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―記念文倉庫―

高校とバイトの毎日で幾日か過ぎ去り、良く晴れた日曜日に政宗はその診療所を訪ねた。
動物たちを連れ、診察に訪れた客たちがそこそこ出入りしていて、武田は養子の幸村と忙しそうに…もとい、騒がしく立ち回っていた。
やれ気合いが足りぬとか、やれ隙だらけだとか、およそ動物病院には関係のない事で熱くなる。そんな名物診療所として近所ではちょっとした有名人の2人だ。そのパフォーマンスを見に、今日も客たちは足繁く通っている訳だ。
政宗はそこへは近付かず、受付裏の洗濯機前を通りかかった時にまた洗い物が一杯になっているのを見て取って、何となくそれの電源を入れた。洗剤を流し込み、慣れた手つきで設定をいじくるとスタートさせる。
処置室の脇、院長室の隣に入院室があって、政宗はそこを覗きに行った。広さだけは無駄にある診療所だ、入院する動物たちも常に14〜15頭はいて、幾つも並んだ大小のゲージの中にあの夜の子猫はいた。
「助かったんだな、お前」
それの前にしゃがみ込んで政宗はそう呟いた。
微かに髭を振るわせながら眠る子猫は、その肌触りの良さそうなふかふかの体を丸めて心地良さそうだ。
「名前をつけてやれ」
不意に背後から声を掛けられて政宗は振り向いた。
そこにはあの夜の男―――片倉小十郎が立っていて、片手に買い物袋を抱えていた。黒いVネックシャツにベージュのコットンパンツと言うさっぱりした姿の男には、やはり夜の匂いのようなものが染み付いていた。政宗にもお馴染みのものだ。
「逃げ出したのかと思ったぜ」
と言う政宗の嫌味に、男は「どっちが」と嘯いた。
「俺は次の日から毎日通ってんだ…。お前の方こそ、面倒見るなんざ出来もしねえ事吹いてんじゃねえだろうな」
言いながら、流し場に荷物を置いて中身を広げ始める。出て来たのはミルク粉の缶や、ブラッシングや爪切りなど、近くのペットショップで購入したらしい用品一式だった。
「動物愛護の精神に篤いヤクザってのも珍しいよな」
その背に挑発とも取れる声が飛ぶ。
片倉はゆっくりと振り向いた。その鋭い目がざっと青年の頭の先から爪先までを一瞥する。
着崩れたニットのカーディガンにダメージデニム、洗練さとはかけ離れていたが不健康なまでに蒼白い肌と薄い肩が特徴的だ。思わず商売人の目で見てしまう自分がいる事を自覚した。
「…そこは怒るべき所なんだろうが、あいにく俺はヤクザじゃねえよ」
再び流しに向き直った男は、ミルク缶を開けて傍らにあった哺乳瓶に手慣れた様子で粉を入れて行く。ポットの湯を注ぎ込み、シェイクして暫く冷めるのを待つ。
その暇つぶし、と言う感じで、ゲージの前にしゃがみ込む政宗に声を掛けた。
「あのおっさんとは長い付き合いなのか?」
「俺のトラジローが世話になってる」
「…トラジロー?」
「インコだ」
「………」
「………」
徐ろに青年に歩み寄った片倉が傍らに同じようにしゃがんで顔を覗き込んで来た。
「お前、正気か?」と思わず尋ねる。
「んだよ、躾次第だろ。猫が鳥を襲うかどうかなんて」
「野生をナメるな」厳しく言い放って深い溜め息を吐いた。
「知り合いに猫頼める奴、探したんだがなあ、どいつもこいつも…」
「あんたの仕事はキャバレーか何かの用心棒?」
その古い言い草に、男は思わず吹き出していた。
「冗談、ホストクラブのオーナーやってる」
「へえ」やっぱりね、と言う意味合いを含んでの感嘆詞だった。
「そう言うお前は?」
「ただの高校生」
「の割りに終電であの時間にうろつく辺り、まともな生活しちゃいないんだろう」
「ただのバイトだ」
「何の」
終に政宗は立ち上がって、冷ややかな片目で男を見下ろす。
「何、職質?」
「…俺は刑事でもねえよ」
続けて片倉も立ち上がるとその体格差が露わになる。男は政宗より頭一つ分高かったし、横幅も十二分にあった。クラブのオーナーなどと言うインテリよりも用心棒の方が余程似合っている。
それに恐れを成したかのように政宗は二、三歩後退った。
すると男は空いた分の距離を詰めて来た。
その威圧感が癇に障る。
「―――何?」
「店に遊びに来てみないか?」
「何、スカウト?」
「試しにだ」
「俺、ホストって反吐が出る程嫌いなんだ」
「よく聞く話だな」
「あんたの店の連中、皆ぶちのめしちまうかも」
「ほう―――、この細い腕でか?」
言って、何時の間にか男の左手に二の腕を取られていた。絡み付く指先が肉に食い込んで政宗は顔を歪めた。

「何をしているでござる!!」

唐突に上がった叫びに、政宗の薄い肩がびくりと跳ねた。
入院室の戸口を振り向けば、そこには武田医師の養子である真田幸村がペットゲージを一つ抱えてぽかんと立っていた。
「喧嘩は良くないでござるよ!動物たちにも悪影響が出るでござる。見なされ、何事かと皆怯えておる」
処置台に一先ずゲージを置いた幸村は、入院しているペットたちの様子を一つ一つ見て回った。おお桜子お前はだいぶ毛艶が良くなったようでござる、だの。キュン太お前はもう少し餌を食わねばならん、だのといちいち話し掛けたりする。
「幸村、表の方は落ち着いたのか?」
政宗の問いに、少年は勢い良く立ち上がった。
「午前のお客様は終えられたでござる!御館様には某これからお食事を用意致そうと…」
「手伝ってやる。そっちが済んだら買い物行くぞ」
「おお!!まことでござるか!」一際大きく叫んで幸村は瞳を輝かせた。
「政宗どのの作られる料理は天下一品でござる。某、全身全霊をもってお手伝いするでござるよ!」
「邪魔すんなよ」
「わかっているでござる」と隠し切れない嬉しさに満面の笑みを讃えた幸村。新たな入院患者を空いていたゲージにそっと入れて、政宗共々立ち去って行った。

同じ年頃で近所に住むなら、同じ公立高校に通っていそうな2人だ。だが、決定的に違う2人でもあった。そして片倉は当然のように片方にのみ興味が湧いた。


買い物から帰って来ても片倉は未だ診療所にいた。
それ所か、武田と一緒になって生活スペースの縁側で茶をしばいていたりする。この男の何処が気に入ったのか終始武田はニコニコと笑顔を絶やさず、片倉に飯も食って行けと抜かしてくれる。
政宗は何処かパーソナルスペースに他人に突然押し掛けられたような不快感を感じながらも、仕方なくキッチンに立った。
「政宗はこの2ブロック先のアパートに一人暮らししておる」
何かの拍子で話題が彼に触れたので住いを尋ねたら、武田からはそんな返事が返って来た。
「高校生で一人暮らしと言うと…?」
「実家は山形だ、と聞いておる。病気の母親が実家に帰ったのに自分は東京の高校への進学を強く希望したと言う。母親に負担を掛けたくないからだろう、学費や生活費は全部、自分で稼いでおる」
「ほう…」
2人は湯飲み片手に、都内には珍しい広い庭を眺める。
オフィスビルや繁華街ばかりと言うイメージが付き纏う都心の一角に、昭和初期の雰囲気を未だ持つこんなエリアが残っているのは驚異だった。だが、武田の性格を推し量るに、不便であっても良いものは良いと言える潔さがそこここに見られるのも快い。
「東京の高校に拘るって事は、何かやりたい事でもあるのですかな?」
「どうであろうなあ…あやつは余り自分の事は話さぬからのう。うちの幸村はあれで獣医師になりたいだのと抜かしよるが」
「良い事ではありませんか。跡継ぎがちゃんといて」
「しかしのう、あやつはバカだからのう…」
身も蓋もない事を言い放ってあっけらかんと笑う。
「出来ましたぞ、御館様!」と奥から縁側に回って来たそのバカが、痛快な大声を張り上げた。



大皿に山盛りの炒飯とさっぱり味の卵スープ、それに野菜炒めとシーザーサラダと言う素朴な昼食が居間に用意されていた。
豪快な男料理と言えなくもなかったが、栄養バランスに気を遣い、味付けも薄めとあって作り手の細やかさが窺える内容だった。
そんな気遣いに気付いているのかいないのか、もの凄い勢いでがっつく武田と幸村。それに黙々と箸を動かす片倉によってそれらは米粒一つ残さず平らげられた。

食後の洗い物をしていると「ただいま〜」と言う軽い声が診療所の玄関から聞こえて来た。
「おお佐助、政宗どのが飯を作って下さっておるぞ!」
泡塗れの手のまま幸村がキッチンから顔を出した。廊下には迷彩柄のジャンパーを羽織った青年がいて、それがへらり、と笑う。
「あら〜助かっちゃうなあ、俺様もう腹ぺこ」
言いながらジャンパーを脱ぎ、居間へと直行する佐助。そこに寛ぐ武田と片倉の姿を見て愛想良く微笑んだ。
「ただいま〜大将」
「おう、ようやく帰ったか佐助。大儀だのう」
「まあね〜」佐助は武田にははにかむような笑みを見せた。
それから、武田の隣の男には目だけ笑っていない笑顔を向ける。
「いらっしゃい、また来てたんだ?小十郎さん」
「邪魔してる」
「そんなに暇人でもないでしょーに、物好きな人だねえ」
「お陰で旨い飯が食えた」
しれっとして言い放つ片倉に、佐助はやんわりと笑みを深くする。
「あんまり深く関わんないで欲しいね、俺様としては」
仄かに敵愾心を垣間見せる台詞に、片倉はほんのちょっと横顔を見せた。
「そう言うな、取って食おうって腹はねえ」
「だと良いけど」

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