[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―
8●
戦と戦の狭間に、小十郎は強いて政宗に請われて赤湯の温泉宿場町に赴いた。
会って欲しい人がいる、と言われてよもや政宗を男にした上臈ではなかろうかと危ぶんだが、そうした色事とは全く無縁の山中に導かれほっと胸を撫で下ろした。
山中の庵と言えば、都で貴族相手に教養の手ほどきをしていた若鶴しかいない。政宗に余計(?)な事まで吹き込んでくれた御仁と言う事で、小十郎も一度会ってみたかった。
昼間の草庵は静かなものだった。
若葉色の清々しい光が音もなく降り注ぎ、山颪の冷たい風が沢を渡る。鬱蒼と茂った庭の木々は人目からも獣の目からもその草庵を隠している。姿の見えない雲雀が何処か遠くで鳴き交わしていた。
馬から降りて、道無き庭を渡っていた政宗の左目が、庵の濡れ縁でこっくり船を漕いでいる若鶴を捕らえて細められた。そうして傍らの近侍を振り仰ぐ、どうしようか、と言うように。
「出直しましょうか…夜遅くまで客人を持て成していらしたのでしょう」
「その必要はないよ」
はっきりとした声が飛んで来て、2人は濡れ縁を振り向いた。
寝ているとも起きているとも付かない、皺に埋もれた瞳をこちらに当てて若鶴は口元の笑い皺を深くした。
「初めて見る顔だね」と小十郎の全身をざっと見やった老翁が言う。
「若鶴、こいつは俺の守役だ、小十郎と言う」
「そうかい、随分な朴念仁のようだね」
さらりと言われた酷評に小十郎は刹那呑まれた。それを意にも介さず、若鶴は濡れ縁から奥へ消えた。政宗はちらと小十郎に苦笑を寄越しつつそれを追って濡れ縁を上がる。
「藤五郎が喜ぶと思って菓子を買っておいたんだが、今日は来ないのかい?」
「今日は留守番だ」
代わりに俺が貰う、と言って政宗は出された折り菓子を摘んだ。
若鶴は頬を菓子で膨らませる横顔を穏やかに見つめる。後から座敷に上がって来た憮然とした表情の小十郎へも、おざなりに視線をやってふ、ふ、と声もなく笑う。
「客は減ったよ、戦のせいでね」問われる前に若鶴はそう嘯いた、だが責める口調ではない。
「郷外に財産抱えて逃げる者もあれば、名を売ろうとして武将に取り入る者もいる。世は麻のように乱れるだろうよ」
「翁は愚かしく思われるか」
問い返したのは小十郎だった。
朴念仁と言われた事を根に持つ訳でもないだろうが、こんな浮き世を離れた山中でひっそりと余生を過ごす者にしてみれば、戦に明け暮れる武将など愚の骨頂だろうと思われたのだ。だが、案に相違して老翁はゆっくりと首を横に振った。
「武将たちは死んだ国土を鋤き返しているのさ」
そう言って、尖った爪先で禿げ上がった鬢の内側をポリポリと掻いて見せる「死なせたのは都の貴族たちだがね」。
「彼らの屍は地味豊かな沃土をこしらえるだろう。この世にあるものに意味などない。だが、"あってはならぬもの"など一つもないのさ。無駄なものなど一つもない、ただ名付けられぬだけで」
この若鶴の言葉に小十郎は思わず眉間に皺を寄せた。戦に生きる武将たちの死に様に意味などない、と言われているも同然だった。だが、確かにそれも又一理ある、とも思った。名付けられないのではなく、個々の立場によって、時代によって、人によって、呼ぶ所が違うだけではないのだろうか。
「それは部外者の意見だ、翁」
感傷に浸る間もなく政宗は言い返した。
「そうだね。けど生き残るのは部外者だ。武将たちは皆死ぬ」
面白そうに若鶴も言い返す。本心ではないのがあから様に見て取れる。その若鶴が立ち上がって「一曲やろう」と言った。
政宗は思わずちら、と隣に腰を下ろした己の近侍を盗み見た。着いて来ようとするのを「ちょっと待ってろ」と言って押し止める。
若鶴と連れ立って政宗も隣の奥の間に消えた。
一曲、と言っても暫くしても何の音沙汰もない。訝しく思った小十郎が立ち上がって隣の間の襖障子を引き開いた。
「おや、案外せっかちなんだね」
楽し気な声がその衣装の向こうから聞こえた。
能楽のものと思しき重厚で絢爛豪華な衣を美しく着崩した人が小十郎に背を向けて立っていた。若鶴の声はその腰の当たりから聞こえて来た。しゃがんでいるのがひょっこり顔を出して悪戯げに皺深い笑みを見せる。
「もうちょっとお待ちよ」
それが引っ込んで、しゅるしゅると絹が引き締められる音がする。手際の良い着付けは本来2人一組で成されるものだが、老翁のやり方は略式のようだ。間もなく鮮やかな金糸の刺繍を施された長絹がふわりと肩に掛けられて、それを腰帯できっちりと締めれば完成だった。
若鶴は懐から二枚貝の器を取り出してそれの紅に薬指を浸した。
「面を付けるのも良いがね、若い者が生まれながらに持つ華は直面が良い。それは年経る内に失われて行く今だけの華だから」
その人の顔に薬指を走らせていた若鶴は自らの出来に満足したか、顔一面に出来た皺を更に深く刻んでにっこりと微笑んだ。目の前に立つ少年を安心させるように。
「見せておやり、そこの朴念仁に」
少し恨めし気に睨め付けられた若鶴は、自分で動こうとしない少年の肩に手をやってゆっくりと振り向かせた。
その横顔が見えただけで小十郎は息を呑む。
白いドーランを塗りたくられ顔の造作を判じ難くさせていたが、閉じられた右目と見開かれた左目が間違いなく己が主人であると指し示していた。だが、その左右の目尻と下唇だけに引かれた紅が、目眩がする程の戸惑いを生んだ。
「ま、さむ―――…」
言い掛けた男の口を慌てて政宗が両手で塞いだ。
その時、小十郎の鼻先に覆い被さって来る化粧と古めかしい着物の香りに惑乱が募る。細い腕がめくれた着物の袖の中に消えて行き、身じろぎする度に吐息が甘く香る。
「バカが…舞の為の化粧だ。…遊びだよ…」
きりりとした片目が悩まし気に自分を睨む。それすらも自分を誘惑しているかのようで体を動かせない。
何時の間にか持ち込まれた七弦琴が、不意に掻き鳴らされた。
舞うように政宗が小十郎から離れ、手にした扇子を試しに開いたり閉じたりする。立っていられなくなった小十郎は襖障子を背に、呆然としながら腰を降ろしてその様を食い入るように見つめた。
開け放たれた三方向からの光が正しく開放的に初夏の日差しを導き入れる。その中にすっくと立つ少年の姿は異邦を思わせ、またこの世ならざるものですらあった。
爪弾かれる弦が幾重にも折り重なり、世界は色彩を帯びた。

『紛々たる世事 亂れて麻の如し
 舊恨新愁 只自ら嗟く
 春夢醒め來って 人見えず
 暮憺雨は酒ぐ 紫荊の花』

一曲舞い終わって政宗はふう、と息を吐いた。その身体が力強く掻き攫われる。
巻き込まれるようにして、座る男の膝の上に尻餅を突いていた。体の形が分からない程、分厚く着込まれた着物の腰を抱いて男の左手が袖の中に差し込まれていた。その手が素肌の二の腕を弄る。
「貴方は…いけないお方だ―――俺をこんなに魅了して…」
まるで欲に塗れた声音は囁き声に近かった。耳を聾するその声に、言葉に、男の中の熱を見る。
音も立てず、七弦琴の前から若鶴が退いた。
それにさえ気付かず、政宗は俯いた小十郎の顔を両手で挟んで覗き込んだ。
「こんな様で遊び呆ける俺を叱らないのか?」
「お美しうございます…」
「………」
何を言っているのかと惚けたような表情が実にいとけない。
自分の様がどれだけ男の欲を煽っているのか分かっていないのだ。遊び半分に施された化粧には、武将である事も男である事も、ましてや戦国の世、伊達の家など掻き消す程の威力があった。
頬を掴まれながら小十郎は、凛々しい少女のような主の顔を凝っと見つめた。そうして言ってやった、その耳に囁くように、心に刻み付けるように。
「共に、苦界に落ちて頂けるか?」
「―――…」
「未来永劫、解き放たれる事のない苦界の海に」
「何言ってるんだ、小十郎」ふと大人びた笑顔を淡く浮かべて政宗は言った。
「生きる事は苦しみの連続だろう。俺はそれでも生きる事を選んだ。お前がいるからだ、小十郎。そんなのはずっと昔に、言った筈だ…」
そうして、真っ赤な紅を引いた唇で、男のそれを覆い尽くして吸った。
反応がないので何か間違ったか、と思い恐る恐る男の顔を離して覗き見る。化粧の紅が小十郎の唇や口の端に移っているのを見て取って、いけないと思った。男の黙んまりを続けるその眉間に深い皺が刻まれていて、怒らせてしまったのだと焦る。彼の頬を掴んでいた指先で慌てて拭うが、却ってその紅を広げてしまっただけのようだ。
不意にその手が掴まれて、指先にぬるついたものが絡まった。
男の口に含まれているのだ、と気付いた時、政宗の背筋を甘い痺れが走った。熱い吐息が跳ね上がる。
人差し指と中指とを同時に舌で舐られ、時に強く吸われる。更に痛い程歯を立てられたかと思えば、口から吐き出された指の間を尖らせた舌先がちろちろと、這う。
追い詰められている、と言う感覚はあった。
男はそうしながらやけに冷静に自分を観察している。溜め息が切ないくらいに繰り返されて疼く体を所在なさげにもぞもぞさせるが、腰を抱きとめられ腕を掴まれて動けない。全て、男の手の内にあった。
甘い痺れは、腰の中央に甘怠い何かとなって滞って来る。
小十郎は少年の手を取ってその掌を、手首を、腕の内側の柔らかい部分を選んで順を追って舐った。時折、戯れに己の印を残しつつ。
未だ開かぬ花弁のような肌えの感触を存分に味わいつつ。
そして、自分の行為によって、徐々に欲の熱を高めて行く少年の様を、今直ぐにでも引き裂いて貪り、味わい尽くしたいと言う己の欲求を捩じ伏せながら瞼に灼き付けつつ―――。
肩までまくり上げた錦織の衣の影にも口付けを落とした。
袂の隙間から忍び入れた掌は、少年の薄い背を行ったり来たりして、時折強く抓った。少年はその頃には完全に男に身を委ね、小十郎の肩口で忙しない呼吸を繰り返していた。
その手が、男の胸を押しやり下から熱に潤んだ瞳で見上げる。
左目が無言のまま訴えかけて来る。
口付けを―――。
雄としての小十郎の口付けを切ない程欲しているのだ、と。
少年の白い顎に手を添えて、顔を近付けて行った。
震える唇を最初は軽く啄んだ。
口元に、熱い吐息が甘く香ると堪らずその全てを覆い尽くしていた。角度を変えて舌を挿し入れ、惑う小さな舌先を何度も舐った。舌裏の過敏な所を突き撫で回してやると、合わせた唇の間から艶めいた吐息とも声とも付かぬものがひっそりと溢れる。
舌を堅く尖らせて深く突き入れると、教わる事もなく少年はそれにしゃぶりついた。滑り落ちる唇を何度も吸い付け、男の舌の根元まで自らの舌を絡めた。
―――駄目だ…体が張り裂けそうだ…。
その行為が男の雄心に施す唇の愛撫を思い起こさせ、小十郎は猛り立つ己の一物を持て余す。
この後ゆっくり少年の体を蕩けさせ、解し、馴らしてから、などと言うまどろっこしい手順など踏めそうにない。だがそうなると受け入れる側の彼の体に大層負担が掛かってしまう。初めての行為で彼の体に傷を付けたくはなかった。
そんな悩ましい思いに捕われている男の傍らで、口付けから解放された少年が俯いたまま荒いだ息を繰り返していた。その手が未だきちんと着付けられ、強固に着崩れようとしない衣装の帯を解きに掛かる。
―――ああ、その素肌に触れたら…。
そう思うといたたまれず、彼の覚束ない手を押し止めていた。

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!