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―記念文倉庫―

そんなやり取りがキッチンまで聞こえて来る。
佐助と片倉の会話に元からの知り合いのようなニュアンスを嗅ぎ取った政宗は、隣で洗い物をする幸村に何気なく問うた。
「佐助は仕事であいつと関わった事があるのか?」
「んー」と幸村は一度手を止めて考え込む。
「詳しくは知らぬのでござるが、片倉どのは池袋では知らぬ者はおらぬそうでござるよ。しかし悪いイミではなく、と佐助は付け加えておったでござる」
「悪いイミ?」
「その…暴力団絡みや警察沙汰に関わった事は一度もないと」
「ホストなんざキャバ嬢とつるんで金の毟り合いしてるだけだろうが」
「…そっそっそれがしっっ、ほすと、とか、きゃっきゃっきゃっきゃ…」
「何きゃっきゃ言ってるの?」
居間からキッチンに入って来た佐助がひょいと顔を出した。
息を呑んだ幸村が硬直して手にした皿をするりと零した。と、それを危うく佐助が空中キャッチする。
「あーもう、ダンナったら危なっかしい!」
「す、すまぬ…!」
「手伝うよ〜」
「大丈夫でござる!いいから佐助、そこに飯を用意してあるから早う食え」
見ると、キッチンテーブルの上に一人分の炒飯などが温め直されてきちんと用意されていた。
「んーじゃあ、お言葉に甘えて」
席に着いた佐助が「いただきます」と手を合わせて食事を始めた。
流しの前では再び食器を洗う幸村と、それを濯いで水切り桶に重ねる政宗の立てる微かな音だけが続いた。
「小十郎さんには近付かない方が良いよ」
唐突に言われた台詞に、政宗は手を止めた。
振り向いて見やれば、佐助は澄ました顔で炒飯をスプーンに掬い取っている所だ。
「猫を助けたからって優しい人な訳ないから。夜の仕事してるとね、特にホストやってる男は大概良心がぶっ壊れてる…。精神安定剤、飲みながらガンガンにハイになってる男なんて笑いものでしょ?それを管理する経営者がまともな人間な訳ないって」
「…某にはそのような御仁には見えぬがなあ」
幸村の背から発された呟きに、佐助はにっこり微笑んだ。
「ダンナはみいんな良い人に見えちゃうタイプだから」
「なっ!それではまるきり某がお人好しのようではないか!」
「そこがダンナらしいんだから気にしない、気にしない」
「むう…」
「お前の仕事で的になった事があんのか?」と、水を止めた政宗が尋ねる。
「そりゃ何度も。でも、なかなか尻尾掴ませない」
佐助は新宿・池袋を中心に活動する情報屋だった。
主に「飛んだ」水商売の男女の行方を探すのが仕事だ。ちなみに「飛ぶ」と言うのは、借金を抱えて行方知れずになる人間の事を言う。借金するのも幾つか理由があるが、ホストでは客の支払いを肩代わりしておいて徴収出来なかった際、ホストの売り上げが天引きされると言うシステムがある。それが積もり積もって返す事がままならなくなって蒸発するパターンが一番多かった。次にドラッグ、あとは佐助が言った通り精神的におかしくなって逃げ出すパターンだ。
佐助は片倉からその手の仕事の依頼を受けた事はない。
そこで佐助の仕事の調査対象となると、もう一つの側面―――他店からの素行調査、と言う事になる。つまり、違法行為をしていないか、内部の人間に情報を売る者はいないか、を探る事だ。それをあの男は決して佐助に掴ませた事がないと言う。
「正直、池袋の他所のお店は小十郎さんとこを不気味がってるくらいだよ」
その言葉に被さって、ずず、とスープを啜る音がした。
全くもって説得力がないと言うか、現実味が薄っぺらと言うか。
政宗は苦々しい思いを胸の奥に閉じ込め、乾いた布巾で食器を拭きながらそれに応えた。
「誰も近付きゃしねえよ」



片付け物が終わり、止まった洗濯機から包帯やタオルを取り出して庭に干してしまうと、午後の診察に忙しい武田と幸村を傍目に政宗は帰り支度を始めた。佐助は2階の自室に引きこもって寝たらしい。
「帰るのか?」と、そこへ片倉が声を掛けて来る。
話し相手の武田が仕事に出た後も新聞などに目を通してゆっくりしていた彼だ。まるで我が家のように寛ぐ男を視界に入れないようにしていた政宗は、短く「ああ」とだけ応えた。
その相手が立ち上がったのを思わず振り向く。
まじまじと自分を見つめる片目に気付いて、片倉は上着を片手に口の端を上げた。
「俺の子猫を託すんだ。どんな部屋に住んでるか見ておきたい」
「関係ねえだろうが」
「なくねえよ、俺が命を張って助けた猫を粗末に扱われちゃ堪らねえ」
「いちいちムカつく野郎だな……」
「よく言われる。おら、行くぞ」
何故か先に歩き出した片倉の後に着いて、政宗は診療所を後にした。

政宗が住むアパートは診療所から歩いて5分程の所にあった。
ひしめき合う民家や賃貸物件の中に、時代から取り残されたかのように2階建てのボロアパートが佇む。
木造で築40年以上、と言った所か。壁のペンキはシミだらけ、鉄骨剥き出しの外付け階段は錆でボロボロ。外壁に設置されたプロパンガスは今となってはもの珍しいもので、トタン屋根が申し訳程度に張られた自転車置き場は半ばガラクタを放り込んだ倉庫と化している。
それを眺めていた片倉がポツリと呟いた。
「貴重な骨董品に住んでるな」
揶揄するでもなく呆れるでもなくそう言われたので、政宗は返す言葉も見つからない。
一歩踏み出す毎にギシギシ、ポロポロ、崩壊の音を立てる階段を登って2階の一番奥、政宗は自室の戸を引き開いた。
「ちょっと待った、鍵掛けてねえのか?」
「…壊れてんだよ。それに特に盗まれるもんもねえ」
政宗の言う通り部屋の中はほぼがらんどう、と言って良かった。
玄関を入って直ぐが四畳半の台所とトイレ、ガラス障子を開けた所に六畳間。六畳間の隅に座卓が一つあって傍らに教材や雑誌やらが積んであり、壁のフックには紺ブレの制服が一組下げられている。風呂はない。
それだけだ。
いや、後一つ。やはり開け放たれた南側の窓辺に鳥カゴが置かれている。
政宗はそれを取り込んで座卓の上に置いた。
チチチ、
とインコが鳴く。
クリーム色と黄とグリーンの淡い色彩に包まれた小さな鳥だ。それが鳥カゴの中をあっちこっちと動き回る。
「…ここはペット可なのか?」
「大丈夫だろ、大家はあの武田のおっさんだ」
「なる―――…」
片倉は開け放たれた窓から外を見た。
初夏の日差しはなかなか沈もうとしないが、じっとりと汗ばむような陽気が和らいで涼しい風が吹き込んで来る。常に雨の匂いが鼻を突く季節だ。空を泳ぐ雲の中にも雨の気配がある。
「昼は学校で夜はバイトか。猫の面倒は誰が何時見るんだ?」
「…隣の住人に頼む」
「隣?」
「劇作家志望のおっさんが住んでる」
政宗の言に男は声もなく笑った。
「鍵もねえから出入り自由って訳か」
そうして窓の縁に腰掛けつつ青年を振り向いた。
政宗は早く出て行けと言わんばかりにその場に突っ立ったまま、薄手のジャケットも脱がずにいる。
「佐助に何か聞いたか」
「―――…」
「あいつには色々借りがある」と片倉は言った。
政宗はほんの僅か、目を細めた。
先程佐助が語った所によると、まるで商売敵のような言い草だった。だが男の言葉には佐助から度々援助を受けたと言うような印象を持った。佐助の助け手なら情報操作でライバル店を混乱させるのも容易いだろう。
「そう警戒すんな」
「そこにそうしてても茶なんざ出ねえぞ」
2人はほぼ同時に口を開いて、より強い声を発した政宗が最後に言葉を押し付けた。政宗は男を睨みつけ、片倉は無表情。
政宗もホストたちの事はそれなりに知っている。
女の見栄、虚構、淋しさ、そんなものの中に塗れもがき、同時にそれらを利用して落ちる金を拾い集める。狩りの道具はその容姿とトークだ。女たちの気分を良くさせ、煽り立てる。酒の力を借り、また逆に浴びる程酒を喰らい、体を壊しながらも次から次へと女の膝元に侍る。
接客業、
エンターティナー。
成る程、奇麗な言葉で表現しようと思えばそう言えない事もない。
だが女たちの欲望は、嫉妬は、鬱憤は、ただ楽しむだけでは晴らされない。
女たちの欲望は複雑だ。
例えば男のそれが「たくさんの女にモテる俺」だとすれば、女の方は「たくさんの女にモテる男が自分だけを特別(姫)扱いしてくれて、皆の羨望を集めてしまう私」だったりするのだ。
比較的単純に出来ている男にとってそれは良心を壊すのにもってこいの条件だったろう。更に箍の外れた女の欲望には止め処がなかった。
競い合う事と言えば、どれだけ派手にシャンパンコールを起こせるか、どれだけ皆の注目を集められるようなド派手な金の使い方をするか、だ。そしてたまにそこに真実の愛があると思い込んだりする。
金の絡む愛は真実の愛ではない、とは政宗は言わない。
夜には夜の理屈があるものだ。
ただ、消費するばかりで何ものかを生み出さない愛を真実の愛だとは思い難かった。
ましてや、それを斡旋する経営者に何を期待しろと言うのか。

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