キーパーソンの法則
反する
 大窓からの光降り注ぐ所長室には、大小二つの人影あった。
「あんたさ……フィルニールがどんなところか、ちゃんと解っているのか?」
 厳しい口調で彼は問うた。
 新しく配属されたらしい新所長の口調は、さらりとしているのに圧倒的な威圧感と説得力が備わっている。これだけの語りができるというのはやはり大物だと解せるが、どうにもいけ好かないのは自身の記憶のせいだろうか。
 白の少女はそんな感想を抱きながら、微かに呻いた。彼に掴まれている両手首が痛い。あとで痣になるだろう。
「このところ、被験者たちが何かやらかしてるらしい。それは知ってる。……あんたは、そういう時期に狙って乗り込んできたんだ。目的は何だ?」
 語りはひどく事務的で、淡白だった。が、どこかに絶対的な自信が秘められていることが解せる。彼は、自分が負けることをまったく想定していなかった。
「何を考えてここまで来た? そんな軽い身体一つで、そんな年齢で。……まぁ、言えないならそれはそれでいいけどな。もう少し、此処のヤバさを解った方がいいと思うぞ」
 余裕も持ちながらはきはきした声が耳に刺さる。悪意というよりも、見下しや哀れみさえ感じられる声。少女には、ここまで面と向かってよろしくない感情をぶつけられたことはなかったどころか、誰かに叱りつけられたことだってそう経験していないのだ。視線が迷う。
 どうしようか。この場において彼にはたとえ暴力を受けても別に構わない。自身の身を案じるよりも、ひとまずこの場は冷静に対処すべきである。それにしても、両手首が見事に封じられて指先が痺れきっているから、普段使う機器たちには頼めそうにない。
「ロシェさんって言ったか。あんたがどんな覚悟でどんな目的でこうしているかはまだ知らない。しかし、私は別に、今すぐ通報しても良い。そうしたらあんたは捕まって管制棟は回復、施設内は安泰だ」
「でも、そのためにあなたが手を離せば、私の勝ちになる」
 強気に言い返してはみたが、実際はかなり手が痺れているから多少手間取ることとなる、実に不利な状況である。少女は、本気の物理的な暴力に勝つことはできないのだから。
 暫しの沈黙。冷ややかだった。
「……それはまたずいぶん強気なことで。じゃあ、このまま気力尽きるまで勝負でもしてみるか?」
「私が勝ったらどうするの?」
 全く、新しく所長に指名されたという彼に自分の存在が知られた途端になぜかかくれんぼする羽目になり、あまつさえ見つかれば所長室に連れ出されてこの様とは、情けない話である。抵抗しようとする職員をたちどころに封じてきた今までの自分の小ささが浮き彫りになると同時に、目の前の男がどれだけ強いか、解せる。これは、少女からするとやはり危機だ。まだ今捕まってはいけない。
「それはないな。あまり侮らない方がいい。私は弱くないから」
 断言されてしまう。少女からすれば、それはない、と同じ台詞を言い返してやりたかった。こんな傲慢なだけの輩に気力で負けるようなら、自分はこんなところには居ない。が、たしかに状況は詰んでいた。
「ただな。言ってしまえば、私はフィルニールなんてどうだっていいと思ってる」
「……え?」
「構わないさ。此処が潰されるなら、それはそれで。世界にとっても私にとっても悪いことじゃないだろう」
 唖然とした。彼、どうやら本気で言っている。
「あなたさぁ……目の前の犯罪者を捕まえる気、あるの?」
「今はない。あんたが妙な行動をすればいつだって捕まえられるんだ。そう急ぐこともないさ」
 冷ややかでいて飄々としているようにも見えるが、彼の目は異様なまでに据わっている。
 経験が違う、と少女は直感した。実のところ、彼の経歴は前所長の権限をもってしても何故だか探ることができなかったのである。世界中で最高の機密事項と言えるレベルで、彼の経歴は厳重に隠蔽されていた。故に彼の経てきた過去と経験はどこまでも未知数であり、また相当きな臭いのだ。ただ、いま唯一解るのは、彼は強いという決定的なひとつ。そして、少女の記憶の中にある僅かな彼の罪過だけ。
「目的と経緯。教えられないのか?」
「嫌だよ。あなたには」
「へぇ。私には、ね」
 いまや彼の視線にこめられるのは哀れみのみとなって、少女を見下ろした。
「なんだ、ずいぶん拍子抜けだな。あんた、弱いよ。頭は切れる犯罪者のくせに、何をするにも慣れていない。警戒するまでもなさそうだ」
「……初対面で失礼だなぁ、あなたは」
「事実だからな」
 彼は微笑をたたえながら、手を離してひらひらと振った。余裕綽々にも程がある様子に、少女は咄嗟には動けない。
「他の奴等と同じように拘束すればいいよ。私をあんたの監視下に置け。逆に観察してやるから。……あんたの様子によっては、私は何をしでかすか解らないぞ」
 勝てない。
 どうしようもない。自分には、彼より優位に立つことはどうあれ不可能だ。少女の持つ明晰な頭脳は、否応なしにそう解答を導き出した。ならばどうする。ほんの少しでも彼を封じるにはどうする。……彼の言葉に従うほかはなかった。
 紐状の機器を二本。起動させ、問う。
「それじゃあ、あなたはどうしたら大人しくなるの?」
「あんたの目的に共感できたら、敵対行為や通報はしないかもしれない」
「それだと、どうしても言え、ってことだね?」
「だろうな」
「……」
 嫌だ、と思う。だって──、彼は元凶なのだ。全ての過ちの原点に立つ人なのだ。少女の運命を決定づけたのは、他ならない彼なのだから。心底、憎いと思う。そんな人間を相手にして一体何を話せると言うのか。そもそも、話してしまって、彼がこの“実験”における必須要素を狂わせてしまわない保証はないのである。
 言えることは、あるだろうか。彼にそれを告げたとして問題がなく、事の全貌も明かしはせず、彼にも納得させられるような事実は、あるだろうか。
 ……あった。唯一言えること。
「災害が起こるの」
「災害?」
「具体的なことは言わないけれどね? これだけは言えるよ。災害が起こる、そしてあなたは死ぬんだ、五年後に」
「……それで?」
 少女は輝くような満面の笑みを繕い、宣う。
「あはは、あなたの人生は、死に際が最悪だったね? 滑稽だったね? たぶん今のあなたが知れば頭抱えちゃうくらい。本当、最悪な、死に方をしたんだ」
 そして、睨む。少女の濃い銀色の瞳が、彼を見上げ居抜いた。多大な憎しみを帯びた視線を受けて、彼は目を細める。
「私の経緯? 目的? そんなのは簡単。私はあなたが壊したものを守りに来た。それだけだよ。だからあなたには何も言いたくないの。これで納得したかな?」
 彼からの返答は、長い静寂の過ぎてなお後々のことであった。あろうことが笑いをこらえるようにして、それは為された。
「ああ、納得だ。そういう事ならいいんだ。私は死ぬまでそういう人間か。そうか。そういう事なら構わない」
「……笑い事なの?」
「ああ、心底笑い事だね。よく解ったよ。ロシェさん、ひとまずあんたの勝ちだ。私は、行動しない。それでいいんだな?」


         2015/5/16執筆 2016/3/22再執筆

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