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見上げた空のパラドックス
13 ―side Kei―

 早起き癖に任せて、まだ眠る冰の傍ら、着替えを終えた私は思案に暮れていた。
 冰千年とは間違いなく敵であり、監視下に置かれた今とはかいくぐるべき逆境である。しかし、厄介なのが、彼が特諜出身で且つ見たところ非常に優秀であることだ。私は特諜のために動くわけだが、彼が特諜にとって有用な存在と見なされている限り身動きがとれない。彼の裏切りをどうにかして伝えなければ、はじまらないのだ。どうあれ一度監視下を抜け出す必要がある。……けれども、彼は感知系。
 一見無防備なように見える彼に本当に死角があるならばそこを突きたいけれど、ないのなら、為せる方法は数少ない。
 息をつき、立ち上がる。その気配で彼は目覚めたらしかった。寝返りを打つ気配に振り返れば、まだ眠そうにする彼が笑っている。

「いい朝だ」

 どのへんがでしょうか。

「……おはようございます」
「朝から嫌そうにするなよなあ」
「寝不足ですか? 顔色、悪いです」
「寝てはいるよ。嘘だけどね」

 嘘だけどね、って、いいんですかそれは。私がまた微妙な顔して睨みつけると彼はまた曖昧な笑みを浮かべる。目覚めた直後からそうも複雑な顔をしなければならないとは、ご苦労なことです。
 彼は私以上に私のことを知っている。私に目を向ける度、何が見えるやら知らないけれど、わずかに苦しそうにするのだ。それが気に入らない。私は憐れまれている。

「ちょっと待ってて」

 さすが男の子というべきか、私が言われた通りに待ちながら軽くシングルショットの動作確認をしていると、数分と待たず彼は身支度を済ませた。
 いつもよりもいくらか遅く、一般的な時間に宿舎をあとにする。時間がわずかに違うだけでも、宿舎の様子はずいぶん変わって見える。起き出した人達の彩る賑わいで、薄暗い廊下がいつもより温度を帯びているのだ。しかし、今日は、どうやら曇り。
 食堂には既に多く人の姿があった。幼い少年や少女たちはめまぐるしく動き走り、訪問者に不満を抱かせないよう無理な笑顔を振り撒いている。例の少女は、私の姿に目を止めるとじっと見つめてきた。しかし、他に人がいる以上、長く仕事を中断はできないため、数秒でまた動き出す。

「……黒だな」

 ぽつりと、冰が言葉を漏らし、彼女に向けてまっすぐに歩いていく。彼女が気づいて視線を上げると、まったくの前置きも細かい説明もなしに、ただ一言こう告げた。

「彼女は売られた」
「……っ」

 言っただけで踵を返しそそくさとこちらへ戻ってきた彼は、おそらくここでもあらゆる真実のみを見ているようだった。
 何を見てなぜそれを伝えたのか。問い詰めようとも思ったけれど、人混みの中では心もとない。あとにしようと思ったものの、食事を終えると早々に訓練に引っ張られ、硝煙にまみれていると午前中も過ぎ、やがてなにを問う機会も見失ってしまう。そうして右往左往しつつ訓練に励み、午後になろうと言うとき、彼は射撃場の隅で唐突にこう切り出した。

「金桐町の捜査に出るぞ」
「……あの、せめて、朝に通告してください……そういうのは」

 いつの間にそんな命令があったのやら。
 ぐいぐいと連れ出されて夕暮れ。私達は瓦礫のない町から少し離れた場所で立ち往生していた。硫化物系の臭いはまだ色濃い。高瀬さんもいないのに、町にこれ以上近寄るのは不可能だ。どうするのか、尋ねると、冰はこれでいいんだよ、と言った。曰く、近いほど調べやすい。別に来なくてもよかったが、まあ精度も多少あがるからわざわざ来たのだとのこと。

「まだだいぶ燃えてるなあ」
「……でしょうね」
「あれから人は来ていないし……ん」

 彼は言葉の途中でさっと顔色を変えた。そして遠く、毒とともに燃え盛る町の中心部へ視線をあてがう。
 何が起きたかは感知系でない私には定かではないけれども、彼の様子を見る限りはあまり良いものではなさそうだ。飄々とした印象の濃い彼だけれど、彼とて相当に“嘘をつくのが巧い”人間である。暗い目は何かを憎むような陰りと鋭さを湛え、それでいて哀愁を持ち合わせていた。

「行こうか」
「え。……死にますよ?」
「広場の上空に行こう。煙も君が防いで」
「……そんなに、安くない、ですよ。私の力」
「無償じゃきついかあ。じゃ取引だな? 君の知りたいと思うものをなんでも一つだけ教える。どう?」

 中々に高い要求を安易にされてしまったから、さすがにちょっとやそっとのことでは不可能だ、と言うと、彼は潔く相応のリターンを提示してきた。なんでも一つ教える。感知系の彼が言うその言葉の重みは大したものだった。ハイリスク、ハイリターン。それを日常的にやってのけてしまうのが彼なのだろう。納得して、私は一つ頷く。

「乗りました。……なぜ、行くんですか」
「確認だ。住民はだいたい全員中央広場で死んだと思うが、たぶん他のが町外れに紛れ込んでる」
「了解。でも、落ちて死んだり、しないでくださいね」
「努力するよ」

 私は適度な緊張をもって数回呼吸を繰り返し、曇り空でいっぱいになった視界をゆっくりと閉ざした。髪留めに触れ、いつもの箱を形作る。


2017年2月9日 5月12日 11月23日

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