キーパーソンの法則
芽吹く不安に祝福を
「61、やばいよ。一気に悪転した……」
 大胆にも中央ホールの端で、褪せた赤色の前髪に手をやりながら、1426は沈鬱げな口調でぼやいた。あまり通らない声のため1426の言動に注目する輩はないが、眼前に立つもう一人は否応にも目立つので、ちらちらとこちらを伺う視線がまばらにある。そんなことは気にも留めない61が、首をもたげながら状況を整理し1426に尋ねた。
「えーっとねぇ、チェロくんの研究がやばーいのと、ボクたちは殺されるかもしれなくなった、それでボクたちはちょっと不利になったってこと、だよねー?」
「そうなるな。2個目は覚悟してたんだけど、特にこれは1個目だよ。あいつ、やばい」
 自身が身をもって体験しているからこそ解せる2635108の危険性は、1426の中では今最も高い数値を叩き出している。
 感情の操作が本当に可能だなんて、信じたくはない。が、自らが当事者で何よりの証人である。洗脳とはまた違うが、とにかく感情は操れるのだ。もし、自分が戦意喪失させられたらどうだろうか。反旗の企ては、間違いなくそこで立ち消えになってしまう。
 2635108と427362の研究は、今も着々と進んでいるのだ。先手は打たれてしまったのかもしれない。一体どう反撃すれば、自分らに勝利を導けるのだろうかと、1426は思案する。
「そっかぁー。あのねぇ、チェロくんって、あれでとぉっても真剣な子なんだよー♪ だから、きっと頑張ってるんだと思うの。427362番ちゃんのために」
「……だろうな。だから怖いんだよ。やってるもとが身内への好意だと、なにしでかすか底知れない」
 なんせ、自身がその口だから。微かに苦笑を漏らして、1426は息をつく。どうすべきだろうか。
「んー、じゃあねぇ、ボクがやる? チェロくんこーそくするの」
「……ちょ、それって大丈夫なのか? 色々」
「多分大丈夫ーっ。ボク、傷つけて生かしとくのもやればできるの。それでね、狙われたり追われるのも慣れてるから、君も守れるし♪ できるよ!」
 そういう意味ではないのだが、と1426は内心苦笑を漏らす。
 花が綻ぶような、朗らかな笑顔が咲いている。安堵と厚意を誘う自然な笑みであるが、1426は時折思う。61の笑顔は普段から整いすぎていて、この態度は演技なのではと疑うことがあった。彼と話してみれば解ることとして、実は彼は笑顔に似合わず希にかなり大人びていることがあるのだ。たった一人で生きてきたからなのか。下手をすれば彼は2つ年上である1426を凌駕して、判断力を培ってきたのではあるまいかとも思える。
 十といくつの齢まで、一人で孤独を乗り切ったのだろうか、彼は? そんな中で二年前にフィルニールへ連れられた彼は何を思ったろう。そうして、彼の孤独を崩した生まれて初めて出会った友、その人こそが、2635108なのである。だのに、61は2635108を傷つけてもよいのだろうか。もしかすると、61の感覚では傷害に親しさは関係ないのかもしれない。関係なくなるように育ったということなのか。
「……試すだけだ。万一にも61が無力化されたらいけないから」
 無理にとは言わず、あくまで試行だと1426は念を押した。
 61はとても重要な役を担う戦士である。反旗を掲げる者同士、既に友である。彼が無力化されてしまったら、1426にはあらゆる意味で良くないのだ。
「うん、わかったっ。お試しだね!」
 整った笑顔がそれを承諾した。


「ちぇーろくん♪ やっほぅ」
「ああ、いらっしゃい、ミラちゃん。……もてなそうか?」
 ドアは開けたままの研究室内で物思いに耽っていたらしい2635108は、61の呼び掛けにより顔を上げ相変わらず不器用ににたりと笑んだ。思い出のおさらいでもしていたのか、彼の瞳の奥は相変わらず暗く見える。それも61からすればいつものことだ。彼は、根がどこだか暗い。
 思い返すことなんてほとんどない自分の過去には、61の思考は掠りもしない。が、2635108の次の言葉は、普段気に留めない思い出を蒸し返すのには十分であった。
「ミラちゃん、こんなとこまで俺を捕まえに来たのかな? ここじゃ、そういうことしちゃ駄目なんだよ?」
 ここじゃ、と彼は言った。ここではないどこかでそれが当然の業であるということを皮肉に述べたのだろう。そう、たとえば、61の故郷が最たる例であろう。「知ってるよっ。でも、大丈夫。ボクはペナルティ慣れてるからー」
 浮かべた綺麗な笑顔の奥で、61の記憶は流れる。

 ……僕が最初に人を殺したのは、自身の記憶の中では確か、父の愛人でした。
 父がよく遊ぶ人であることは僕からすれば知れた事実でしたが、知らなかったらしい母は彼女を見るなりひどく激昂してしまって、彼女を殺すよう僕に命じてきたのです。なぜか父はそれに加勢した“やれ”と言いたげな目で自分を見ていて、負のこころが入り乱れるカオスの中で、どうしていいか判断できなかった僕は従いました。
 ……それから僕は知りました。いのちの色の鮮やかさと、こころの暗さと空虚さを。
 僕が殺人を犯してから、父は母に対していやに優しく優しくなっていきました。父はきっと母も遊んだだけの人なんだろうなぁと、すぐに僕では理解できましたが、母はどうだったでしょう。そう、父は悟ったんです。母を本気で怒らせたとき、今度は矛先──僕の手が向けられるのは父なのだと。
 そういう状況でしたから、僕にはわかりませんでした。家族がどんなものかということが、感覚的に解らなかったんです。生まれた時から、僕はたぶん子供として扱われたことはなかったので。命じ従うことだけが、僕達の関係だったんです。
 昔から、“お前は人前では誰にも媚びていろ”“持ち物がありそうな奴は襲え”“もし殺されそうになったら殺してもいい”とか、そんな風に教えられて生きてきました。もう3歳ごろから盗みと殺しの術をたたきこまれて、父と母のために働き回る毎日で……両親にとって僕は、良い手駒だったんでしょう。
 盗んで逃げていただけの幼い三年間は穏やかでした。僕が6歳で人を殺めたとき、両親はなにやら壊れてしまったようなのです。僕に殺しを命じることをまったく躊躇しなくなって、終いには僕達に近づく有益でない人々は誰これ構わず殺せと言うようになりました。
 僕とて、殺しを躊躇したことはありません。だって、いくつもいくつも命を摘み取るうち、それが生きる術であり遊戯なのだと思ったから。馬鹿げた行為だけど役に立つ。その可笑しさがなんだか堪らなく好きなのです。だから、たくさん、たくさん……僕の手は命の熱を刈り取りました。暗いだけの世界が、その瞬間だけ綺麗な赤に染まるようで、いとおしかったのです。
 12歳の時だったでしょうか。両親が狂いました。ついに本当に気がおかしくなってしまったのでしょう。彼らの言う言葉が、言語と呼べないものになってしまって、僕には到底理解できませんでした。別に指令がなくても僕は盗みで生きていけますから、それだけならまだ良かったのです。が、なにを思ったのかなにも思わなかったのか、両親は僕を嘲り虐げるようになりました。僕はあれだけ一生懸命二人の言うことを聞いて、二人に尽くしていたのに。悔しくなりました。だから、殺しました。あんな、物も言えない人たち、生きていても可哀想なだけですから。哀れみのしるしに、頭をくりぬいて瞬殺してやりました。
 それから1年ほどの期間が、僕にとっては最も穏和で、そして寂しい日々となります。両親以外の人を見境なく殺してきて、両親も殺してしまって、本当に一人。ただ生きるだけの長い長い1年でした。
 フィルニールへ行かないかと言われた時、僕は嬉しいと思ったのです。だって、フィルニールでは必ずしも全員に存在意義が与えられます。使い捨ての駒だからなんだと言うのですか、僕は生まれた時からそんなものです。喜んで入所しました。
 それはもう驚きました。フィルニールって、何を働かなくても生きていけるんです。なんて怠惰で退屈で、無慈悲でしかも優しい施設なのでしょうか。僕だけ手錠をさせられているとかまったく誰も話しかけてくれないとか、気にならないほどの衝撃でした。ありありとした生の営みに目を見張るばかりで。あんなに身近だった死は遠いところに行ってしまったようで。
 ……でも、それは今、違います。僕の隣に、死の気配は帰ってきました。それは都合の悪い事態であり、僕は事態に対処できるのです。


「それにボクは、プロだから!」
 はしゃいだような陽気な声は、風の疾走と重なった。


       2015/5/16 5/17 5/18 5/19執筆

back←→next
[戻る]