キーパーソンの法則 のぞみはただ空回る 124213が人目につかないよう手と得物を洗って自室に帰りつくと、61の柔らかく和やかな笑みが彼を出迎えた。ベッドに腰掛けていた1426の“おかえり”の一言も同時に。 「おかえりなさーいっ♪ ζくん!」 底抜けに明るく、しかしどこか危うさを秘めた声色に、僅かばかりの安堵を覚えた。61のそういった気遣いの上手さには感服する。見習いたいと思った。 いや、見習ってどうする? もう彼はいないのに。 沈み込もうとした思考を振り払うために、ただいま、と呟きながら1426の元へ歩む。雰囲気を見る限りは、彼は124213のしたことに気づいているのだろう。あるいは、鋭い61か他の誰かに言われたか。 「返すよ」 高性能高品質超安価、そんな折り畳み式ショートソードを静かに手渡した。やっぱりそうか、という顔をした1426に、124213は一瞥をくれただけで何か言う気力は残っていなかった。すぐさまベッドに……124213のものは二段ベッドの上となり登るのは億劫だったため、その下の00001のベッドに崩れるように腰を下ろす。 「……大丈夫か?」 1426の声。心底心配そうな鳶色の瞳が、124213を捉える。ひどく疲れた……憔悴とはまた違う、そんなような顔だった。 白々しい、明かりから抑揚のない光が降る。 124213は、大丈夫だ、と言おうとしたのだ。しかし、そんな空元気を気取れるような精神状態であるわけもない。沈黙をはさみ、息遣いが揺らいだ果てに、124213はぽつりと告いだ。 「……ごめんね1426番。俺、もう戦わないよ。もとからあまり協力はできていないけれど……これからは、いっさい巻き込まないでほしい」 「……ああ……わかった」 あっさりとした承諾が、また心をかき乱す。よみがえってくる空回りの問いが巡り出す。“これからどうすればいいのだろう?”と。巡る思考と共に再び襲い来る絶望の波にも、涙は既に枯れてしまって出てこない。それでも、どうしてもいてもたってもいられなかった。 「……世界なんか、滅びてしまえばいいのに!」 呟いていた。叫んでいた。先ほどまで、彼の願いであったものを。今、自らの願いであるものを。 冷え冷えとした空気が煮えたぎる。矛盾した感覚に身を任せるしか、124213になすすべはなかった。 「何がξを貶めたと思う? 何がξを苦しめたと思う? 俺達だよ。俺達の全部がξを追い詰めたんだ。ξが見えていたすべてがξを殺したんだ。不特定多数の人々の心が、ξを殺したんだ! ξはわかってた。そういうものだってわかってた。理由も根拠も事情もちゃんとわかってた。だからどうしようもなかった! 誰のせいにもできなかった! だって自分もそういうものだったから。自分も最悪を抱えてたから。だから自分が一番嫌だった。ξは、死にたいと願ってた。俺はそれを、叶えた……。最悪だよ。最悪だ。ξがあんなに幸せそうだったの初めてなんだ。あんなに晴れやかに笑うなんて……。俺はξが幸せならよかったんだけど、でも……最悪だ! こんなの……こんなのっ。なんなんだよ。誰も憎めないってこんなに虚しいのかい? こんなにやるせないのかい? ξはずっとこんな気持ちでいた? ああそうだね。だったら手っ取り早く自分自身を憎んで殺した方がよっぽど幸せだよね。解る。解るんだ……。 ……正直、今すぐにでも死にたいよ。ξに会いに行きたい。でも駄目なんだ。ξが望んでないから……。馬鹿みたいだろう?」 耳鳴りが酷い。部屋の中には三人。1426と61は、ひたすらに黙って動かずにいた。何か言ったところで、世界を憎む彼相手に意味など為さないのだから。 124213は、ほとんど一気に言葉を吐き出したお陰でしばらく息を切らしていたが、それが治まると目を伏せて自分のベッドへとよじ登る。 「取り乱してごめん。少し、休むね」 かすれた声がそれだけを告げると、124213はぱたりと倒れ込み、目を閉じる。おやすみと声をかけることすらできずに、1426はその姿から目を逸らしたのだった。 「みっつめ……」 おもむろに着信を知らせた連絡端末を睨み付けながら、2635108は口の中だけで呟いた。はぁ、と一つ溜め息と共に立ち上がり、説く。 「ξくんが死んだってさ。ζくんがやった、って。……予想通り」 三つ目の罪だった。一つはロンの死、一つは124213の心の死、一つは00001の死。三つの死が、この手によってなされたのだ。427362は自らの両手に視線を落とし、一言だけを返した。 「そう」 「これでζくんも多分戦線降りるね。敵が減った」 笑顔を繕いあっけらかんと2635108は言い放つ。重罪に後戻りできないなら、いっそ最後まで悪を貫いてしまった方がいい。愛する科学への侮辱を許してしまえばいい。その方が、楽だから。 427362は単調な様子で黙っていたが、直ぐに切り替えたようで同じく立ち上がる。 「次来るのは」 「ミラちゃんか李乃くんだよね?」 「うん」 それから、二人して振り返った。 ロンとイブの遺したもの。五感支配と感情操作を司る機器。その結合した姿が、そこにあった。少し重めのヘッドギアといった形の、おそらく人間個人を相手にするならこの世で最強の武器が、机の上に鎮座していた。ここしばらくは深夜まで作業して作り上げた、文明の狂気の結晶である。これにどちらかを追い込むことができれば、いよいよ彼らは潰せると確信がある。自分達に、勝機はあると。 よって、ひとまずは戦おう。 あの驚異を収めたら上階へと赴いて、そちらの問題もどうにかしなくてはならない。監視者のいない監獄に意味などないのだから。 「行けるよね」 「うん」 笑顔の裏に潜めた疑い。 ……何故こうなってしまったのだろう。 ただフィルニールの安息を願っていただけなのに。 2015/8/4執筆 back← [戻る] |