キーパーソンの法則
無変化な
 二人はそれから自室へ戻ろうと研究棟を出ようとしたが、その道のり半ばで特に覚えもない研究者に呼び止められた。427362が、少々めんどくさげな目をして振り返る。
「427362だね? 少し来て欲しいんだけれど」
 こういう話には、427362は既に慣れていた。何故なら彼女は少女と言えども確かに天才なのだ、研究について彼女に相談を持ち掛ける研究者は少なくないのである。それでは、なぜ、2635108には声がかけられないか。それは、言わずもがなというものであった。
「研究のお手伝いなら、俺が代わりじゃ駄目でしょうかね?」
 2635108は、言いながらに幼い子供がかくれんぼで“みぃつけた”と言うような表情を満面に滲ませる。とたんに口調のねちこさが増し、その物腰はただの明るいものから無意識に相手を挑発しているような雰囲気へと一変する。そう、これが彼の基本的な生活態度なのだ。咲く笑みは、決して印象のいいものではない。
 研究者から、諦めたような苦笑いが返ってくる。
「……それは遠慮したいな」
 仕方がないからと断念して去っていった研究者をよそに、2635108はしてやったりと笑みで頬を緩め、また427362と共に歩を進めた。せっかくホルンと二人なんだから邪魔すんなよなー、とかぼやきながら427362の先を行く。
 やがて、研究棟の出口へあと10歩といったところで、2635108は左右の一部だけ長い髪を揺らしながらくるりと振り返った。
「ねぇホルン」
 真顔で話しかけられ、427362は黙っていた。その先の言動はあらかた予測できていたためである。
「まだ駄目?」
 その言葉の意味を427362は知っている。
「うん」
 即座に頷いた427362に、2635108は僅かに項垂れた。
「10年だよ、ホルン。……ねぇ、そろそろ許してくれても、っていうかどう考えてももうホルンが俺に惚れてないわけないよね。まだ意地張るの?」
「張る」
 凄まじく大胆なことを言い出した2635108にも慣れているため顔色一つ変えず、427362は答える。聞いて刹那的に顔をしかめたが、2635108はまた直ぐに笑顔で悠然と言い放つ。いつでも宣ってきた台詞である。
「むぅ……でも、好きだからね。そんなの絶対覆してやるから」
 嘘ではない意思表明は、いつも通りのやりとり。
 2635108が427362に一目惚れしたのは明日からちょうど10年前、二人がフィルニールへ入所したその日である。そのころ二人は四歳児で、今や記憶は既にかなり曖昧となっているが、2635108は不朽と言える根強い想いを未だ心に携えていた。
 2635108は孤児であり、整然とした都会の街を身一つで生きる放浪者であった。とにかく死にそうだったこと、とにかく死にたくなかったこと、二つの幼い恐怖だけを彼は覚えている。彼の世界は墨より暗く淀んでいた。
 フィルニールに入所した2635108は、427362を目にした時、声も出なかった。
 確か、その顔は四歳の少女のくせして重々しい決意を秘めていて、不安げな色を湛えていて、期待と希望を帯びているように見えたのだ。幼く、会ったばかりの少女が持つ“強さ”は羨ましく、眩しく、儚く、不恰好で、どうにも惹かれてしまって収まらない。雰囲気の美しさに絶句し、醜さに心揺さぶられ……それが彼の世界に初めて差した光であった。
 文字通り一目惚れ。同じ研究に被験者として選ばれた時、どれほど歓喜したことだろう。研究者であるビオラに名付けをせがんで貰った“チェロ”という名を彼女に呼ばれたとき、どれほどこそばゆかったろう。
 実験成功後すぐ、427362に好きだと伝え、断られたとき、2635108は諦めることなんてまず頭に浮かばなかった。私は忙しいと言った427362に向かい、「そんなの覆す」と、そう告いだのだ。やりたいことがあるなら協力するし、彼女に認められるためならなんでもいくらでもしてやろうと。
 それから10年……2635108としては全力で尽力してきたのだが。
 2635108は、未だ振られ続けている。
「いいじゃん別に。ホルンの理解者は俺しかいないんだから、さ」
「恋になるかは別」
「まあ、そうなんだけど」
 それぞれ違う意味ではぁと息をついて、二人は生活棟へと足を踏み入れる。生活棟中央部には円形の広い空間があり、この建物と同じ灰色一色の囚人服を身にまとった子供たちの姿がまばらに窺える。騒がしくはないが、静かすぎもしない程度の話声がする。
「……正直部屋帰っても一人部屋だし、退屈なんだけどさ。ここいても退屈だよね」
 この世にふたりだけの人工的な天才である彼らは、通常他の子供と多少の会話ができるこの区域でもふたりぼっちだ。人を小馬鹿にしたような軽い態度の2635108と、興味がなければほとんどものを言わない427362、天才を抜きにしても孤立しそうなものだが。
「……仕方ないよ」
「ま、そーね。……なんかもっと新しいことないかなぁ、なんてね」
 冗談めかした笑み。ホールから先の区画は基本的に男女別れているため、2635108は427362にまたねと手を振って退散していった。

        2015/3/24執筆

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