おもヒで
花火をしましょう。帰って来て早々骸様が提案した。手元を見れば白いポリ袋の中に詰められた花火セット。犬も千種も私も唐突なことで驚いたけれど、にこやかに笑う骸様の顔を見ては誰も拒否することが出来なかった。
かくして、八月も終わって暦も変わり初秋の空気が漂い始めたこの日、急遽花火大会の開催が決定された。
夜空にポツリと浮かぶ三日月の下、外に出て準備を整えた。暗闇の中片目だけで作業するのは正直不安だったけど、ずっと骸様が隣で一緒に作業してくれたので全く平気だった。準備と言ってもバケツに水を汲んでライターを探すだけだったけれど。
直ぐに準備は終わり、骸様がライターに火を灯して花火に移す。その隣では犬が自分でライターを点けたいと駄々をこねたけれど、犬じゃ危ないと骸様に一喝されてしょんぼりしていた。けれどバチバチと火花を散らす煌めきに顔を上げて、マジマジと閃光を見つめた。千種が「あんまり近付くと危ないよ」と注意を促したのに、「柿ピーも見てみらよ!」と興奮のあまり全く周りの声など聞いていない様子だった。
花火、初めて見たんだろうか。尋ねてみようかと思ったけれど、骸様が火花を散らす花火を私に差し出して来たので、疑問は嚥下してそれを受け取る。
見よう見真似で腕を回して弧を描けば、夜闇を切り裂くような光の残映がとても綺麗だった。骸様はまた火を点けた花火を今度は犬に渡し、次に千種にも同じように手渡した。最初は渋る素振りを見せていた千種だけど、結局骸様の笑顔の、しかし無言の圧力に負けたのか、小さく溜め息を吐いた後に黙って花火を受け取った。
最終的に四人全員の手に花火は行き渡り、ビニールの中の花火が尽きるまではしゃぎ続けた。
締めは絶対線香花火です!と拘る骸様の言う通りに最後まで残したそれもやり遂げ、小さな花火大会は幕を閉じた。
片付けようとバケツに顔を覗き込ませると、放り込んだ花火の残骸が浮いていて汚かった。何処に流そうかと思案していると、不意に右肩をトントンと叩かれた。見れば白く細長い人差し指がある。顔で振り向くと其処には骸様が直ぐ後ろに居た。どうしました?と首を傾げると、何故か骸様は小さな声で「バケツはそのままにしておいて下さい」と言った。尚も首を傾げていると、骸様は犬と千種に向かって、片付けは僕とクロームでやりますから戻って構わないと告げた。
二人しか居なくなった夜空の下、骸様は何処からか先程と同じ花火を取り出した。どうやら二つ買っていたらしい。
しかし何故?と相も変わらず小首を傾げていると、それに気が付いた骸様がビリビリと花火セットを開封しながら口を開いた。
「二人だけで花火をしましょう」
そこからは骸様が手際よく花火を二人分に分け、私はただその様子をボーと見詰めていた。あっという間に先程と同じように整えられた状況に、直ぐには頭が追い付かず、骸様に声を掛けられるまで私は立ち尽くしたままだった。
二人でする花火は、思いの外呆気なかった。一人当たりの配当は四人でした時よりも格段に多いと言うのに、何故だろう、呆気ない。
もしかして、楽しい、からだろうか。四人で花火をした時ももちろん楽しかったが、こうして二人だけの花火大会がどうしようもなく愛しく感ぜられるからかもしれない。他の誰でもない骸様と一緒にこうして争いとは無縁な遊びが出来て、骸様があんなにも楽しそうで、私も楽しくて。楽しい時間程あっという間に過ぎ去るというもので、正に今がそうなのだろう。
「呆気ないものですね」
"締め"の線香花火の先端の光玉を見守っていると、同じように線香花火の光玉を見つめていた骸様がポツリと呟いた。視線を移すと、骸様の線香花火は既に光が落ちた後のようだ。自分の分に気を取られていたから全く気付かなかった。
「何が、ですか?」
「花火がです」
「ああ」
てっきり私と同じことを思っていたのか、なんて淡い期待をしたが、敢えなく玉砕した。別段どうということもないのだが。
「もっと長持ちするものかと思ってましたが」
眉を寄せながらも新たな線香花火に火を点ける骸様の言葉が、私に小さな疑問をもたらした。
「もしかして、花火、初めてですか?」
顔を上げた瞬間、私の線香花火が光玉を落とした。そんな線香花火の残骸を一瞥した後、骸様は淡々と「えぇ」と答えた。今度の線香花火は落とすまいとしているのか、幾分か慎重気味だった。
「私も、です」
「知っています」
「え?」
「お前のことなら何でも知っています」
まぁ体を共有していたのだし、意識だって繋がっていたのだし、知っていても可笑しくはない。
けれどズルいと思った。私にはまだまだ骸様について知らないことが山程あるのに。花火が初めてだってことも今しがた知ったと言うのに。
そんな睫毛を伏せる私に、「だから花火をしようと言ったんです」と骸様は小さく溢した。
私は最後の線香花火に火を点けようとしていた手を止め、ただ花火を見下ろす骸様へと顔を向けた。
「犬も千種も、僕も、みんな花火なんて初めてです。僕はそんな二人に初めての"思い出"を与えたかったんです」
「思い、出」
「はい」
そうですか、呟いた言葉は蚊の鳴くような小さなものだった。
やっぱり、二人は花火が初めてだったんだ。人知れず抱えていた些細な疑問が解決され、休めていた手を動かしてライターを点火する。線香花火の先端が火の灯りでボウと浮かんだ。そのままライターを近付け、最後の花火を開始する。
「もちろん、お前も同じです」
また不意に紡がれた言葉に顔を反射的に上げた。すると先に此方を見ていた骸様のオッドアイとかち合った。暗闇でもその瞳は不思議な光をたたえていた。
「お前とも思い出が欲しかった。苦痛ではなく楽しみを与えたかった。お前にも初めてを与えたかった。お前との時間が欲しかった。皆でやるのももちろん良いですが、やっぱり、僕はお前と共に分かち合いたかったんです。だから今こうして二人だけの花火をしようと誘ったんです」
ポカンと、口を開けたまま固まった。脳内では忙しく今しがたの骸様の言葉が反芻されているが、何故か動けなかった。
しかし、それでも何かが込み上げてくる感覚だけはわかっていた。
「クローム?」
黙ったままの私を不思議がってか、骸様が眉をしかめた。そして目を細めた。その双眸がどうしようもなく優しげで、私は開けたままだった口を閉じてただ骸様を見つめた。
「クローム、今お前、とても間抜けな顔をしていますよ」
「え」
「嬉しいなら嬉しい顔をしなさい」
「嬉しい…」
嬉し、い。嬉しい。嗚呼そうか、込み上げてくるこれは嬉しいという感情なのか。
みんなで花火が出来て嬉しい。骸様と花火が出来て嬉しい。思い出が出来て嬉しい。嬉しいって、こんなにも暖かいものだったのか。
「骸様」
「はい?」
「ありがとう、ございます」
緩んだ頬で骸様にそう告げれば、今度は骸様がポカンとした。どうしたのかと思えば今度は口元を押さえて下を向いてしまった。
具合でも悪くなったのかと心配になって立ち上がった瞬間、私の最後の線香花火が火玉を落とした。やってしまったと後悔したが、そんなことより骸様だと直ぐに切り換えて側に駆け寄った。
「骸様」
「何でもないです」
「でも」
「クローム、僕の線香花火はまだ生きていますか」
「?生きてます」
「そうですか。ならあげます」
「?」
早口で捲し立てられ、花火を押し付けられた。相変わらず骸様は顔を上げてくれず、私に背を向けて体育座りしてしまった。腕の中の顔を覗き込もうとしたが、どうしても無理だった。
「骸様、耳真っ赤」
「お黙りなさい」
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