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見上げた空のパラドックス
15 ―side Kei―

 上着を叩く水滴が煩い。鈍色に淀んだ空のもとに立って、黒々とした水面を睨んで、私は白い息をつく。暦の上では一応いまは真夏のはずだけれど、なんだか急に寒くなった。これがただの雨だけによる寒さであればいいと願う。異常気象は怖い。飢饉で人が死ぬし、なにより異能者が増える。
 遠く見えていたテントへ、十分に近づく前に銃声がした。向かってくる弾丸を固めてしまうのはもう癖のようなもので、一瞬前まで弾丸だった物体が眼前でぽとりと池の中へ落ちた。反射も屈折もしない物体なので、あちらには外れたとしかわかるまい。
 両手を挙げ、交渉する。なにをしているんですか。お話を聞かせていただけませんか。話しながら近づき、敵意のないことを証明するためいったん武装を手放す。
 姿を現したのはひとり。見るからにやつれた、そしてとても大柄な人で、先程見つけた死体とまったく同じ格好をしている。たぶん、この国の人ではないようだ。
 彼らは慎重かとも思ったけれど、期待はすぐさま裏切られる。
 助けてくれと言った。訛りの強い日本語で。

「……どうかされたのですか?」
「金桐町のことは知っているか」
「ええ」
「あの町に物資をほとんど残して逃げてきたが、誰とも連絡がつかない。孤立している」

 語彙だけはあるなあ。

「私を信用するのですか」
「あなたが敵であれば、私達に命はないだろう。藁にもすがる心積もりだ」

 そう言いながらそちらは武装しているのだから、ようは体のいい脅しである。
 私はしばらく黙って考えた。いま変に動きを見せれば十中八九撃たれる。彼らの話に乗ればいいのか否か。生かして捕るにはこの話は都合がいい。乗ったとして、万一のとき即座に拘束することは可能かどうか。

「どうすればよいのですか」
「私達をどこか町へ届けていただきたい。無理なら、少しでいい、食料を分けてくれないかと思う。そこにある武器や弾薬でよければ、いくらでも差し出す」
「わかりました。かまいませんが、武装はすべて解いてください。話はそれからです。他に人がいれば姿を見せてください。もちろん武装は許しません」
「おれ以外は日本語ができないが」
「問題ありません」

 普段の数倍ははっきり喋っていると思います、私。多かれ少なかれ、信頼できない者に対する威圧は必要だ。
 テントから残りの四人が這い出てくる。全員が私に手のひらを掲げた。私の言った通り、銃も爆弾も身に付けてはいないように見えた。しかし、油断はできない。誰もに異能者である可能性がある。
 私はみなの前で一度は捨てた剣を拾い背負う。何人かが、驚きを表情にあらわした。違和感。

「Turn slowly with not putting your hands down」

 脅しを含みながら念には念を入れて確認するも、どうやら本当に丸腰なことには間違いないようだ。

「...All right. Please follow me」

 それでもやはり背を向けたくないので、みなを先に歩かせ、車に向かう。雨水に踏まれながら、雨水を踏んで進む。点に見えていた車がじょじょに大きく見え出し、そこでふいに先頭の男が立ち止まった。私は剣の束を握り、男達よりいくらか離れた場所に留まる。沈黙。すぐ、再び歩き出す。違和感。
 これは確かに一仕事ありそうだ。
 ちらりとそう思った矢先に、案の定、ことは起こった。
 爆発音が響く。私はまず車を守るように壁を作り、それから湿った地面に伏せ爆風が収まるのを待つ。どうやら火薬によるものではなさそうで、炸裂した雨水のみが弾丸となってガラスの壁を叩いた。威力は高くない。壁が壊れる度に修復する。視界が悪いから、ばれてはいないことを祈る。その間に、たたたんとリズミカルな銃声が耳に届いた。車から冰が撃ったのだろうとすぐにわかる。弾丸に破壊され尽くしたガラスの欠片がきらきらと散る。

「圭! ひとり逃したよ!」
「了解!」

 叫び、息を整え泥水を蹴った。足元の確認の他は視界に頼ることをやめ、能力による第六感と聴覚にすべてを委ねて駆ける。ひとりぶんの、水を跳ねる足音が耳につく。雨音に紛れてしまうような限りなく隠密行動に洗練されたそれは、同胞にしか聞き取れない同胞の音だ。一般の兵士にこの音は出せない。警戒を強めながらも構える暇を与えぬよう一目散に飛び込む。
 背にあった鎌剣を逆手に持ち、相手に向け一閃させる。ただし厚い峯側での打撃にすぎない。大きく弧となって歪曲する刃の外側を振るえば、こいつは剣でなく打撃武器になるのだ。ぶおんと鈍く風を切る音がする。かすっただけで、獲物は逃げる。信じがたいほどの俊足である。

(……身体機能補正薬ですかね)

 彼らの正体を察してうんざりした。
 私は刀の角度を変えて持ち直す。内側の刃を振るえば、こいつは剣かあるいはフックだ。もともと人の首を跳ねる専門の造形であるらしいが、あいにくこいつにそこまで派手な切れ味はない。代わりに、背後から忍び寄り獲物を捕らえることにおいてこれほど優秀なやつもいない。自らの情報を誰にも与えられない諜報任務中に、間違って殺す可能性も高いうえまっすぐにしか攻撃のできない銃を使うなんていうのは、邪道もいいところだ。銃はせいぜい脅し道具くらいで妥当。こいつと長年やってきた私はそう思っている。もちろん、彼らのように薬を使えるならそちらがよほど楽ではあるけれど。
 引っ掻けたモノは刃の内側に収まり、それ以上進むことなく足を止めた。正しく言えば進むことができなかった。膝下をきれいに割かれていたからだ。
 まあ、いろいろ言ってもたしかに弱い刀だ。汎用性は高くなく、強度もそこそこで、切れ味がない。手入れが楽ではないし、携帯にも不便だ。でも、こいつがいないと私はなかなか人をとらえきれない。飢饉と技術廃退に歯止めのきかない日本の民であり、女性である私には、屈強で技術水準の高いユーロ男を腕力で拘束するのは至難の業なのだ。

「……数奇な偶然があるものだ」

 男がもごもごとつぶやいて私を見上げた。

「なんのことでしょうか」
「われわれは貴女にお会いしたいと思っていたのだ。プロトタイプ」
「…………いやな呼び方をしないでいただけますか」

 剣を振って男を昏倒させる。こめかみにもろに打撃を食らった男は、びくりと痙攣して白目をむき、泥水に半身をさらした。一拍だけおいて、降車した冰が手ぶらで走ってくる。思わず戦いた。倒れたとはいえ敵がごろごろしている場所で武器を置いてくるとは正気を疑ってしまう。しかし臆面もないことを見るに、冰には男達が完全にノックアウトしたとはっきり見えているのだろう。
 冰と二人で大男五人を点検し、服のなかに隠し持った毒物や諜報機器の類を回収する。それが終わると男どもを適当に動けないくらい殴ってから車内へ運び、粘着テープで拘束し、後部座席やら床やらに横たえておく。

「こいつら、“特諜”だな」

 その作業中、冰が言った。私は軽くうなづいて返す。

「ユーロ情報軍のひとたち……ですね。身体機能補正薬、飲んでいるみたいで」
「うん。いいご身分だなぁ。一錠売れば日本じゃ一ヶ月は暮らせるっていうのに」

 欧ではウン十年前から薬の技術革新がめざましい。ひとを殺す毒ではなく、兵の質を上げ、任務遂行を楽にするための薬だ。水爆がどうだミサイルがどうだといった時代は、幾年前の戦争で西の大陸の真ん中がでろんと溶け大穴が穿たれてからというもの、とっくに終わった。今はともかく地球上の生態系を傷つけてはならないといった意識が世界中にある。核兵器をまだ隠している国は多いだろうけれども、使われることはまずないに違いない。異常気象と前時代の化学兵器濫用によって長引く飢饉で、どこも少なからず飢えているからだ。疲れはてたゆえの停戦。また抗争がはじまるとしたら、十中八九、水と食料の奪い合いだろう。異能者のことを気にしていられる時代も、実は終わろうとしているのかもしれない。
 ユーロの薬の革新は、戦士も含めた人民が弱りつつあるなかで、彼らの健康と生存のためにというのがいちばん大きい。私達は、その技術を盗んでは国に持ち帰り、凌駕しようと独自に研究を進めてきた、らしい。らしいというのはそういった研究がいまだ機密事項だからで、ではむしろなぜ機密を知っているのかといえば私がその機密を保持する機関に属しているからだ。
 とどのつまり、いま後部座席で伸びているやつらは私達特諜の先達であり宿敵なのである。

「うちのことはほぼ知ってるみたいだし……とりあえず適当に喋ったら、ある程度口止めして返してやるかな。殺したら反撃が怖い」

 タイヤが泥を穿ち、徐行がはじまる。


2017年12月15日

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