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見上げた空のパラドックス
12 ―side Higure―

 平和な地域でだって、誰しも報われるわけじゃない。運のよかった一握りだけが願いを叶える。その願いってのが生きたいだろうが、金持ちになりたいだろうが、関係なくそうだ。それなら、生きるって行為は、結局のところ闘争だ。直接的にしろ間接的にしろ、僕らはだれかを殺してようやっと生き延びている。つまり、君がそこで生きているということ自体が、今までひとを殺してきた証明に他ならないんだよ。
 撃った反動にやられて倒れ込んだ俺に、相変わらずの哲学者がそう告げた。
 その彼は、左足から血を流しながらも車を支えに立って、俺を見下ろしている。弾丸がかすりでもしたのは奇跡みたいなものだ。奇跡を起こしたにも関わらず、まだ落ち着かず、俺は地面に転がる銃を引き寄せようとする。砂にまみれた手はいやに震えて定まらない。それでも手を伸ばしてしまうあたり、俺はいま海間日暮ではないのだろう。だって彼をどうしたら殺せるかを必死に考えているのだ。一度起こした奇跡を増幅するためにはどうしたらいいのかと。とにかく銃がなきゃなにもできないのだと。
 なにもしなくていいものを。
 “間違ってでも殺しちゃいけない。だれかの命を脅かすことだけは何に代えても赦されない”。過去、毎日のように聞いたその言葉は海間日暮のすべてを形作ると言っていい。海間日暮は決してひとを殺さない。既に何人殺していようが、知ったことではないのだ。この意思を貫くことができさえすれば。
 実験後数ヵ月にして、俺は初めて俺を認識していた。

(落ち着け……殺さなくていい……この身体は死なねえぞ……)

 グリップに右手がかかったところで、ようやくみずからを宥めることに成功して、俺は今度こそ息をつき、震えの収まった手を引っ込める。

「君達、まだ仲が悪いみたいだなあ」
「……それを、見る、ために、俺を撃った、のか?」
「半分はそうだ。まあ、実験成果は上々よりはちょっとよくないみたいだなあ」

 彼が痛む足を引き摺って銃を拾い上げると、つい全身が強張り、俺はまた弾丸の圧力に身をよじる。

「あ、もうしないから気にするなよ」
「……もう、半分は。なんだ」
「君はすっごく取り繕うからさ。本質を引き出してみたかった。つまり、興味本意だ」
「死ね」
「はいはいそのうち死にますよ。で、動ける?」

 動けるかよ。普通の人間なら初撃で死んでんのが数十発だぞ。
 恨みをこめて睨み続けると、彼はやれやれといった苦笑を浮かべて一度車に戻る。辺りを静寂が包む。何分間か、砂地に放置され、俺は弱々しく呼吸を繰り返しながら、起き上がることなく潰れていた。ようやく扉が開き、見ると、みずからの応急処置を終えた少年が顔を見せる。その手に銃はなく、俺はひとまずと力を抜く。

「運ぶぞー」
「あし、は……?」
「痛いぞ」
「……だ、ろうな」

 ぜったい俺のほうが重症だろうが。
 ずるずると車内まで引っ張られ、たまらずうめくも、彼は手を止めなかった。もとのシートに上げられるまで文字通り死ぬほどの苦痛を味わい、しかし動かぬ身体からはもはや空気くらいしか出てこない。不覚にも死にたくなってくるのをこらえるほうで手一杯だ。
 そんな俺に底知れない視線を落とす彼は、運転席に戻りながらにまたのんびりと口を開く。

「軟弱だなあ君は。最初に保護したとき、高瀬はその状態だったんだよ」
「っ……!」
「正しく言うともっとひどい。全身から弾丸が116個。咽喉から布きれと金属片。性器から虫の死骸がいくらか出てきた。脳を撃たれてたんで言葉もまともに話せないし、ほっとくとすぐ死のうとするしで……いやあ、大変だった」

 彼と話すとまれに聞く冷たい声。すべてを憎んでやまないような、荒みきった、声。おそらくはこちらが素なのだろう。ソースは俺だ。
 その真っ黒な声で言われた一つ一つを、思い描こうと試み、すぐ気分が悪くなってやめる。

「市場のど真ん中に出現しちゃったんだってさ。世界中の殲滅派ん中でもいちばん過激な連中のねぐらに異能者の女の子が身一つで投げ出されたんだ。どうなるかなんて決まってるさ」
「……それを、俺に話し、て、どうする、気だ」
「いや別に。君は三十撃たれて僕を殺そうとした。彼女は百を越えていたぶられてやっとだ。君の基準じゃ、どちらが正当防衛なのかと思って。……ま、嫌味だよ。撃たれたのなんて初めてでね」

 彼は語りながらエンジンをかける。俺は悔しさに奥歯を噛み締める。
 何が起ころうと、ひとを殺すに値する理由など存在しえない。正当防衛なんてあり得ない。俺が先程彼に銃を向けたのは間違いだ。青空が市場に火を放ったのだって、そのはずだ。赦されないことをしたのだ。だが本当にそうかと、苦しめられるなら殺すべきではないのかと、わずかにも思ってしまう俺が許せない。悔しい。それを身をもって俺に伝えた彼の行為を恨みきることができない。悔しい。
 俺は誰も殺したくない。
 あいつだって「負けるなよ」と言っていた。実験前のことだ。ちゃんと覚えている。その意味が、今はわかる。

「俺、は……、殺さない」
「そうかよ。せいぜい頑張って貫いてくれ」

 彼はつまらなさげに返し、アクセルを踏んだ。加速度が、その圧力がみたび俺を襲う。弾丸の摘出ができるまでは続くだろう、頭がかき回される感覚に、どうにかなりそうだ。

(くそ、死にてえ)

 生きなきゃならない。誰も殺さず、幸せにならなきゃ。
 俺が正しいことを証明するには、それしかないのだから。


2017年11月23日

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