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キーパーソンの法則
わからない未来
 427362はその日のうちに病室から出て、消灯後を研究室で過ごしていた。2635108もクロシェットもそこに集まり、三人共に同じような表情で座り込んでいる。
 眠れるはずがないのだ。もう、時間などないから。
 427362へ、事の説明は既に終えていた。427362は頷くのみで何も言わずにいたため、2635108の所業を彼女がどう思ったかは解せない。軽蔑されたとは思いたくないが、誉められたものではないことくらい自負しているため、2635108も何も言わなかった。
「クロシェット……、一応報告してくれるかな? 君がこちらの時代を観測してみてどうか」
 2635108の問いかけに、クロシェットはしずしずと頷きを返す。
「……はい」
 消え入りそうな声量に、震えが含まれていた。だが、すぐさまクロシェットは気を取り直しはっきりと述べ出す。
「まずヴィルクさんはまったく予定通りでした。それから、ミラさんが予定から大きく外れています。イブさんは、予定とは違いますが、病死しました。ξさんは予定のまま。つまり今のところ……ホルンさんが明日生き残るかどうかはまったく不明です。この時間軸が以前と違う道に行くということは……確実、ですけど」
「確実っていうのは、ミラちゃんがまだ生きてるから? それじゃあ、不確実じゃないかな」
「いいえ。ミラさんの影響は確かに不確実なので、そうではなくて……」
 それから、言葉が続かない。声を出そうとしても息が詰まり、手が震える。クロシェットがそうしていても二人は決して急かさない。ただ待ってくれていた。
 まず息を吸う。落ち着け。吐き出す途中で止める。言葉を選ぶ。吐き出しきってから、また吸って口を開く。
「……私は、ラドを、殺したから」
 声の震えは押さえられなかった。2635108が、少なからず目を見張る。
「彼によって既に国連に私の存在は知られています。彼は、国連に宛てて、滅亡理論の全てとその対処法を明らかにした文書を提出していました。どうやら私の記憶を盗んでいたみたいです。そして……そういったことは何も言わないで、私に、自分を殺せ、と……」
 言葉を重ねるほど、競り上がってくる辛苦に胸を潰される。
 解っている。解っていた。ラドは殺すべきではなかった。なにより殺したくなどなかった。何故。何故そうしてしまったのか。
「ごめんなさい……」
「……いいよ、大丈夫。そしたら、ラドさんのやったことは最大限利用させてもらうよ」
 2635108は、誤って殺す痛みを知っているのだ。薄く自嘲的な笑みを混ぜながら説かれ、クロシェットは目を伏せる。
「人の寿命を変えられるか否か。ラドさんも含めて考えると、今のところは2対3ってところだね」
 427362が生きるか死ぬか……死ぬ確率の方が高い。ここまで引き上げることには成功した、とも言えるが、所詮まだ死は近い。
 フィルニールに接触し、出来る限り下階に影響が少ないようにしつつ上階を盛大にかき乱し、希に死にゆく人を促したり保護したりして、どれだけこの時間軸が前回と変わっているか……人の命日が変えられるかどうかを視る。それがクロシェットの執り行うべき実験手順のワンステップだった。クリアしなければ実験成功の確率が遠退く大切な手順だった。
 クリア、できたかどうかもわからない。ただ、もう段階は進んでしまったのだ。
「明日は……先生はホルンさんといてください。私は李乃さんたちを見張っています」
「……わかった」
 2635108の顔に緊張が走る。また彼女は死ぬ、かもしれない。もしそうなったなら、自分がまた見届けなければならないのだ。2635108に再び忍び寄る膨大な恐怖を呑み込むように、空気を吸い込んだ。それでも落ち着きはしない。
 ずっと黙っていた427362が、そこでようやくぽつりと呟く。
「私と、チェロが……、生きていたら。クロシェットはどうなるの。私が死んだからあなたは生まれた。私が生きたら、あなたは矛盾する」
 427362に自らの死への恐怖というのは、不思議となかった。ただ、周囲の人間の死に関してはどうしても鈍感ではいられない。誰かの命が散りゆく様を見ることこそ、やはり427362には怖くてたまらないのだ。
「わかりません。バグがもう大量に存在しているこの世界では、タイム・パラドックスだってただの亀裂となるかもしれないし、もしかしたら私がいきなりいなくなるかもしれないです。なんにせよ、ホルンさんが生きた時点で私の存在は世界にとって不都合ですから……よくないことが起こる可能性もないとは言えません」
 そしてクロシェットにも、自らの存在の崩壊に恐怖心は皆無だった。クロシェットからとするならば、427362の生存が何より重要で、もはや存在理由なのだから。
 2635108の表情が陰る。どちらも救える……そんな確率は如何程か。決して多くはないだろう。既にこれは、一か八かの賭けである。負けた場合、受け入れなくてはならない。どうしたってこれは、二回もできる賭けではないのだ。どちらを取るかの選択ではないぶん、ましとも言えるのだが。
 わからない未来に、不安は降り積もる。427362の存在だって、十分不安定なのに。クロシェットの存在は、あまりにぐらついていて、欠片も保証できないのだ。どちらも得るか、どちらかを得るか、どちらも失うか……わからない……。
 必ず終わる世界、そんな絶対の確定事項があるのに……不確定事項に、こんなに怯えるなんてね。
 内心で、2635108は小さく苦笑をこぼした。


        2015/8/29執筆

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