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―記念文倉庫―

芽吹く若葉のように城から飛び出す人馬があった。
その影は2組。
同じ年頃の若者らが駆る荒駒は、土埃を立てながら掘を渡す橋や切通しの隙間を駆け抜けて一直線に城下町を通り過ぎ奥州街道に乗るや、一路赤湯の地まで馳せた。
東の八ツ谷や西の長井の街道を行くなら然程遠くまで足を伸ばさない。次の宿場まで山を二つ三つ越えねばならないからだ。
だが、赤湯となると赤湯温泉と呼ばれる宿場町があって、そこで2、3泊はする。そして長くて10日、短くとも5、6日は帰って来ない。
誰憚る事なくけたたましい鉄蹄の地響きを立てて彼らが去って行った後、城中の家臣らは苦々しい顔を見合わせる。

時は戦国。

伊達家は輝宗の祖父・稙宗の代まで自領であった伊具郡を巡って、相馬氏と何時果てるとも知れない勢力争いを繰り返していた。


軍議を終えた伊達輝宗がその話を側小姓から聞き、難しい顔をしながら片倉小十郎を呼び出したのは昼頃の事だ。
茶請けの菓子なども用意させ、自分の手元から離れて立派な青年となった彼を間近に見て、はたと胸が打たれる。
「痩せたか、景綱」
第一声に思わずこんな台詞が飛び出していた。
「そのようなことは」と言って、伊達家頭首に頭を下げる小十郎。
その面が上がってまじまじと眺めてしまう。
この青年はこのような表情をするような若者だったろうか。胸の裡に溢れる嘆きを静かに凪いだ面にひた隠し、沸々と滾る怒りを細い魂の緒でようやく結び留めている、そんな感じだった。
その原因が我が子にある事を輝宗は厭と言う程承知していた。
「政宗に対する城中の評判、私の耳にも届いている」
「申し訳もございません」
具体的な話をする前に、小十郎は再度頭を下げた。
「そなたを責めている訳ではない」輝宗は嘆息しつつ言葉を継ぐ。
「若さ故の所行、と言えばそれまでだが、このままではあれの行く末が案じられてならぬ。日ごと城を出奔し、城下町や近くの宿場町で放蕩の限りを尽くしていると言うではないか。その政宗の心中を思えば強くも言えぬ。そなたからも再三再四、諌言を尽くしておるのだろうが…」
輝宗の言葉の半ばから小十郎の顔が強張り、何かの堤が決壊する寸前のような気配が立ち登った。
「そなたはどう考えておる?」
思慮深い領主の黒瞳に凝っと見つめられて小十郎は「は」と呟いて畏まった。
「文武両道に秀で、冷静沈着に物事の有様を判断する明晰な頭脳を持ち、たゆまぬ努力と、慢心を許さぬ自戒心とで常に己を律しておられる。…正に主君の器たるに相応しい御方、と」
手放しに我が子を褒めそやされて輝宗は苦笑した。
家中の評はその真逆であり、父君を面前にしての世辞としてもそれは大袈裟に過ぎる、とでも言いたかったのだろう。だが、それよりも早く小十郎は身を乗り出すようにして輝宗に言い募った。
「輝宗様におかれましては御嫡子たる政宗様を信じられぬと仰られるのでしょうか?」
「景綱…」
「…これは、出過ぎた真似を」
輝宗は、床に手を突いて低く叩頭する小姓を何とも言えぬ表情で見やった。
自身の数ある側小姓の中でも最も有能であり、将来を嘱望されていたこの青年を息子・政宗に付けたのは、やはり我が子の中に聡明さや利発な所を見てそれを伸ばしてくれるものと期待しての事だった。
それがどうだ。
城中でこそ大人しく鳴りを潜めている政宗だが、共の者も連れずただ単身、もう一人の側小姓であり従兄弟でもある伊達成実だけを伴って度々城を抜けては何日も帰って来ない。
噂では、町の無頼漢と共に酒博打女などに現を抜かしていると言う。
そして、それを誰よりも詳しく知っていながらこの青年は政宗に最上級の賛美を捧げ、以前より変わらぬ忠誠を誓っていると言う。
危うさを孕んだ小十郎の様子は、そのような理想と現実との乖離に心を二分する程悩まされている証左だと思えた。
「事実が如何様なものでありましょうとも…」
俯いた青年はやはり静かな声音で切り出した。
「評判を気にしていらっしゃるのでしたら、手はございます」
「…手、だと?」
「古来より散々使われて来たものですが、確かな手が」
言って、ひたと領主を見返す青年の瞳には何ものにも例え難い、異様とも取れる光が宿っていた。
覚悟の鬼、とそう輝宗は小十郎の眼の中のものを読み取った。
それ程までの覚悟を彼にさせるのであれば話を聞くにやぶさかではない。輝宗は傍らにひっそりと控えていた小姓に人払いを命じて下げさせた。


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あきゅろす。
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