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見上げた空のパラドックス
32 ―side Sora―

(からだが、かるい)

 暖かな毛布の感触などいつぶりだろう。おそらく、前の世界が最後だから、あの空を差し引いても五ヶ月ぶりほどになる。そんなことを思いながら、習慣づいたまま、私は瞼を持ち上げる。ヒビや煤のないきれいな天井が視界に入る。なんと新鮮なことだろう。
 さて、ここは何処だろう。
 肌寒さに毛布を手放さないまま、上体をゆっくりと起こし、辺りを見る。六畳ほどの部屋。私のいる反対側に、目にも鮮やかな青を見つけた。硝煙の臭いの濃いフルオートを分解しているらしいその人の背中を見つめていると、徐々に霧がかっていた意識が覚醒してくる。そして自分が裸体であることに気づいて、内心慌てて毛布を握り直す。
 ようやく気づいた彼が振り返る。私のそれよりなお深い青の目は、光を灯さず、ぼんやりとしていた。
 私を買って早々に麻酔銃を打ち込み、身ぐるみはがして体内にピンセットを押し込んできた相手だ。はっきり言って得たいが知れず、私はよく言えば慎重に、悪く言えば恐る恐る口を開く。

「あ、あの」
「覚えているか?」

 私が何を言い出すより先に、質問が飛んできた。

「……はい。眠るまでは」
「そうか。悪かった」

 ぽんと渡された謝罪の言葉に、私は面食らい閉口する。謝罪をするということは、対等であるということだ。私を買ったくせに、所有物だと思っていないのだろうか。
 それにしても、謝るくらいならするなと思うし、覚えていなければ謝らないつもりかとも思うし、そんなことはいいから服のありかを教えていただきたいのだけど。

「弾とその破片は摘出した。麻酔、まだ完全には切れていないだろう。無理に起きるな」
「うっ…………」
「どうした」
「摘出……その、すみません……」

 数か月前、同じことがあった。目覚めたとき、身体の軽さに驚いて――ファリアの医療班全員と冰さんが、私の顔を覗き込んでいたのだ。聞けば、「君の身体のなかに埋まっていた百余個の弾丸とその他のものを、すべて摘出した」。私は戦慄した。傷口もないのに、なぜ? 切り開けないのに、どうやって? さまざまな考えが頭を過り、とにかくそれらが正気の沙汰ではないことだけを悟って、震えた。その頃は人の気配に対して敏感になりすぎていたこともあって、すぐに恐怖で頭がいっぱいになる。私は人のいない別室に押し込まれた。それでようやく一息つけたのも、まだ記憶に新しい。
 しかし、後から聞いてみると、震えたのは私だけではなかったと言う。考えてみれば当然のことだ。目から脳へ大振りのナイフを突き立てて、その隙間にピンセットを押し込み、弾丸を抜き出す、とか。そんな施術をおこなって、医療班のほうもしばらく正気ではいられなかったそうだ。
 同じことを、目の前の彼はやってのけたのだ。

「なにがだ」

 思いの外、というよりまったく動じてなどいない様子で、不思議そうに彼は聞き返した。

「……えっと、面倒をかけてしまって」
「構わない」

 ただ一言、そう答えが返ってくる。そもそも何故謝られたかさっぱりだ、という口調だった。私への施術に、たいした抵抗もなかった、とその態度が語っている。私は少しだけ不審に思うも、まあグロいのに慣れている人も多いだろうな、と結論付ける。
 じゃあ本題に入ろうと、私は彼に向き直る。

「あの。なにか服、ありませんか?」
「……洗濯中」
「……上着だけでも」
「わかった」

 彼はあっさりと頷き、部屋の脇のクローゼットを漁る。これだけでは信用性は判断できないけれど、その対応は思ったよりも良心的だった。

「これでいいか」

 ぽん、と投げて寄越されたのは、黒地に所々が紺の、しっかりとした造りの黒の軍服だった。使い古されてはいたけれど手入れが行き届いていて、大切にされていた服であろうことは一目でわかる。どこかで見たことのあるデザインで、記憶が正しければ国軍のものだ。

「え、これ、いいんですか」
「私はもう使わないから」

 もう使わない。
 ここ寧連町は管轄外、つまり殲滅派組織のお膝元であり、彼はここでひとり医者をしていると言う。
 除隊か、はたまた逃亡か。
 そういうことのようだ。
 不思議なのはやはり彼が久本さんの血縁かもしれないという点だ。久本さんはファリアで戦闘員をやっていたから、この町とも国軍とも縁はないはずである。幼少から生き別れたと考えられないわけでもないけれど。

「……ありがとうございます」

 頭を垂れ、もぞもぞと軍服を羽織る。サイズは無論というべきか大きくて、私が着ると裾が膝にまで達する。未だに心もとない格好ではあるけれどもひとまず安堵した私を、彼は変わらずぼんやりとした目で眺めていた。


2017年2月20日 6月12日
2018年1月9日

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