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―記念文倉庫―

城中の鍛冶場で二人の為の刀を打ちならしている様子を窺った小十郎は、城下へ出て甲冑師の工房に足を伸ばして届け物をした。
採寸した政宗と成実の身体表だ。
これより甲冑師は日を夜を継いで2人の初陣の為の甲冑を制作する。意匠の仔細は前もって決めてある。大鎧と呼ばれる古式ゆかしいスタイルだ。美々しいものとなるだろう。
抜かりなく全ての指示を終えた小十郎は、しかし直ぐには帰途には就かず松川に添って奥州街道を北上し、その途中の宿場町にふらりと立ち寄った。
示し合わせの合図に軒先に笠の下げられた宿へと入って行く。
宿の主人には「待ち合わせだ」と応えた。相手の名前を告げると主人は余計な事の一つも言わずに彼を二階へと導いた。
待っていたのは、一人手酌酒を辛気に嗜む一人の男だった。
熊のように体が大きい。そしてその大造りな顔半分を覆う黒い綿のようなごわごわの髭だ。
―――若鶴の庵で「太夫」あるいは「吉野太夫」と呼ばれていた戦好きの男だった。
一先ず、と言った風に、冷んやりした床に腰を下ろした小十郎に向かって太夫はちょっとおどけた様子で酒杯を差し出して見せた。
それには応えず、小十郎は懐から紙に包まれた小さな物を取り出して男の方へと押しやった。それをすっと掬い上げた太夫、紙包みを解いて中身を確かめる。
口の端が歪んで、そそくさと紙包みを懐に仕舞った。
「あの子供たちが何処の何様か知らないが、あんたもご苦労なこった…」
「いらぬ詮索はするな」
冷ややかな返しに太夫は、へいへいと呟いた。
「戦と聞いて即姿を消したからな、凡そ見当はつく。なら尚更その御名を聞く訳にゃ行かねえだろうよ」
重ねてギロリと睨まれ、男は肩を竦めつつ盃に口を付けた。
それへ、ふとした疑問が湧いて小十郎はひたと男の横顔を見つめた。
「その…若鶴、と言う老翁は何者だ?技芸の道に秀で、学も深く高いと言うが」
「詳しくは俺も知らんよ。ただその昔、都で坊さんやってた、ってくらいだな。公家たちの教育係みたいなものも勤めたらしい。時の帝の相談相手だったって噂は、そりゃ行き過ぎだろうが」
「…そんな御仁が、何故奥州の地で」
「そんなの知るか。だがまあ、当時を知る者や若鶴の噂を風の便りに聞いてやって来る者は後を絶たねえ。退屈はしないな」
そうそうそう言えば、と太夫は笑った。
「その若鶴が、あの2人を一人前の男にする為のお膳立てを仕上げたって話だ、粋な事をしやがる…俺からしてみりゃ遅いぐらいだが」
―――何だと?
口には出さずに小十郎は息を呑んで固まった。
「あの年頃の若い者は鬱屈が溜まり易いもんだ。それを、一癖も二癖もある上臈を宛てがって満足させた。"子供"が"男"になって箔も付くだろう。ま、羨ましい限りだぜ…」
あそこの宿の女は俺には高嶺の花だからな、などと続ける男の言葉は耳に入って来なかった。
頭の中で血が踊っている。
それが怒りなのか、度の過ぎた緊張なのか、小十郎にも分からなかった。
人々の口さがない噂は政宗が城下町や遠所の宿場で好き放題していると真しやかに囁いたが、こうして情報を集めかつ身辺警護を執らせていた小十郎には真実は全て筒抜けだった。
喧嘩などの無謀な行為を覗けば2人は大人しいものだった。自ら危うきに近寄らず、も徹底していた。
それが、若鶴とか言う隠遁者の導きによってこうもあっさりと。
その後、どのように帰途に就いたのか記憶は定かではない。

城に戻ると政宗は自室で机に凭れ掛かりながら居眠りをしていた。赤湯の里から一睡もせず舞い戻って来たのだ、疲れたのだろう。
夜と言うより浅い夕暮れが、明かりを灯すかどうか未だ迷う時分、暗いような明るいような微妙な陽の光の中で少年の横顔は無防備にあどけなさを晒していた。
小十郎は音を立てぬようその傍らに膝行し、彼の寝顔を眺めた。
―――触れてはならぬ…。
そう思えば思う程、指先が震えるような熱の塊に小十郎は襲われる。
それを必死に押し殺している一方で、少年は子供から男になってしまった。手前勝手な事に、自分はそれに傷ついている。己自身は欲が募れば女でも男でも散らす事を躊躇わない癖に、政宗に対しては何処か聖域であって欲しいと願っていたのだ。
―――バカバカしい…。
彼は一人の人間であり、男に過ぎない。
―――触れても、良いのだ。
地に堕ちた神性、とでも言うのだろうか。思い知るが良い、と言う底意地の悪い憤りが胸を、いや体を圧して小十郎を食い潰そうとしていた。
品行方正な振りをして尤もらしく説教垂れていた男はその実、全き雄のどす黒い欲望に募る目でお前を見ていたのだと。
小十郎は、解れて頬を流れ、僅かに開いた唇に差し掛かる少年の黒髪を指先で払い退けた。陰りのないその頬を掌で包み込む。
政宗が目を覚ました。
ゆっくりと左の瞼を押し上げ、自分の頬に添えられた温かい手を見やる。その伸びた腕を辿って徐々に顔を起こし、開け切った板戸からの蒼白い光の中にほぼシルエットになった男の顔を振り仰ぐ。
何かを語りたげに自分を見つめる二つの目。
少しだけ汗ばんだ大きな掌。
無言で、強い眼差しで見つめる時、彼は側小姓でも何でもなくただ一人の男であり、人間であり―――。
突然どうしたのだ、と言う疑問が湧いたのと同時に政宗には分かってしまった。この男が近年自分に対して抱き続けて来た憤りの理由を。
「小十郎」
「軽々しく口をお開きになるな」
言い差した政宗を不躾なまでにきっぱりと小十郎は遮った。
自分が幼な過ぎたのだ、と政宗は思った。知性にしろ戦経験にしろ、性的なものにしろ。一歩も二歩も先を行く男には、ただ見守るより他術はなかった。
政宗はさっと手を動かして、自分の頬に手を添える男の着物の袖を掴んだ。
「…俺がお前を恐れるとでも思ったか…」
「………」
「何も分からぬ無垢な子供だとでも思っていたのか、答えろ」
「………」
静かな恫喝を繰り返す、若い主人を見下ろす小十郎の瞳に戸惑いが揺れた。
「俺が欲しければ、喰らえ。その程度の事も出来ぬ臆病者が、俺を脅せると思うな!」
言うだけ叫んで、政宗はだっとばかりにその場から走り去ってしまった。

残された小十郎は、取り零された己の左手を政宗の文机の上から持ち上げた。
恐れると思ったか、何も分からぬ無垢な子供だとでも?
臆病者が―――!
その手をもう片方の手で潰す程に掴んで、男は踞った。


梁川八幡宮本殿にて、伊達輝宗・政宗父子の他、主立った重臣が勢揃いして宮司の吐く祝詞を畏まって拝聴した。
未明の梁川八幡宮は神域に相応しく、鬱蒼と生い茂った立ち木の中にひっそりと沈んでいる。
壮麗華美とはほど遠いが、黒ずんだ木目と銅版葺の重厚な唐破風の屋根が、戦国武将たちの好みを良く現していた。
初陣祈願の儀が終わった後、一堂は表参道から1キロ程の所にある梁川城へ入って簡素な宴を開く事となった。八幡の神に必勝を祈り、更に伊達氏の祖・朝宗、その数代後の頭首であり梁川城築城主である持宗らなどの加護を願ってのものだ。
「私は今暫くここに留まって祈祷を続けたいと存じます」
そう言って平伏する政宗を、輝宗は家臣らの視線を気にしつつ見下ろした。
「では、幾人か護衛を」
「必要ございません。伊達の氏神、その懐の内で如何なる凶事がありましょうや」
「…ならば、せめて景綱だけでも側に置け」
「―――承知致しました」
表参道の大鳥居の前で、政宗と小十郎は立ち去る一行を見送った。
五月の朝日がちらちらと漏れ入る立ち木の合間に、彼らの馬や徒士らの歩み去る姿が消えると、政宗は傍らの男を見上げた。
「一人で残る、と言えばお前が遣わされると分かっていた」
意味ありげにそう告げた政宗は、本殿へは戻らずに境内の中の曲がりくねった山道を静かに歩き出す。
社の森の奥、小さな観音堂の傍らにある池の端まで無言で歩いた。
鳥の囀りだけが聞こえる。戦や領地争い、家督相続の諍いなどとは全く無縁の静寂の中、池の面は鏡面のように平らかに凪いでいた。
―――まるで政宗の心中のように?
それを背にして政宗は己の近侍を振り向いた。
常と変わらぬ難しい顔をした男が無表情に自分を見つめ返していた。この男の顔から笑顔が消えたのは何時からだったろう。自分の胸の裡の戸惑いや苛立ち、訳の分からないもやもやしたものに気を取られている間だ。それは確かだ。
彼の笑顔を消したのは自分のせいなのに、その事にすら憤りを感じていた。
自分が余りに稚くて拙くて、男を勘違いしたから。
政宗は何度か深く静かに、呼吸を繰り返してから僅かに口を動かした。
「先日は突然の事で俺も取り乱してしまったが、戦の前にはっきりさせておきたい。…そうだな、お前は何時も俺の側にいてくれた…」
らしくない緊張に微かに語尾が震える「これからは、どうだ?」と。
「政宗様…」
「俺は、ずっといて欲しい、と思っている」
「―――…」
「だが、お前が堪えられないのなら…退くのも許す」
見るからに男の肩が動揺に揺れた。その手を取って、政宗は己の頬に押し当てた。
あの時、小十郎がそうしたように。
「この後はどうする?唇を吸えば、いいのか、…女と同じように?」
「政宗様…!」
思わず引こうとした手に取り縋っていた政宗が、引かれるまま小十郎の胸に落ちた。男の体が強張るのを押し付けた額からありありと感じ取る。
「お前は俺に腹を立てて距離を取ったのだと思っていたんだ。そうしたら…俺もう訳が分からなくて、どうしたら良いのか…だから…」
「政宗様は…当然の事をしたまでです。貴方は何も悪くない」
「…お前は俺を買いかぶり過ぎだ」
ほんの僅か、垣間見せる年相応の不貞腐れに、小十郎は目を細めた。
「……小十郎を、受け入れてはなりません、政宗様」
身を男の体に寄せながら、政宗は男を振り仰いだ。
「何故だ」
「―――小十郎は欲深く、罪深い」
そう言いながらうっそりと細められた瞳で見つめられ、無骨なその手が何度も滑らかな頬の上を滑る。
「…どう言う事だ」
一瞬、男は泣くかのように思われた。だが、その泣き笑いのような表情のまま、優しげな声音で重ねて言う。
「貴方を俺だけのものにしたくなる…男でも女でも、誰にも、何者にも触れさせたくなくなる…」
その、男の台詞は政宗の深い所に染み渡りながら広がって行った。初めて聞く、情熱の言葉だった。
体の芯が焦げ付く程の。
「―――無茶、言うな…いずれ跡継ぎは残さねばならない」
「それすら許せなくなってしまう、だから―――…」
言い掛けた所を衝撃が邪魔した。
下から両腕を首に巻き付けて来た政宗が、歯がぶつかる程の勢いで唇を押し当てて来たからだ。男は身動きを忘れた。突き飛ばそうとする理性と、掻き抱きたいと言う欲望の狭間で痴呆のように立ち尽くす。
「たった一人だ、小十郎…」
微かに唇を離し、その胸元に顔を埋めた少年が呟く。
「たった一人で良い、魂を燃やして愛する者は……。俺は籠の鳥だ、だから心のない交わりもするが、小十郎…お前がいれば」
そんな口説き文句を何処で覚えて来たのかと、小十郎は泣きたくなる程の痛みの中、微苦笑を口元に刻んだ。
知らぬうちに大人びていた。知らぬうちに女を抱き、それと気付かぬ間に自身の邪な想いに応えようとするまでになっていた。
「…ご安心下さい、政宗様。小十郎は何処へも行かず、生涯、あなた様のお側にお仕え致す所存でございますれば…」
そっと引き離された政宗は見開いた左目をまじまじと男に当てたまま、彼が自分の言葉をちゃんと理解したのかどうか訝る表情だ。
陽が高くなり、暖められた風が新緑の小枝を揺らした。ザワザワとした葉ずれの音が社の森全体に広がり、静かだった池の面にもさわさわと小波を立てて通り過ぎて行った。
―――籠の鳥、それを解き放ってやる事が出来ないのなら、これ以上苦しめる訳には行かなかった。
小十郎は少年を促して本殿へと引き返した。


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