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―記念文倉庫―

山中を歩いて庵に着く頃にはとっぷり陽は暮れていた。
夕刻には何時も客人は引き揚げるのに、その日に限って煌々と明かりが灯り、そして何時も以上の人数が集まって来ていた。
それが、狭い一間に納まり切れず濡れ縁に腰掛け、あるいは庭のそこここで深刻そうな表情を付き合わせている。
戻って来た2人を気にする者も少ない。
政宗たちは真っ直ぐ庵の一間の中へ人混みを掻き分けて上がって行った。そこには、普段通り人の輪の中央に若鶴がいて、しかし珍しく笑みを消していた。
それが政宗たちの姿を見るとふ、と目尻を下げる。その彼に招かれて2人は彼の両脇に座った。
「相馬義胤が亘理郡に侵入した」そう切り出したのは、昨日もここに上がり込んでいた髭もじゃの流浪人だった。
「伊具郡だけでなく亘理郡まで…。こりゃいよいよ本格的な戦の始まりかね―――。相馬のその後の動きは?」
流浪人が話を振ったのは、儒学者の若い男だ。
「山城を一つ二つ落として、各所に陣を張って我が物顔だ。本陣は相馬の出城である金山城に戻っているがな。さすが、源頼朝に領地を封じられた武勇の持ち主だ。三郡から始まった所領も今や倍に増えた。今後も勢力を伸ばして行く為に取った策が、佐竹と組んで伊達を打ち破る、そう言う事だから戦は避けられぬだろう」
その佐竹に対しても従属ではなく並立もしくは不服従の立場を貫いた。
伊達とは戦国時代を通じて30回以上もの抗争を続けて終には敗北するも、その気構えで独立を維持する。そうして凡そ、鎌倉時代初期から明治までの700年以上、奥州相馬の地を統治した類い稀な領主の血筋だった。
政宗の父・輝宗にとっては敗戦の苦渋を舐めさせられ続けた宿命の敵で、ついひと月前にも伊具郡丸森城を巡って野戦が行われたばかりだった。
だから政宗も、当分大きな戦は起こるまいと踏んで長養生の逗留を当て込んでいたのだ。
それが狂った。
話を聞いた成実が青ざめた顔を政宗に振り向けた。見やった先で当の本人は、盆に出された梅の実のつまみを口に放り込んだ所だった。全く戦の事を意に介してない様子だ。
「連戦連勝で勢いづいた相馬だが、次の戦はそう思い通りにゃなるめえよ」と髭の流浪人が豪語した。
「何故」
問い返したのは政宗だった。
それに対して男は黒い綿のような髭を片手で扱きつつ、自慢げに言い返した。
「そりゃお前、三春城主・田村氏と伊達輝宗様が同盟を結んだからに決まってる。田村は相馬との同盟を破棄したんだ。そのせいで相馬は身内からも離叛者を出してる」
「けれど、非道い戦になるのだろう?」
不安げな声をひっそりと低めて問い返したのは富山の隠居だった。武士ではない民は村を焼かれたり畑を荒らされたりするだけで、戦など一つも歓迎していない。なのに、流浪人は大層浮かれた様子で言い返した。
「奥州の中央でド派手にぶっつかるだろうよ」と。
「大夫は残酷なお方だ」
隠居は恨めし気に男を見やった。
「男が戦で咲いて散らねば何時生きる?」
「生きるなら風流に、死ぬ時はもののあはれの中に」
「軟弱な」
言い合った後に、大夫と富山の隠居は静かに睨み合った。
「生まれ落ちたこの世を嘆いても仕方あるまいよ」
苦笑と共に顔を背けた2人を嗜めたのは若鶴だ。そうしてから庵の中を、そして庭先までをざっと見渡す。
「いい加減、帰っておくれでないかねえ、あたしゃもう眠い」
「若鶴、奴らは当分帰りそうにないぞ。皆今後の身の振りが気になる」
そう言う大夫が一番帰りそうにもない。
おどけて口をへの字に曲げた若鶴だが、その事については諦めた。その代わりと言う風に、梅の実を摘んでいた少年2人を交互に見やる。
「腹が減ったろう、勝手口に粥と焼き魚があるから食うておいで」
言われた政宗がふと顔を上げる「翁は?」と。
「あたしはここで居眠りかね、何、明日また七弦琴を弾いてやろう」
「約束はしない」
「おや、どうして」
「籠の鳥だ」
脈絡のない政宗の言に、若鶴は皺の中に埋もれた細い目を更に細くした。
「飛ぶ夢を夢見て、お前は鳥になったら何処に行きたい?何をしたい?」禅問答のような問いを重ねる。
「何も」と政宗は応えた。
「何もしない。その時は自分と言うものが消える、それだけだ。だから俺は鳥にはならない」
「そう決めてるんなら、お行きよ」
政宗は黙って立ち上がった。
傍らで訳が分からぬまま話を聞いていた成実も後を追う。
今のは別れの言葉だった。
勝手口を出て少し行くと水場に粗末な厩舎がある。政宗たちはすっかり冷めた粥などには見向きもせず、燭台の炎の中で素早く馬装を整えると庵の裏山から深夜の山中へと飛び出していた。

米沢城に舞い戻った政宗たちは、旅装を解いてすぐ様朝議に参列した。
初めての事だった。
帰城の知らせを受けた輝宗が、それを耳打ちして来た小姓を使いに出させて途中でも良いから政宗たちに朝議に参れと命じたのだ。
その席で輝宗は今度の戦を己が嫡子の初陣と定めた。
「吉き日を選んで梁川八幡宮にて初陣の必勝祈願を致す。政宗、身を慎み潔齋を怠りなくして初陣に備えよ」
朝議が終わると既に夜が明けていた。
諸臣は戦支度に各郷へ散って行ったが、政宗にやる事はない。
初陣は、それを課す親が子の行く末に幸いあれと望んで負ける憂いのない勝ち戦の中、自分の陣内に執らせるものだ。
髭の太夫が豪語していたように、田村氏の後援を受け、敵の相馬氏の中に離叛者が続出する中、明らかに勝ち戦を見込んだ輝宗は、初陣に最も相応しい年頃になった政宗と成実を当然のように戦列に加えた。
そのように楽観的な事情の中では、初陣を飾る手柄も大した意味はない。
更に、政宗のように普段遊び呆け、剣の稽古も最も近しい者たちとしか行った事のない跡継ぎには、家臣の誰も何も期待はしていない。むしろ何時逃げ出すか、あるいは震え上がって腰を抜かすか、そう言った悪意と好奇の的になりさえした。
勇猛豪傑である事。
戦国の武将に求められるのは、そうした豪奢な華であり、怯懦な優男ではなかった。

己の居室に戻った政宗と成実を、小十郎以下5、6人の側小姓たちが出迎えた。
初陣が決まった事に対する祝辞が述べられ、二人の為の具足を設える為、彼らがこぞって2人の身体の採寸をする。普段着る着物にはない事細かな数値が数え上げられる。
育ち盛りの2人の事である。初陣と言う目出度い席でもあるので、源平の頃のように華麗で綺羅びやかな鎧兜を作らせる旨は輝宗から下されていた。弦月の前立てに五枚胴具足の甲冑は、家督を譲り受けてから造られる事になる。
下襲一枚で側小姓にされるがまま突っ立ている政宗を、小十郎は凝っと見つめた。
戦の何たるかを知らず、臣下の誹謗中傷と跡継ぎを巡る人の心の鬩ぎ合いとは一線を画した所にあるような、静かに凪いだ表情の若い主を。
戦国大名の領主たれ、と唐突に求められても政宗はその顔のまま軽く頷いて応えるだろう。今朝の朝議で輝宗に突如初陣の旨を告げられても眉一筋動かさず「承ってございます」と静かに床に手を突いて応えたように、それはあっさりと。
そして、人々の思惑を他所に、放っておいても己の役割と心に決めた事は卒なくこなす。
そう言う御仁だった。
水面下で幾らもがき苦しもうと、人目のある所では完璧なまでの平静さを保つ。恐るべき精神力だ。この年でこれだけ己自身を律する事が出来る者など、そうは居ない。
話に聞いた所に拠ると、小十郎が彼の守役を仰せつかる以前、特に病で右目を失う前は、溌剌として可愛らしい御子だったと言う。
それを知らない小十郎だったが何故か瞼の裏に見えるようだった。
未だふっくらとした頬の輪郭、すっきりした目元口元、すっと伸びた鼻梁、―――女性的、とも取れる容貌に、すくすく育つ若木のような長い手足と細腰は絶妙なバランスを持っていた。
今後、どのような美丈夫に成長して行くのか楽しみのような、空恐ろしいような複雑な思いに捕われる。
それだけではない。
病で潰れた右目を切り取ってからと言うもの、必要以上に厳しく接して来たのは政宗の求める所であったにせよ、それ以外に小十郎の心中を蝕む情動に拠る所が大きい。そんな己を律し、政宗が己に課しているのと同じように、小十郎は自分自身をも檻に閉じ込めた。
だが、それは却って檻の中の獣を不服従の"けだもの"に育て上げて行くかのようだった。それが時折顔を覗かせる度、小十郎はただ途方に暮れる。

「梁川八幡に詣でるのは何時か決めたか、小十郎」
採寸されながら政宗が問うのを刹那取り零した小十郎は、狼狽を隠して小さく頭を下げた。
「明後日、六曜で先勝になればその未明にて」
「出陣は」
「その6日後、あるいは4日後と承ってございます」
「急ぐんだろう」
本来なら軍勢が整った段階で即出陣したい所だ。だが、戦国武将は何時果てるともつかぬ戦に継ぐ戦の日々で、その日取りと勝敗の行方を神仏に委ねる所が多々あった。
「輝宗様のお抱えになる星占の託宣によります故」
小十郎はそう返すしかなかった。
政宗は溜め息を吐いた。
諦め、諌言するのを止めたこの側小姓に対して。
城を抜け出し始めた最初の頃こそ、この男は口を酸っぱくして政宗を諌めて来た。伊達の跡取りがどうとか、敵の間者がどうとか。それを右から左へ聞き流しているうちに小十郎は口を閉ざした。呆れたのだろう。
臣下の言に耳を傾けるのも将たる者の器の一つだ。それを持たない政宗に愛想を尽かしたのやも知れぬ。
ただ、男の身の内で黒々ととぐろを巻く憤りの塊が無言の内に政宗を詰る。
それが堪え難い。
―――俺の小姓を退きたいのなら、はっきりそう言え。
喉元まで出掛かった台詞を今も又呑み込む。
その最終通告をずっと胸の奥に秘めていた。それが常時付き纏う苛立ちになり、戸惑いとなった。
何故か?

望む所は全く別の所にあったからだ。


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