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見上げた空のパラドックス
20 ―side Kei―

 医務室。私はあまり来ないほうだけれど、まあ来たことがない人員というのもいない。
 この組織内で最重要とされているものこそ医療体制で、その次に水と食料の確保が続く。殺しが仕事であるわりに人に優しい、というのが多くの人員から見たこの組織の印象だろう。
 そんなわけで、感染症を持ち込まないためにも、医務室へは最低限の検診に通わなくてはならないことになっている。それとはまた関係なく医務室に通うとなると、ほとんどが冰のようにΑだった。Β以下の人員となると、病にかかれば切り捨てられることのほうが多い。薬一錠と一ヶ月分の安全な暮らしが等価である時世では、生かすメリットが組織にない人員はさすがに抱えられまい。
 生かすメリットのある者。冰はその中でもとびきりの価値を有しつつ、最もここを頻繁に訪れているようでもあった。彼が扉をノックし、深夜にすまないが冰だ、と告げたとたん、扉の向こうから「また千年かー」と聞こえてきたのだから間違いない。私個人の価値観ではあるけれど、名前でしかも呼び捨てって、かなり仲がよくないとまかり通らないのではないか。
 おののきながら入室すると、深夜にも関わらず数人の青年が暇そうにしていた。医療班の人員はたしか10名だから、半日交代で常にいるのかもしれない。それはいいのだけど。

「びっくりした、千年、女と組んだってマジだったんだ……ぽっち卒業おめでとーう」
「で、どこまでいったの? 長年ぼっち貫いておきながらいきなり女ってそういうことだろ?」
「いや千年が女の子エスコートは無理だと思うが」

 空気がおかしい。
 カジュアルすぎるし、全員が私を見ているし、なにやら冰がボロクソ言われている。
 硬直した私の隣で、冰が息をついた。

「安心してくれ。何も始まる予定はないよ」
「はあ〜? お前それでも男か?」
「くだらないこと言うなよ。男だろうがなんだろうが僕は僕だし、女だろうがなんだろうが圭は圭だろ」
「呼び捨て……! 呼び捨てだってよ奥さん!」
「奥さんて誰さ」

 蒼い顔色のままやる気のない突っ込みを入れる彼は、いつもよりは少しばかり楽しげで、私は内心戸惑う。正直言って暗い奴だと思っていたのだ。胸のうちにずっと膨大な闇を抱えて、その重みのもとで過ごしている奴だと。楽しむそぶりなどついぞ見せたことがなかった。
 彼がちらりと私を見たので、私はかすかに頷いて固めた細胞をもとに戻す。冰は痛みに辟易するようにみたび息をついて一歩踏み出した。

「圭の紹介に来たわけじゃないんだ」
「見りゃわかるって。ま、突っ込めるくらいには元気そうで何よりだ。オーバーワークか? 足はどうした」
「撃たれた。ってもかすっただけだ」

 一拍おいて、担当医らしい青年が叫びだした。

「……えっお前に弾丸当てる奴がいたのか!? えっマジか誰!?」
「驚くなよ。誰でもない」
「はー……あれか? 発作中に襲われたとか?」
「そりゃ死んでるわ。別に、普通にだよ」
「えええええ……え、診せて診せて」

 促され、冰がベッドの傍らに腰掛ける。ぎしりと軋む音と共に彼はいよいよ顔をしかめた。痛むのだろう。

「おーマジだ。お前が撃たれる日が来るたぁ感慨深いな……」
「どんな感慨だ」
「いよいよ弱ってきたなってこった。治る傷でよかったな」

 いよいよ。その言葉で、私は色々なことを察した。まず医療班は間違いなく冰の力のことを知っている。そうすると、この異能者殲滅派組織を装ったまったく別の“なにか”――その中枢を担っているのは、私がいま知る限りでは、灰野と冰、それから医療班の皆ということになる。他の人員はおそらく純粋に殲滅派として戦うために此処にいる。高瀬さんの件を思えばΑ員もほとんどそうだろう。異能者の存在など許されないという信念に基づいていない者は、戦闘員のなかでは冰しか見たことがない。
 私があまりに無表情で突っ立っていたからか、暇そうな他の医療班がわらわらと寄ってきて、私に椅子を進めた。さすが医務室、特に必要なさそうな家具までばっちり揃っているらしい。

「久本ちゃんも二階級特進の大物だしねー。あんなんに目ぇ付けられて大変だろうけど仲良くやってよ」
「え……あ、そう、ですね」

 二階級特進、って。なんて不吉な言い方をするんでしょう、このひとは。

「まー久本ちゃんも色々ありそうだけど、あんま気に病むなよ。千年はあやしいが、案外ただの阿呆だぜ」
「あやしくないよ」
「否定すんのそっちかい」
「……かなり……あやしいと思います」
「ほら、相棒さまが言ってっぞ。また無駄に煽ってんじゃねえの?」

 傷口に薬を塗られながら冰がこちらを、正しくは私に向かって話している青年を睨んで口をつぐんだ。こうして見ればなるほど他愛もない少年のようで、私はわずかに安堵をおぼえて肩の力を抜く。ひどく人間離れした相手に、知らぬ間に怯えていたのかもしれない。実際は、彼もまた人間だということだった。
 懐かしさがある。こんなに打ち解けた明るい雰囲気を目にするのはいつぶりか知れない――特諜二課の訓練場はこんな感じだったな、と思い出す。そこにはわたしたちがいて、笑って話して銃を取って、共に迫害を受けた。それも今の私が思い出すには一苦労する光景だ。過去のわたしたちのことを考えると、いつもすぐに気分が悪くなる。
 考えるのをやめた。懐かしさも感じないように。思考を止めてうつむく。整備された椅子に乗った自分の脚を見つめて、呼吸をひとつ。落ち着く努力をする。

「久本ちゃんは苦手かい。こういう馴れ馴れしいのは」
「……いいえ。少し、驚いただけです。仲が良いんですね、みなさん、冰さんと」
「ああ。千年くらいしかそうそう来ないもんな。いつも暇潰させてもらってんだ」

 ――違う。
 めったに働かない私の“視覚”が、そのとき確かに青年のもとに揺らぐものをとらえた。
 青年はこう言っているけれど、それだけではない。冰はそれだけのことでこれほど気兼ねない関係を他者に許すような人ではない。なにか、あったはずだ。彼らに信頼を許すほどの理由が。
 探ることを決める。

「冰さん……からだ、弱いんですか」

 問うと、青年が大袈裟にぎょっとして、

「ありゃ。おい千年、そういう大事なことは最初に言っとけや。大事な女なんだろ」
「そうだね」
「認めただと……!」
「代償疲労は多いほうだが、干渉を控えれば大したことないんだ。心配しなくていいよ、圭」

 冰が言い終わるあたりで、傷の処置が終わり、医師が呆れたように肩をすくめる。デスクを漁り、すぐ取り出せる場所に常備しているらしい薬を一掴み、冰に手渡した。先程から戦慄してばかりの私はひときわ戦いて目を見張った。医薬品――いくらすると思っているんだ。ああもポンと渡すなんて。それを意にも介さず、医師は眉をひそめて文句を垂れている。

「控えねえだろ、お前は」
「ごめんって」
「ごめんじゃねえ。お前にやる気がなきゃ治るもんも治らねえんだよ」
「ああ。いつも心配かけて悪いな」
「素直にあやまってんじゃねえよ。少しは言い返しやがれ」
「その言葉に言い返すにはどう言やいいんだ?」
「知るか!」

(楽しそう、ですね……)

 私は思わず身を引きたくなる。彼らの間に入って行けない雰囲気があったからだ。そもそもそれ以前から医療に関する事柄については気が進まないのに、こんな……いや待て。なにか見落としている気がする。
 彼らをじっと見て、入室してからここまでの流れをもう一度思い浮かべる。ここではっきりしたのは、彼らが冰とかなり親しく、力についても知っていること。私への接し方を見るに、おそらく特諜のことは知らないか、知っていても表面くらいだろうこと。冰の代償疲労が激しいこと。あとは――
 発作、と言ったか。
 懐かしい言葉だ。何らかの持病がないかぎり、異能者についてたんに発作とだけ言った場合には、制御しきれない能力発現当時に多い突発的な能力の暴発のことを言う。私も昔はあったような気がするし、珍しくはないだろう。しかしここで疑問が出てくる。感知系の発作って、なんだろう。感知系とは一口に言っても観測と共有、二つの力を有するものだと昔に習った。発作が起きるとしたらどちらなのか。両方なのか。

「おい、圭」

 一人思考のどつぼにはまっていると、冰が話しかけてくる。

「はい」
「帰っていいよ。僕はこっちに泊まってくから」
「え、」

 それは俗に入院と呼ぶのでは、とか、私は一応監視対象なのに一晩も離れていて大丈夫なのか、とか、いやむしろ彼こそ私を追い出して仲間内で何かするつもりかも、とか、さまざまなことが頭に過った。

「勝手に行動したらただじゃすまないからよろしく」
「はっ、……はい。了解しました」

 にっこり気味の悪い笑顔でそう言い付けられたので、これは何かありそうだけれど黙って逃げ帰るしかないな、と私は途方にくれた。
 一礼し、宿舎へ戻るべく傘を開く。


2018年1月5日

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