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見上げた空のパラドックス
25 ―side Sora―

「ごめん。僕らは今までにないくらい君を苦しめると思う」

 私は考えている。その言葉が意味するところを。人に謝るなんて到底しなさそうなふてぶてしい少年が、この別れ際になってはじめて改まった謝罪をしたその重みを。私は同時に、またか、とも思った。感知系の人はみんなそうだ。私を救い上げ、使い捨て、謝罪する。理子さんの姿が脳裏にちらつく。ノイズ混じりの電話口から最後に聞いた、ごめんね、という声が蘇る。あなたたちは、いつもそうだ。私はあなたたちに付き従うばかりで、だから反抗もしたくなって、生きて、泣いて。
 苦しめられるのは、慣れた。ものすごく嫌だけど慣れたものは慣れた。その場になれば、また火を放って逃げ出すかもしれないけれど。少なくともキスされた程度で殺そうなんて思うことはもうないと思う。苦しめられることについてはもはや「構わない」としか言えない。どうせ、後になればみんな忘れてしまうからだ。いまの私は市場でなにがあったのかをほとんど覚えていない。言葉が通じずに苦労したような気がする、という程度だ。
 ――慣れてしまっても、死へのあこがれを手放すことだけは、できなかったのだけど。
 彼が謝罪を述べてから、車内には電気の駆動音しか聞こえない。私は黙っているし、彼も私の反応を待って黙っている。

「かまいませんよ」

 結局、これしか返す言葉は見当たらない。

「言うと思った。赦されちゃうとこっちは辛いんだがなあ」
「そうですか、じゃあ、“ふざけんな、おまえこそ死ね”」
「意外と口悪いよね、君って」

 苦笑するように息をついて、彼はまたハンドルを切る。道端には爆弾がけっこうあるらしい。十年前の戦火の残りだろうか。
 こんな世界でも、結局、私の運命は変わらないようだ。

「でも本当に、私を使うならうまくやってくださいね。失敗は赦しませんから」
「慣れた言い草だなあ。今までも似たようなことが?」
「ええ、ありました。懐かしい……、今となっては癒しの記憶です。たった半年前ですけど」
「へえ」

 あの後。篠さんの告白を聞きそびれて世界を去った後、理子さんたちはどうなったのだろう。それが私には見られないのだから、失敗も成功もわからない。私がいくら成功してくれと願っても、意味がないのはわかっているんだ、けど。今もたびたび祈らずにはいられない。
 きっと、私がこの世界を去れば、すべて同じように、祈りの対象となるのだろう。結局は何もかもが美しき思い出に成り果てる。そのあとに残るのは、忘却のみだ。いつかぜんぶ忘れてしまうくせに、積み重ねる意味はあるのだろうか。
 ない、と、今の私は答える。
 だから、死にたいのだ、と。

「死んで過ぎ去ってしまえば、そんな美しき思い出になれるのか」

 私の心を読んだように冰さんがつぶやいたので、どきりとした。笑っていない、彼にしては珍しい冷淡な声だった。つい本音をこぼしてしまった、とでもいうような。

「……死にたいんですか? 冰さん」
「ん〜? どうだろ。昔は死にたかったかもね。周り中から生かされてたから。反抗期ってやつだ」
「今は?」
「そういうことは考えなくなった。何も迷いようがないんだ。未来が見えるから」

 あっさりと言ってのけた彼の表情は変わらない。

「大変ですね。迷わないのは、人生面白くないでしょう」
「君が少しは驚いてくれたら今のは面白かったが」
「……。え、未来が見える? どういうことですか?」
「遅いし棒読みすぎるよ。……君くらい迷ってたら、それこそ大変だ。僕はこのくらい軽口言えりゃ、面白いよ」

 心外な。悩み多き年頃なだけです。あなた方みたいに反抗期過ぎるの早くないですから。真っ只中ですから。
 久々に笑えて、私は穏やかな心地で満たされる。できれば、このままのムードで走り続けていたかったのだけど、やっぱりそれは叶いそうにない。遠く先に町の影が見えてくる。あれが寧連町だ、と彼が言った。
 寧連町。耳慣れない町名に、管轄外ですか、と聞くと、彼はあっさりと頷き返した。国軍管轄外の町は地図に載らないのだ。

「もうすぐお別れだなあ」
「だと、いいですね。私の美しき思い出さん」
「きざったらしいなあ、それ」

 あっと言う間に町に入り、私たちは降車して車の周辺に入念に盗み避けの罠を張る。それから町の中心部へ向かってしばらく歩く。
 満足な整備のされていない街路には、うず高く砂埃が降り積もっている。所々の家は一部が倒壊していて、瓦礫はそのまま放置されている。希に、厳めしい武装を背負った兵士らしき人が巡回しているのを見かけた。この町は今、ファリアとはまた違って少し貧乏な殲滅派組織に統治されているらしい。

「そんな身構えなくていいよ。なんかあったら守る」
「守らないでください。今のあなたを走らせたくはありませんから」

 いいのだ。どうせ傷なんてつかないから。体内に入り込んだ弾丸だけは消えずにしつこく私という存在への疑問を投げ掛けてくるけれど、まあ、あれだけの量の弾幕を浴びてもなんとか生きているのだ。苦しいだけでどうということはない。
 彼は、そんな私を目にくすりと笑んで、しかし何も言わずに先を行った。
 そういう思わせ振りな仕草はやっぱりよく似ている。けれども、彼と理子さんは、同一と言うにはどうにも違いすぎると感じる。似てはいるが、それは面影があるという程度の話で。倖貴と桧さんほど雰囲気が酷似しているわけではないのだ。
 なぜ? 世界どうしが離れているから?
 わからない。

「……感知系の奴等は、多かれ少なかれ、他世界のことがわかる」
「え?」
「同じって、自覚すると、違うものになりたくならないか。他のみんなとまったく同じ。かけがえのある自分。それが寂しい。って、変じゃないでしょ? そういうことさ」
「なるほど……?」

 確かにな、とは思えど、共感には至らなかった。私は逆に、自分が異質であることに抵抗があるタイプだから。他のみんなと同じ、かけがえのある自分が理想なのだ。高瀬青空個人としてよりも、人間として、ただの少女として、学生として、兵士として。そういう風に扱ってもらった方がよほど気が楽なのは、“高瀬青空”には多くの負い目があるからか。あるいは何かの一部でいられれば孤独が紛れるからか。
 彼は曖昧に、笑みに似た表情を繕って、そうか、わからないか、と続けた。

「解らないなら、その方がいい」
「そういうものですか?」
「君の記憶が消えるのだってそういうものだ。君は、解らない方がいい、忘れた方がいいものを的確に忘れるようにできてる。羨ましいよ」

 そう言を紡ぐ彼の目は暗かった。彼は、見えている事実を秘めることがまだできるほど、強くない。強いふりができるほど、彼女ほど、器用ではない。
 思いつつ、ゆっくりと歩む。彼の苦しまない速度を心がける。

「ありがとう、高瀬」
「唐突なうえ珍しいですね。明日は雪ですか」
「それ、死語だよ。本当に雪が降ったら不謹慎だし厄介だ」
「う。すみません……で、なにについてですか」
「未来についてさ」

 埃を含んだ風が砂を巻き上げ、がたつく建物に吹き付ける。まだ街の郊外。使われているのかも知れない住宅ばかりが連なる中、彼はふいに歩みを止めて振り返る。短い黒髪がわずかに揺れる。
 ざわり。予感が過る。私だって、さんざん、さんざん辛酸を舐めてきた。このくらいわかる。わかるよ、だけど。私はただ彼の暗い目を睨む。身を引きはしない。逃げようとして逃げられるような相手ではない。彼はきっと燃やしてしまったあの人たちよりよっぽど腕が立つ。

「受け取ってくれ」

 一歩。彼は私に向かって踏み出し。もう彼の身体は寄り添うくらいの近くにあって、しかし私は動けず、立ち尽くす。


2017年6月9日 2018年1月6日

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