これも決して低くはない。二に、冰が私に“共有”をおこなった際、余計なものまで共有してしまい、私の気が狂う可能性。これを冰は最も危惧していた。“共有”に関しては試す場面が少なく、あまり限度が掴めていないから、失敗するかもしれないと。三に、ふみの力を行使して「関係のない他者の心を殺す」際に、やり過ぎて本人たる圭やふみをも傷つけてしまう可能性。これについては想定すら不可能だ。なにせ、この身体で干渉に至れるほどふみの力を使いこなせたためしは一度もないのだから。その段階をすべてクリアしても、予測できない不祥事が起きる可能性はいくらでもあり、大抵の場合がすぐさま死に直結するだろうとのことだ。
 そんな計画、いつから考えていたんですか? その問いに、彼は答えた――方法自体は対策案第一実験の直後から。計画として動き出したのは、高瀬を拾ってからだと。
 それ以上のことは、まだ、なにも答えてはくれなかった。私と高瀬さんの間にいったいどんな関係があるのか。晶は何をしていて、冰の計画には噛んでいるのかどうか。
 それを知りたければ生き延びろ。
 そういうことのようだ。

「あ、の、班長……」
「ん? どうかしたかい」
「冰さんは……大丈夫、なんですか?」
「千年ぇ? 足の容態は、まあよくはなってないね。悪化はしてないんだがなあ」
「そうじゃ、なくて。いえ、それも、ありますけど……もっと、全体的に……さいきん、顔色も悪いし」
「あぁ。すげえ無茶してるよ、あいつは。そろそろリアル過労でぶっ倒れても文句は言えねえや。やめろっつってんだがなあ。絶対やめねえから」

 水不足に続く熱波の到来で、忙しなく室内を動き回りながら少年があきれたように笑った。

「千年は前からそうさ。やると決めたらやり通すまで譲歩をしない。自分がぎりぎり倒れないで済むラインはわかってるみたいだが。能力だけは未だにすぐやり過ぎんだ」
「能力……共有、ですか」
「あぁ。感知系なんだから感知だけしてりゃあいいものをなあ。干渉は苦手らしい、ちょっとでもやるとぶっ倒れやがる」
「ちょっと、って、どのくらいです」
「んー。あいつに言わせりゃ、“感情の片鱗を印象のみで渡す”らしいが。俺には意味不明だよ。頑張りゃあ自分の記憶全部だって渡せるらしいから、まあ感情なんてちょっとの域なのかもな」

 話を聞きながら思う。そんな状態で、視界を丸々私に貸し出したりしたら、それこそ冰のほうが死に至るんじゃないかと。
 整理したければゆっくりでいいから。彼はそう言ったのだ。整理したければ。私になにかを決めろとはまったく言っていない。私には拒否権がないから、覚悟くらいしておけ、そういう意味のはずだ。
 私はね、正直言って、心底、どうでもいいんですよ。私のことなんて。晶が生きていて、無事なら、それでじゅうぶん。私が生きようが死のうが関係ない。
 でもふみは許さないだろう。
 戻れるのなら、わたしの消失への覚悟はいったい何だったのかと、そしてなにより、わたしのためにちーちゃんが命を削るのかと――泣くのだろう。
 胸が痛い。
 気を抜けば泣きわめきたくなる気持ちと、無気力をともなった虚しさの狭間で、私は揺れている。

「なんだ久本ちゃん、そんなに気になるのか? 千年のことが」
「……色々……聞かされて、しまったので……」
「へえ」

(冰はそれでいいんですか)

 リスクがあることを理解しておきながら。ひょっとすると自分が死ぬかもしれないくせに。私なんかのことで、命をなげうって、彼はそれでいいのだろうか。ふみのためだけにそこまでできるほど、ふみが好きな訳でもないでしょう。ましてや圭など他人に等しい。だったら、どうして、こんなにもあなたにはなんのメリットにもならないことばかりで、人生を築いていくんですか。冰が死ぬことは冰だけの問題には収まりきらない。彼という柱を失えば、ファリアが、特諜が破滅する。特諜が破滅したらこの国はどうなってしまうだろう。考えたくもない。冰の命とはそういう重さを持った代物だ。それを、こんなことで投げ出そうとするなんて。
 そのことばかり気になって、私が計画によってどうなるかといった心配にまで頭が回らない。
 冰のことばかりを、忙しない医療班のみなにずけずけと尋ねた。私の知らない彼の一面があるのかどうか。どこに彼の決意の根源があるのか。しかし、それを判断するに足る情報は得られない。諜報員は秘密主義者なのだ。医療班のみなも、冰の表層の装いは知っていても、計画のことはおろか特諜のことも知らないようだった。あくまでもここの地下で眠っているふみのためだけの部隊なのだ、彼らは。
 知らないことが多い。
 話しはじめてから点滴のパックが三回変えられる頃、私は早くリハビリをしたいとの希望を告げた。


2018年2月13日

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