隔絶とメガロマニア 俺はぼうっとグラウンドを見ていた。店も今日は定休日だし、買い出しも明日の仕込みも間に合っている。今も特にしたいことがなかった。 だから俺はぼうっとグラウンドを見ている。 今日はチームでの練習予定がない。 アジア予選が終わったので、俺たちは一日休暇を頂いたのだ。 いらない休暇だなあと思った。皆は練習がしたいと言ってたし、俺も練習がしたかったし、……でも今俺は暇そうにしている。 (豪炎寺さん…来ないな…) 最近、俺は豪炎寺さんと二人きりで練習をするようになっていた。 「どうして二人きりなんですか?」 豪炎寺さんは理由は教えてくれないけど、キャプテンから聞く限り、豪炎寺さんから直々にご指名頂いたらしい。とっても光栄です。 だから今日も、一応は連絡を取り合っておいて「じゃあ明日、一緒に練習しよう」という手筈になっていた。実は豪炎寺さんからのお誘いだ。有頂天になった俺は今日朝早くに家を飛び出して来たのだけど、今暇そうにグラウンドを見ている。 つまり豪炎寺さんはまだ来ていない。 約束の時間はとうに過ぎているというに、少し心配になってくる。 「あ…」 携帯が震えた。ここにきてようやく、携帯がいうことを聞いたようだ。 急いで通話ボタンを押して耳にあてる。 「もしもし!…豪炎寺さん?」 「虎丸…」 電話の主は豪炎寺さんだった。 後ろでやかんの沸騰している音が聞こえる。まだ家なのか…? 「すまない、もう少しかかりそうだ。それに、さっきは電話に出れなくて悪かった」 「そんなことはいいんです!それにしても、どうしたんですか?何かあったんですか?」 「…、寝坊だ」 「え?豪炎寺さんが?」 「………」 「嘘ですよね?」 「………いや…」 「…理由は後で直接聞かせて貰います。俺、いつまでも待ってますから、ゆっくり来て下さい」 「あ、ああ…、わかった。すまない、また後で」 「はい。また後で!」 …寝坊か。 予想外の言い訳に電源ボタンを押しそこねた。 ………豪炎寺さんが寝坊か。 憧れの人の、人間くさい面を見てしまって、ますます豪炎寺さんとの距離が近付いていく感じがして、情けなく口元が緩んだ。 「雲の上のお人って感じだったんだけどな…」 豪炎寺さんとの出会いは一方的なものだった。初めて彼を見たのはテレビで、FFの試合中だった。凄まじいシュートを繰り出すその人に、これまた凄まじい衝撃を受けた。殆ど一目ぼれに近かったように思える。 しかしどんなに触れたくても画面が邪魔をして、伸ばした爪先はガラスに当たってとまってしまう。絶対的な隔たりがそこにはあった。 けれど今は、手を伸ばせば届く距離にいるような、そんな感じ。…実際は手を伸ばしたことなんてないんだけど。 携帯をポケットにしまって、再びグラウンドを眺めた。 ゴールの前ではキャプテンが立向居さんと練習をしていた。二人でタイヤにぶつかっていったり、キャプテンが立向居さんの手をとって、形を教えたりしている。 ――俺はあんな風に豪炎寺さんと練習したことない。 密着した練習というか、横に並んでの練習というか、 でもきっと俺は、豪炎寺さんに手なんかとってもらわれたら、普通じゃいられないと思うから、いいんだけど。 視線を左にずらすと、グラウンドの中央では鬼道さんと佐久間さんが打ち合わせをしていた。時たまあの鬼道さんがくすり笑ったりして、驚いた。あんなにリラックスした表情、あんまり見たことないから、めずらしい。 グラウンドの周りでは、風丸さんと風丸さんの後輩の宮坂さんがなにやら楽しそうにランニングしている。 みんな同じ先輩と後輩だけど(あ、でも佐久間さんは敬語を使っているだけで同学年か)、俺と豪炎寺さんの関係はみんなのそれとは何だか違うような気がしてきた。 キャプテンと立向居さんほど、「先輩と後輩」って感じがしないし、 鬼道さんと佐久間さんのように、長い間一緒にいた訳じゃないから、あんなに親密な関係じゃないし、 風丸さんと宮坂さんみたいにサッカー以外で会う理由がある訳じゃない……… 俺と豪炎寺さんの関係って一体なんなんだろう。 このFFIが終わったら、すぐに途切れてしまう程度の関係なんだろうか。 …俺はずっと豪炎寺さんに憧れてサッカーやってきたのに、そんなんじゃ出会う前より切ないじゃないか。 はあ… ついて出たそれは、間違いなく鬱屈からくるため息だった。 何が手を伸ばせば届く距離だ。俺は相手との距離をだいぶ見誤ったようだ。 近くに見えるけど、実はすごく遠い存在だ、豪炎寺さんは。 近づけば近づくほどこんなに辛くなってくる。 キャプテンは立向居さんの肩に手をおいている、鬼道さんは佐久間さんの背中を押している、風丸さんは宮坂さんに手をひかれている なのに、……なのに ……俺は一度だって豪炎寺さんに触れたことがない。 それが、それだけのことが、どうしてこんなにも苦しくなってしまうんだ。 「そうか……俺は……触りたいんだ」 口に出して言って、酷く後悔した。 「……!」 不意に背後から、サク、と草を踏む音がして、意識は現実世界へと引きずり戻される。 慌てて振り向くと、 「…豪炎寺さん!」 そこに待ち焦がれた人がいた。 「遅くなって、すまなかった」 俺の隣に腰をおろして、豪炎寺さんは照れ臭そうに言った。この様子からするとどうやら寝坊は本当のことらしい。信じられないや。 「いいんですってば」 「…そうか。……なあ、虎丸」 「…はい?」 「誰に触りたいんだ?」 「…!!?」 焦る俺をじっと見つめて、豪炎寺さんは聞いて来た。射抜かれるってこういうことを言うんだろうな、と呑気なことを考えてハッとした。 「き、聞いてたんですか」 「聞こえたんだ」 「えっと。…あの…その……練習しませんか?」 「何だ、言えないのか?」 「と、とても言えないですよ…」 「そうか。…ということは俺が知っている奴か?」 「知ってい、…わっ、」 知っているも何も、と言いかけて、悲鳴じみた声が出た。危ない。 豪炎寺さんはやけに興味津々のご様子だ。それもそうか、俺だってそんな独り言聞こえたら、問い詰めたくなるかも。 「……すみません」 「謝るようなことなのか?……俺に」 「え、え……、ち、違います!」 一瞬で身体が緊張した。 罪悪感からくる謝罪だと気付かれたのではないだろうか。 ん?と首をひねってみせた豪炎寺さんを見て、それ以上言えなくなった俺は、しかたがないので、足元のサッカーボールをいじくった。 豪炎寺さんはしばらく無言で、俺もうまいこと言えなかったから、沈黙が続いた。ますます緊張して汗がふき出てくる。 もしかしたら、豪炎寺さんはもう気付いているのかもしれない。俺の、このやましい感情なんか。こんなに近くにいるのはお互い様だし、いやに勘がいいから……。 それでこんな風に追いこんでたりして、…考えすぎかな。 誇大に広がっていく思考回路を止められなくなる。誰かこの状況を打開してくれと、切に願った。 すると、不意に豪炎寺さんが立ちあがった。見上げると意地の悪い笑みを浮かべている。そこから感情を読み取ることは出来なかった。 「…勘弁してやるよ、そろそろ練習するか?」 「え、」 この状況を打破したのはほかでもない、この人だった。 いじめすぎた、と言って満足そうだ。 今までの沈黙が嘘のように、豪炎寺さんは俺からボールを奪って、フィールドに降りて行く。 「行くぞ」 「は、…はいっ…!お願いします!」 豪炎寺さん、一体何を考えているんだろう。 黙ってこっちを見つめたと思えば、こういう風に笑ってみせて。 俺は不安で、緊張して、バレてしまってはいけないと真剣になってたけど、豪炎寺さんにとっては今のは只のお遊び、後輩いじりってやつだったのかな…。 気付いているのかそうじゃないのか、本気なのかそうじゃないのか、この人は容易に感情や内面を読み取らせない。 知りたいのに。寝坊の理由だってまだ聞いてない。どうしてそんな意地悪をするのかも。 前を歩いていく豪炎寺さんに、思いきって手を伸ばしてみた。 歩くたびにユニフォームのしわが動いている。髪もなびいて、のぞくうなじには、チェーンが巻かれている。 俺はそのネックレスをする理由もしらなければ、それがネックレスだという根拠もない。中心についているものを見たことがないから。 豪炎寺さんのユニフォームの裾に届く前に、やはり俺は手を引っ込めていた。 やっぱりダメだ。恥ずかしくて、知らなさすぎて、とても触れることが出来ない。 そうだ、あまりにも遠すぎて、ガラスが邪魔をするように、この人にはどうしたって触れることが出来ないのかもしれない。 ゴール前、いつもと同じ場所に二人で立った。 この気分のままじゃ、ずさんなプレーをしてしまいそうだった。また肩に怒りのシュートを当てられかねない。 「虎丸」 「は、はい!」 気合いを入れ直そうと姿勢を低くし身構えたら、豪炎寺さんが無表情で、再びじっと見つめてきた。 いつまでたってもボールを蹴る気配がない。 「…あの…、豪炎寺さん…?どうしたんですか?」 「虎丸。触りたいのは、俺のどこだ?」 「…!!!」 そして俺は気合を入れ直すことに大失敗し、大いに赤面した。 (バレたのか、バレていたのか、 ついにわからなった) |