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―記念文倉庫―

それから4日後、星占の占った吉日通りに伊達軍総勢1万4千は相馬の出城丸森城に進軍した。
篭城を決め込んだ敵方を包囲すべく、輝宗配下の武将らが城のそれぞれのとば口に陣を張る。その一つに政宗も一軍を任されて配置される運びとなったのだが。
「何だと…政宗が?」
定刻となっても丸森城南西の忍口に陣を張っていない、と言う伝令の言を受けて輝宗は色めき立った。あと半刻もしない内に一斉攻撃を仕掛ける手筈となっているのに。忍口は隣郷への逃走の最も近道となり、また隣接する攻め手の横ッ腹に食い込む要所ともなる。
「何処にいるのだ、政宗は」と輝宗は尋ねた。
「それが…近隣にそれらしき軍勢が見当たらず」
この報告に家臣らがざわめいた。
頭首輝宗の前であから様に罵る口はなかったが、逃げたのか、と言う見方をしているのは明らかだった。浮き足立った家臣らの前に輝宗は唖然となった。
初陣をこのような汚名で台無しにしてしまう、あるいはやはりと言う気持ちがなくもなかった。しかし、あれの側には片倉小十郎景綱が侍っている筈だ。あの男がこのような所行を許す筈がない。
「静まれ」輝宗は腹の底に力を込めて一喝した。
「隣口の横川と伊平に陣を広げさせる」
「しかしそれでは二方の陣が薄うなってしまいます」
「全方位を塞いでこそ今度の戦は成る手筈だ。穴は埋めねばならぬ」
「相馬の軍勢は勇猛果敢、そのような付け焼き刃にては勝てる戦も勝てませぬ。ここは一度退くべきかと」
「一戈も交えずにか」
「それもこれも、ご嫡子の怠惰故」
「―――」
長年共に戦って来た頼りの家臣らと言い争う事暫し、輝宗は決断せねばならぬ瀬戸際に立たされた。このまま強堅に突き進み多大な犠牲を出してまで無理矢理勝ちをもぎ取るか、あるいは屈辱的な撤退を余儀なくされるか。
その時、新たな伝令が本陣幕内に飛び込んで来た。
「丸森城に動きあり!忍口より大軍が押し寄せ、烏丸口および桜口に待機するお味方勢に向かっております」
退却の可能性が閉ざされた。
薄い攻め口となる忍口の両脇陣営に出陣の合図をする前に、その混乱に乗じて相馬の二千の軍勢が押し寄せた。
伊達軍はすぐ様鉄砲隊で迎え討つ。
三段の攻撃手を交互に入れ替え攻め寄せる高波のような歩兵を薙ぎ倒したが、勢いづいた敵方は見る間にその距離を詰めた。
更にはその後方から土埃を蹴散らして騎馬隊が奔り来る。馬柵を立てる間もなかった。元より、攻め入る手筈をしている伊達軍に防御の構えは有って無きが如しだった。
次々に飛び込む戦況の移り変わりに、紙のように表情をなくした家臣らは互いの顔を見合わせた。負け戦、と言う文字が誰の頭にも過った。
せっかく田村氏と同盟を結び、相馬の勢力を削ぐ事に成功したと言うのに、このような有様では古参の家臣ですら伊達に背を向けかねない。
「廃嫡は必至ですな」
父、祖父の代から伊達についていた牧野がそう言い捨て背を向けた。輝宗に返す言葉はない。
その時である。
一際度を失った伝令がこけつまろびつしながら幕間に転がり込んで来た。
「注進!突如南方の森より現れたお味方勢が忍口、烏丸口、桜口より丸森城に潜入、守りの手薄となった二の丸を打ち破って本丸に到着した模様です!」
「……は?」
「更に、烏丸口と桜口にて苦戦中のお味方の援軍として敵の背後より500の騎馬が追撃に出ております…敵は総崩れです!!」
こう言う事だ。
丸森城の相馬には前評判として、今度の戦を形勢逆転の好機と見なした伊達輝宗が嫡子の参戦を強く望んでいると聞き知っていた。だがその嫡子の風聞はここ相馬の地にまで及んでおり「伊達政宗、敵前逃亡」との知らせを受けるや、血気に逸って城を飛び出していた。輝宗の鼻を明かしてやり、その所領をごっそり頂いてやるつもりだった。もとより、輝宗の戦の腕は凡庸の域を出ていない、と重ねて戦を繰り返して来た相馬義胤の出していた結論でもあった。
しかし、政宗は丸森の地の南・霊山に全軍を潜めて敵が突出して来るのを待っていた。己の風聞が相馬に慢心を起こさせる、とも全て予測しての事だ。そこから騎馬800を荒駆けさせ、開け放たれた忍口、烏丸口、桜口へ突入。城門を確保するや後から馳せ来った歩兵らにその城門や角櫓を制圧させ、取って返した騎馬500と歩兵の残り500にて味方軍を追い立てる相馬の軍の背後から攻め入った。
騎馬300と歩兵200の寡兵で丸森城は落ちた。
正に疾風迅雷の早業だった。

本丸へ攻め上った政宗は両脇に小十郎と成実を従えて、覚悟を決めた相馬義胤の前に立ちはだかった。馬を降り、血刀を引っさげ、他に数人の側小姓や徒士などを従えているだけの、ほんの若造だ。
だが、歴戦の武将である義胤の背筋に底冷えのする何かを走らせるような眼差しを持った少年でもあった。
その片目が自分を何の感慨も抱かず見つめる様に、これは正しくただの子供ではない、とはっきり感じた。
「…遠大な猿芝居だったと言う事か…」
まさか、元服してからの4年間全ての噂がまやかしだったとは思い難い。が、今のこの現状を見る限り、そうとしか思われなかった。義胤は赤銅色に日焼けした渋面を自嘲の笑みに歪めて、白州の上に座り直した。
「持って行け、この皺首一つで千葉一族相馬家の所領は全てそなたのものだ」
もはや、何を語るまでもないと言った義胤の嘯きに政宗は何としたか。
ひゅん、と彼は血刀から血糊を振り払いそれを鞘に納めた。
形式的な初陣の大鎧、その華々しい具足を鳴らして祖父と孫程にも年の離れた武将の前へ歩み寄る。
そうして、自分の前に跪いた義胤の前にどっかりと腰を下ろした。
「これは父の戦だ」
政宗の短い一言のその意味が分からぬ、と言うようにその幼い顔をまじまじと見やる。
「伊具郡と亘理郡、これらは元々伊達の所領だ、それを返せ」
「…何だと?」
首を取る事もせず、それまでか奪った領地を返せば許すと言う、そう言った旨の政宗の言に義胤は耳を疑った。
「そなたは…」
「俺は未だ若輩者だ。長年、父と渡り合って来たお前を討ち取る訳には行かん、父の名を汚さぬ為にも」
「………」
「あっさりと返してはならぬ、お前にも矜持はあるだろう。佐竹や田村などの仲介を得て渋々従え。そうすればお前の面子も保てる」
「馬鹿な!そのような嬲られ様を安んじて受けると思うてか…!!」
いきり立つ老武将を冷ややかな面の政宗はただ無言で眺めやる。まるで己の意志を翻意するつもりなど毛程もなさげな様子だ。
「代わりに、そこの2人」
ちら、と少年が視線をやった先には、義胤の右腕とも言われる重臣・相馬隆胤と加藤道睦が主君の後に控えて苦渋の表情を浮かべていた。
「首を貰い受ける」
「………」
「俺たちも手ぶらで帰る訳には行かないんでな。策とは言え、遅参した言い訳ぐらいには役に立ってもらう」
なれば一矢報いて、とは思えなかった。
完全な敗北だ。
取った首を脇侍2人に持たせて悠々と立ち去る政宗を、義胤は身じろぎもせず見送った。

初陣にての政宗の活躍により、彼は彼自身の風評を覆した。
辛くも丸森城城主・相馬義胤は討ち漏らしたものの、その重臣2人を討ち取った功績も大きかった。無能の振りして放蕩の限りを尽くして来た伊達嫡男・政宗を悪し様に詰っていた重臣らも、掌を返したかのようにその武勇を褒めそやした。
かつてより、初陣を境にその評判の有り様を一転させた武将は少なくない。それは大概その父や近従らの謀である事が多いのだが、目の前でその快進撃を見せられた方は面白いようにその策に引っ掛かった。
米沢に取って返して次なる戦の手筈を整える伊達勢もその例に漏れず、嫡男の次の働きを期待して戦列を練り直していた。
伊達輝宗はそうした家臣らの一種異様な熱の高まりを他所に、人払いして静まり返った自室に片倉小十郎景綱を呼び出していた。
「大胆な策であった…」
輝宗は少々苦いものを呑み込んだ渋い表情でそう切り出した。
「その大胆な策に乗って下さった剛胆な主人があったればこそです」
しれっとしてそう言い返す知将を、つい漏れる苦笑と共に見やる。
人の噂が真のものではなく、政宗の評判を利用して初陣にてそれを一掃する、と言う話は前回の密談で受けていたが、輝宗はその策の細かな内容までは小十郎から聞き出していなかった。
家臣らと共に自分も小十郎に踊らされた気分だった。
まあ、悪い気分ではない。
「それにしても、政宗は風聞を利用しての今度の策をよくぞ受け入れたな」
「―――…」
返答に困った小十郎を、ん?と思って改めて見やる。
前回、2人きりで謀の相談をした時とは打って変わって憂いの晴れたすっきりとした面持ちだった。敬愛する主人が晴れて衆人の誉れの前に誰憚る事なく立てて嬉しくない筈がない。だが、それだけではないようだ、とも輝宗は思った。
「政宗様はこの小十郎が策ならば、どのようなものでも受けると仰って下さいました…ただ」
「ただ?」
「途中から自分を諌める事を止め、後にこの風聞を利用して汚名返上を計るなどと言う考えを小十郎一人で抱え込むのは止せ、とも」
輝宗は破顔した。
良き主人とその従僕だった。
その信頼の絆をあから様にして、互いに包み隠す事のないよう求める政宗の器量の広さも快いものだ。
「それは政宗も不安に思う所だろう。未だ若いのだ、そなたが導いてやれ」
「は―――」
酒瓶を差し出されて、小十郎は畏まってそれを己が杯に受けた。
暫時、黙したまま盃を干す時が流れた。
米沢を囲む山々からもようやく積雪が消え、田植えの準備も怠りなく進められている。暮れた夜気には寒風だけでなく温い日差しの残り香があった。
黄や紅の花が道端のそこここに見られ、輝宗の居室の庭からも菖蒲の花や睡蓮などの瑞々し葉の有り様も見て取れた。
今、開け放った板戸からは仄かな山梔子の甘い薫り。
「そなたの策と政宗の決断…それらがあれば、後の憂いも薄れる」
「…輝宗様?」
「家督を譲る日もそう遠くはあるまい」
「しかし…政宗様は未だ15歳とお若く」
「景綱」
改めて名を呼ばれ、小十郎は口を噤んだ。
「あれを頼む。剛胆なようでいてその実脆くもある。欠けたる身体があるように、心の中にも大きく欠けた穴が未だ埋められずにいるあの子を―――。そなただけが埋めてくれるものと思っておる」
「………」
真摯な父君の願いが、小十郎の胸を灼いた。
彼を支え導くのはかねてから小十郎自身の願いでもある。それらを全て打ち壊してしまいそうになる程の激情さえなければ、喜んで輝宗の言葉を承ろう。だが、抑えの利かない極限の欲望の果てに政宗を、ひいては伊達家を滅ぼしてしまうのではないか、その危惧が小十郎の喉を塞ぐ。
「何を迷うておる?」
「いえ…」
「思慮深いそなたの事だ、私はこれ以上何も言うまいよ」
微かに笑われ、小十郎は身の置き所に困る。
差し出された空の盃に新たな酒精を注ぎ足しつつ、小十郎は今ある胸の裡の感慨を噛み締めた。


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