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見上げた空のパラドックス
22 ―side Kei―

 思えば、こういうことは何度もあった。私がはじめて弟のものだった鎌剣を握り、五人の命を手にかけた日から。私が複数人分の異能力を手にした日から。
 なにか大切なことがあったような気がするのに、なんだったかわからない。あるいは、ありきたりなものがやけに価値を帯びて見える。いつのまにか何かが苦手になっていたり、好きになっていたりする。そんなことは頻繁に起きた。自分はそんな人間ではないと思っていたのに倫理を無視した行動を取った経験は幾度あるか知れない。
 要するに、私は久本圭本人ではないのだ。
 そう気づいた日から、私は自分が信じられなくなった。同僚と、弟と、笑い合うことができなくなった。怖かったのだ。私が殺し、取り込んだのは、彼らを迫害した大人たちの魂なのだから。他に取り込んだ人間と言えば、

「ふみのことは、よく知らない」

 明るい子だと思っていた。私も話したことがあるし、笑い合ったことも、訓練に付き合ったこともある。常に笑顔を絶やさない、活発な、そして任務に妥協しない子だった。自分がどんな目に遭うとしても任務をかならず完遂して返ってくる。被虐にあって弱音を吐いたのも見たことがない。責任感が強いのだろう。恐怖によって特諜に従う子ではなかった。頑固で、意思のある、強い子だと思っていた。
 心を病んだと聞いたときは耳を疑った。実験前、彼女と顔を合わせるまで確信が持てなかったくらいだ。
 彼女は生気のない顔をしていた。笑うことはあるけれど、そこに明るさが見いだせることはもうなかった。常にぼんやりしていて目の焦点が合わない。別のことをずっと考えていたのだと思うけれど、今となってはそれもわからない。原因も、知らない。彼女の能力が感情の操作で、その性質上、原始的なことであれば、わずかに他者の感情を読み取ることができたと言う。それが関係しているかもしれない、と推測するのが精々だ。
 今の私はその力の片鱗しか使いこなせない。運が良ければなにかわかるかもしれない程度だ。それでも、他の能力は全くと言っていいほど使いこなせないのだから、相性はかなりよかったと言っていいのだろうけれど。

 わたしは探られている。たぶん、ふみのことで。

 そのくらいの見当はついた。灰野が見せたあの反応。冰がプロトタイプを大事と言う由。私には身に覚えがない以上、可能性があるのは圭ではない他者のことくらいだ。いくら一課と二課の間に交信がないとは言え、冰が上層部にいるならば、何らかの接点があっても不思議ではない。それで冰の年齢を思うと、何年も前に私が殺した大人たちとの接点はさすがにないだろう。

(だったらどうする)

 理由を探るまでだ。
 彼らはおそらくなにかとんでもないことを企んでいる。私を蚊帳の外にしながら、私を巻き込んだなにかを企んでいる。
 対策案第一実験日に灰野が逃亡した理由が、異能者を殺すためでないのなら。そしてその灰野に協力する冰が、私をここまで呼び出したというのなら。プロトタイプを必要とする何かがここにあるということだ。
 この二年間、ずっと――あの日の虐殺の理由を弟に問いただすつもりでいた。けれど、私は近しい立場上、彼の調査に駆り出されることはなく、できることなど他者が本部に持ち帰ってくる情報に耳を澄ますくらいのものだった。任務でファリアに赴いている今はなにもできないに等しく、さらに冰という監視の目に囚われている以上、どうやらそれも後回しにしなければいけない状況らしい。
 宿舎のベッドの上、銃と剣の清掃をしながら雨風を聴いた。
 雨が苦手なのは、わたしのなかの誰だろうか。思い出せないということは、私ではないはずなのだけど、それも定かではない。我ながら記憶にも人格にもまったく自信がないのだ。大人数を取り込んだせいもあり、実験時の薬の副作用で一度色々なことを取りこぼしているせいもある。
 考えていると、やはり気分が悪くなってきて、私はそそくさと武器の類いを片付け、灯りを消した。
 違うのだ。私とふみはもう別人ではない。混ざってしまったのだ。区別して考えると頭が痛む。わたしは誰だ。わからない。そんな簡単なことが、いつまでもわからない。このまま死ぬまで、圭でありたい何者かであり続けるのだろうか。わからない。未来を思うと、恐怖が押し寄せる。

「眠ろう」

 声に出して、強制的に思考を止めた。
 明日は晴れることを願って、もう一度だけ窓を見た。


2018年1月6日

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