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見上げた空のパラドックス
24 ―side Sora―

 お久し振りです、皆さま。お元気でいらっしゃいますでしょうか。
 ああ、今日が何月何日なのか、なんてことはすぐにわからなくなるものですね。変化のない暗がりの真ん中で柱にくくりつけられたままじっとしていては当然かもしれません。まだ記憶には辛うじて残っているあの一週間はまだ人の出入りがあったから時のたつのがわかったけれど、今回はそれもごく稀なこと。監禁のまま放置されるのは我ながら初めてだから、その苦しみはいまやっと理解しました。比べるものではないのでしょうけれど、下手な仕打ちを受けるよりこちらの方が精神にはこたえるかもしれません。
 さて。
 いつの間にか止めていた呼吸を戻し、閉じていた目を開いて、顔を上げ、まだ自分が動くことを確かめる。こればかりは本当に不思議なことで、私が自分をヒトであると意識するうちは息をしなければ苦しくてたまらないのに、頭を空にしていると呼吸がなくても苦しくならないのだ。空腹もなく、眠気を感じもしない。ずっと死んでいるような状態に、私はなることができる。それはこの世界に来て初めて知ったことだ。いや、篠さんと出逢うよりもっと前、あの蒼穹にいたころはずっとこうだったのかもしれないけど。
 私が顔を上げると同時、軋んだ金属の立てる耳障りな音が暗がりを走査した。

「こんにちは」
「朝だよ。夜明け前」
「おはようございます」
「うん、行こうか」
「……くさり」
「外せるでしょ?」

 がらがらと牢の戸を開けた黒髪の少年は、ろくな挨拶もせずに再び踵を返した。その歩き方に違和感を感じて、私はとりあえずはと後ろ手を縛る鎖に意識を集中する。物質間の結合を無理矢理に引き剥がすと、呆気なく鎖は砕け、私は解放される。脇に置かれたままの青のリボンをつかみ、ふらつく足を無理に立たせて前を行く彼の背を追う。
 ふっと、前触れなく涙が落ちた。長い監禁状態という緊張が急に緩んだから、反射的なものなのだろう。感情は、あまり揺れていなかった。だからただ黙ってそれを拭う。
 沈黙に任せて歩き、連れられるままに旧い舎を出て車に乗り込む。そこでもやはり違和感があって、ついに私は口を開く。

「……あの、冰さん」
「なに?」
「よかったら治しましょうか、足」

 彼は電気自動車のエンジンをかけながらちらりと私を見る。

「周りにあやしまれるから、遠慮するよ」
「……それもそうですね。お大事にしてください」

 車はゆっくりと動き出し、門を抜け、クレーターの点在する荒野に唯一造られた砂道をまっすぐに進んだ。
 この世界に来て半年が経とうとしているけれど、私はいまだに不思議だなあと思う。日本、北関東と言えば、まあそんなに田舎ではなかったはずだ。人々が、道が、建物が、植物がそこにはたくさんあったはずで、その何もかもが言語の変遷も乏しいほどの短期間で更地に変わってしまった。聞けば、いま老齢の人はだいたい私がいたのと同じくらいの時代を過ごしていたというから、たった数十年の話だ。たった数十年で、東京の公用語が英語になり、軍備と人身売買が合法になり、核が世界の土を焼き払った。
 原因は異能者の出現。出現って言ったらおかしい。その存在の発覚だ。なにがどうひっくり返ったのかわからないけれど、人々は異能者を殺し尽くさなければならないと信じたらしい。そして、テロが、紛争が、虐殺が、世界各地で引き起こされた。あれだけ固く平和を誓っていたこの国でも。
 篠さんたちの世界もいずれそうなるかもしれないと考えてしまうと――すこし辛いのだけど。どちらにせよ、私はなにもできないから、考えないほうがいい。考えるなら、未来のことを。

「行き先のことを聞かせていただけませんか?」
「何から聞きたい?」

 聞かれるのがわかっていたからだろう、返答は素早い。

「どんな人ですか。バイヤーって」
「名前は教えるなと言われた。性別は男、僕と同い年、職業は医者」

 名称不明の少年らしい。この時世、名前を言わないくらいは珍しくないのかもしれない。

「若いんですね」
「そうか? ……ああ、君の時代だとそうなのかな。今は中年がほとんどいないから、16で医者ってのも珍しかないよ。二極化ってやつだ」
「えーと……徴兵のせいですか」
「少子化ってやつもあるね」
「むかし習ったような習っていないような」

 事あるごとにジェネレーションギャップだ。私、まだ12なのに。逆にずいぶん過去へ降りてしまうこともあるのだろうかと思えば楽しいけれど。いまは、年上であっても時代的には相当あとの人達だから、若干の感覚のずれは常にある。特に大きいのは倫理観のずれだろう。
 久本さんと組んでいた二ヶ月、人を殺したこともあるけれど、久本さんの死者を見る目はまったく生き物を見るそれではなかった。臭い肉の塊としか思っていない。死体は早く除去して洗わなければ感染症の温床になるからと、肉を回収して洗ったことも一度や二度ではない。その度に私が黙って泣くのを、彼女は心底不思議そうに眺めていたものだ。

「医者なのに、私を買うんですか。どうして?」
「それ、訊いちゃうか」
「覚悟くらいしたいですよ。どうせひどい目には遇うんでしょうし。ファリアでもさんざんでした」
「違いないな。でもまあ、やつに君を引き取ってよって言ったのは僕なんだ。別に彼が君を買いたくて買ったわけじゃあないから――、あっ、やべ、備えて」

 バンドルが切られ、加速度が急に増して背中がシートに吸いこまれる。車体ががくっと揺れ、なにかを撥ね飛ばして進んでゆく。咄嗟に後ろを見ると、サッカーボールほどの大きさの石がごろごろと転がっていき、その跡地だと思われる場所から派手に爆煙があがる。重い音が車内にまでぐらぐらと響いてくる。

「焦ったあー。平気か? 高瀬」
「はい。別になんとも」
「よかった。で、なんだっけ」
「この取引があなたの我が儘だという話です」
「言い方きついなあ。そう、それで、君には先に謝っておきたい」
「あやまる?」
「うん」

 加速度が、ゆっくりと緩み、爆煙が遠ざかってゆく。


2017年6月2日 2018年1月6日

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