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見上げた空のパラドックス
46 ―side Sora―

 彼は私を調べている。
 なにをしているかは、私には、よくわからない。ただ言われるがままに麻酔を吸って、やがて目覚める頃にはそれも終わっている。眠っているあいだに何があったかは、聞いても教えてはくれないし、考えてもわからないから、気にしないことにしている。
 あるいは、後遺症のようなものがしばらく残ったりもする。自分で信じられないほど情緒不安定になって暴れてしまったり、普段より増して呼吸がし辛かったり、動悸、息切れ、頭痛。その度に彼は医師のように詳しい症状を私にたずね、余すことなく記録していた。
 目覚めたあとの症状で一番ひどかったのが殺意の増大だ。なんか、もう、世界に生きるすべての人を殺してしまいたくて仕方がなくなって、彼に抑えられながら普段なら思考にも浮上することのないくらい汚い言葉を数時間にわたって吐露した。彼を殺すことはなかった。集中できていないから能力が使えなかったのだ。殺意の収まった頃、また泣いた。さらけ出すことを強制されたじぶんの本質がこんなにも醜かったことが悲しかった。
 投薬によってか精神的なものか、記憶はいくつも落としてきた。だから、この認識が正しいかどうかはわからない。
 でも、私は頑なに気にしない。黙ってやり過ごすのがいちばん楽だと知っている。こんな性質だから彼とうまくやれているのだろう。何より、寝床が与えられているのに文句を言うほど私は贅沢ではない。眠って、目覚めて、なんらか症状がないことを確認するだけの日々も、この世界ではたいへんな贅沢なのだから。
 ふいに、部屋の扉が開く。
 今度は聞かれる前にこっちが聞いてやろう、と私は即座に振り返った。

「今、いつですか?」
「10日夜。おまえの最後の記憶は?」
「……9です。なにかありましたか。あなたを危険な目にあわせていませんか?」
「それは、大丈夫」

 まったく説得力がありませんよ。両腕縛られてるし。

「高瀬、仕事を頼んでもいいか」
「え? はい。できることなら」
「……じゃあ、」

 彼は薬の扱いに特に長けていた。しつこい症状があれば彼の調合した薬によってたちまち治ったし、そういった症状を起こすのもまた彼の薬だ。彼は、薬によって、人の心象を自在に操れる。
 私は能力の性質上、彼の得意分野とは非常に相性がいい。だから、私がしらふの時なら、ちょっと今から言う物質を生成してくれないかと頼まれることも少なくはなかった。彼からすれば相当便利に思われているに違いない。買えば高くつく物質をその場で作れてしまうのだから。彼が私を買った理由として挙げた「薬のため」とは、そういうことだったのかもしれない。詳細はわからないけれど。
 差し出された容器を見つめ、目を閉じる。言われた通りの元素をかき集めて集約する。それをいくつも繰り返して、無数に分子を形作る。これには途方もなく集中力がいるのだけど、どうも最近の私は慣れなのかこの程度のことでは疲れにくくなってきていた。

「……はい。これでいいですか?」
「確かめなければわからないが。ありがとう」

 例を言って、彼が容器を覗き込む。
 彼は、以前よりかは表情豊かになった。ここに来てから約一週間、最初のころはほとんど無言で過ごしていたのが、今ではもう少ししゃべるようになった気がするのだ。それでも、彼から私に話しかけるのは、体調の確認以外では一度もなかったけれど。
 ましてや――

「なあ、高瀬……、少し、気になることがある」
「はい? ……なんですか」

 ましてや、いきなり彼が私にこんなことを言い出すなど、なかったはずだ。

「恋とは、どういうことだ」
「は……っ、はい?」
「……今日、それをしている輩と話したが、理解できなかったから。おまえなら、わかると思った」

 彼は液体のなみなみと入った瓶を手持ち無沙汰に見つめながら、そう問うた。


2017年6月18日 2018年2月12日

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