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―記念文倉庫―

別のフロアに家康のオフィスがあった。
程良い広さのそこでパソコンを前に口頭で説明される内容を、政宗は応接ソファに寛ぎながら右から左へと聞き流した。それは5時間超に及び、気がつけば未だ短い陽はとっぷりと暮れて夜だった。
最後に家康は集めたデータを政宗のパーソナルサーバに移した。セキュリティの強固なそれは政宗の手による以外、ネットの外に流出する事はない。
「…どうだ?」
作業を終えた家康が心配そうに尋ねて来る。
「阿呆、すぐに結論が出るか」
ぴしゃりと言い返されて彼は何時もの好青年の笑顔を見せた。
「なら、今夜は儂が直々に持て成してやろう。疲れなど吹っ飛ぶ」
「Ah〜?持て成しだ?」
気遣いは嬉しいが、政宗はやたらと眠かった。
極度に高められた集中力が切れた証拠だが、年相応の青年に立ち戻った家康に引っ張られるままに政宗は夜の大阪に繰り出していた。

2人が飛び込んだのは、大阪城から10分弱の梅田にあるジャズダイニングだった。
食事をしながらライブでジャズが楽しめる。演者はさすがに日本人が多かったが、時折本場の黒人も現れたりしてかなり本格的だ。
「家康…お前、ジャズなんか好きだったか?」
「いや…。お前たまに英語が飛び出るだろ。こういうのが好きかと思ってな」
「―――…」
ビーフカツサンドにかぶりつきながら政宗は暫し固まる。
こいつ意外とマメだ…などと感心してみたりする。その視線の先で青年は携帯を耳に当てた。
「儂だ。今何処だ?…そうか、今儂らは梅田のジャズバーにいるんだが…おう、分かった。ではな」
切った携帯をガーゴパンツのポケットに仕舞った家康は、ウィスキーグラスを傾けた。女にもこの手の気遣いをさらりとして退けそうな雰囲気だ。
「誰だ?」
「お前も知ってる奴だ。神戸に来ていると聞いててな。あと30分程で来るそうだ」
「………」
30分後にやって来たのは、テンのファー付きロングコートを纏った元親だった。
「おー、ご無沙汰〜」などと軽く挨拶をしながら空いている席に腰を降ろす。
「話が見えねえぞ…手前ら、知り合いだったのか?」
顰めた顔に剣呑さまで漂わせて問うて来る政宗に、元親は笑った。
「俺が東京に転校して来る前、こいつとは知り合いだったんだよ。何つーの、ケンカ友達?」
確かに、元親は政宗が高校一年の冬に転校して来た。東京で一悶着があって政宗が家康と知り合った時には未だ元親はいなかったのだ。
「世間てのは広いようでいて狭えもんだな。俺も家康からお前の話聞いた時にゃ思わずビール吹いたぜ」
駆け付け3杯とばかりに元親はそう言ってビールジョッキを一気に空けた。ちなみにそれは、取り敢えず最初に頼んだ政宗のものだ。
それから彼は、テーブルの上に広げられた料理の中からピザを一切れ摘んで口の中に放り込んだ。ついでに通りがかったウエイトレスにビールの追加とパスタを注文する。
「…で、今は何してんだ手前」
「あ?ああ、PKOで用心棒家業」
「んだそれ。…アメリカ海軍は?」
「え?あれな、何か水が合わなくて辞めた」
「………」
左目だけで思わず能天気な元親をジト見してしまう。天衣無縫と言うか自由奔放と言うか。性格だけでなく生き方までもがいい加減な野郎だ。
その傍らで家康が声を上げて笑った。
「昔からこいつはこうだ。風の吹くまま気の向くまま、何にも捕われん」
「…You are a ridiculous guy….(呆れた奴だ)」
ぼそりとそう嘯いて政宗は手にしたサワーを傾けた。それから思い出したように付け加える。
「おい家康、まさかこいつまで巻き込んじゃいねえだろうな?」
「それはない。だいたい、日本に余りいないしな」
「あ〜?何の話だ?」
「こっちの話だ。それより何だ、用心棒家業ってのは。要人警護でもしてんのか」
「ちげーよ」
政宗の問い返しに元親は口元をひん曲げて見せた。
「有り体に言や海賊退治だな」
「は?」
「悪名高いソマリア沖じゃ、コンテナ積んだタンカーや大型客船を狙った海賊行為が絶えないんだよ。それの護衛とか応戦とか、海賊船を拿捕したりもするぜえ?」
「…ちなみに、今のお前の国籍は何だ?」
「は?何言ってんだ手前、決まってんだろイギリス人だ」
訳の分かんねえ所で胸張るなボケが、そんな罵声は呑み込んで政宗は手にしたカツサンドを平らげた。
しかしコイツには執着と言うか、拘泥するものはないのかと甚だ訝しかった。三成と厭な再会を果たして泥沼の執着を見た後では尚更だった。
何気なく見やった先では、その本人がやって来たカルボナーラを犬も真っ青の勢いで掻き込んでいる。何日も食っていなかった餓鬼のようだ。見ているだけでこっちが腹一杯になって来る。
「…そう言や政宗、お前は何で大阪にいんだ?」
今更過ぎる問いに答える気にもならない。彼が黙ってグラスに口を付けていると、脇から家康がフォローに出た。
「儂の仕事を手伝ってもらっている。企業家としては先輩だからな」
ふーん、と元親は気のない返事でそれに応えた。
家康の裏家業ー暴力団も政治団体も、右翼も左翼も関わらずその傘下に納めてしまった影の一大勢力のトップーを知らないのだろう。会社なんて堅くて食えないものには興味がないと言うように、彼はその事については聞き流した。
「んで、片倉の兄さんは?仙台で留守番か?」
今一番思い出したくない人物の名前が出て、政宗は眉間に皺を寄せた。
「仕事で海外だ」と短く応えるに留める。
「へえ珍しい、あんたたちが別行動取るなんてな。ケンカでもしたか?」
「余計なお世話だ」
「お、図星か」
喋りながらも動かしていた手が最後のパスタを口の中に放り込んだ。
「片倉って…、強面にオールバックの?」
「そうそう、ご丁寧に頬に傷まである」
「ああ、もしかして儂のせいか?済まない政宗」
「別に…!」声を張り上げかけた所で店内が静まり返った。
ステージの上で演者が交代し、女性のボーカリストが中央に立った所だ。
「…別に、ケンカしたとは言ってねえ…」
所在無さげにぼそぼそと呟く。
その前で元親は意味ありげに家康に向かってニヤリと笑いかけてみせた。すると家康はほう、と何事かを納得した表情になった。
「そうか、それは大変だな」
何がだ、としたり顔で微笑む家康をギロリと睨みつけてから政宗は手にしたサワーの残りを一気に呑み干した。

他人の痴話ケンカなど忘れたように、元親はソマリア沖での任務の話をしだした。
ソマリアの海賊対策には世界各国の軍隊が戦艦を派遣している。その中でヨーロッパ連合軍はこの10年で毎年のように大規模な艦隊を組んで、そこを通るタンカーなどを護衛、海賊に対する抑止力となった。
その本部はイギリスに置かれており、その責任者は代々イギリス軍少佐や少将が勤めた。
その側で元親は各国の思惑を垣間見た訳だ。
「イラクからは手を引かなかったクセに、ソマリアの紛争地帯からは撤退した。何でだと思う?結局はこれさ」と言って元親は人差し指と親指で丸を形作って見せた。
「イラクには石油って金が埋まってる。あそこに軍を派遣する事で自動的に金を落としてくれる潤沢な土地だ。一方ソマリアには貧困と混乱しかねえ。そこに自分ン家の人間が命を賭ける価値なんざねえって訳だ」
「しかし、海賊退治には乗り出したんだな」と家康。
「それも金絡みだ。あそこを通る通商船は年間2万隻を越える。そいつを悉く沈まされちゃ大損だろうよ。だからこぞって戦艦を送り込む」
「成る程、実に合理主義だな」
「それが資本主義って奴だろ。最新設備を備えた連合軍が相手してるのは漁民だってのによ。正義が聞いて呆れらあ」
「じゃあ何でそっちに手前はいんだ?」
ふとした言葉の切れ目に政宗はぶっきらぼうに口を挟んだ。
元親が彼を見る。
頬だけでなく、ニットセーターから除く首筋までもがくっきりと上気している。サワーを3、4杯空けた程度でそんな様子を見せる政宗は、据わった左目からしてもただの酔っぱらいだ。だが、それに対して揶揄するでもなく表情を消したまま元親は相手を眺める。
「テロリストでも革命家にでもなって世界をひっくり返してやりゃあいいだろうが。こんな島国の隅っこで愚痴ってねえで」
重ねて言われた痛罵に、ついに笑いが漏れる。
「本当に…手前って奴は―――」
潔癖だよな、そんな事を最後に呟いたようだったが政宗には聞こえていない。大欠伸が政宗を襲って、あられもなく大口を開ける。
笑ったまま元親は大きな掌で彼の頭を押しやってやった。
「るせーんだよ、この酔っぱらいが」
傍らで家康も声を立てて笑った。
「最もな質問だ、政宗」と家康は笑顔のまま言う。
「だが儂は元親の気持ちも分かる気がする」
「いいよ家康、今コイツに何言っても伝わりゃしねえから」
「Ha!バカじゃねえの?結局自分が一番可愛いんだろうが」
懲りずに又しても悪態を吐く政宗の頭を元親は小脇に抱え込んだ。
「黙れっつってんだろ、あ?可愛げのねえ口はこの口か?」
そうやってもう片方の手指を容赦なく口に突っ込まれて政宗はジタバタと暴れた。まるきり年相応の若者たちのじゃれ合いだった。その元親が、右目だけをぎょろりと動かして傍らを見た。
彼らのテーブルの前に若い女が3人立っていた。
「ねー君たち、地元じゃないよね?」と真ん中の女が言う。
「一緒に呑まない?」
背の高い女だった。自分が女である事にたっぷりと自信を持っている、そんな感じだ。
「そう言うあんたは地元だよな。訛りは上手く消してるが」
壮絶に皮肉にそう返されても余裕の笑みは消えなかった。
「あ、分かっちゃうんだ?でも良い男相手に格好付けてもしゃあないなあ」
言い放った台詞の最後に大阪弁が顔を出す。
「まあいいや、座りたきゃ座れ」
苦笑を口元に刻んで元親は政宗から手を離した。
女たちはきゃっきゃと喜んで近くのテーブルから椅子を引いて来る。通りがかった店員に思い思いの酒を頼むのも忘れない。
「元親と一緒におると本当に女には不自由せんな」
嫌味とも取れるような台詞をあっけらかんと言い放ったのは家康だ。その彼も自分の隣にちょこんと腰を下ろした可愛い系の女に、ふんわりとした笑顔を見せていた。彼もこうした事には慣れているようだ。
「大阪のどの辺りだよ」「大学生?」「いつもここに来てんの」などと彼女たちと会話を楽しむ元親には、確かに多くの人を惹き付ける魅力と言うか、オーラのようなものがあった。だから女たちの中心は飽くまで元親だった。
が、そんな中でも独り口をへの字に結んで、むっつりと黙り込んだ政宗は相変わらず不機嫌そうだ。
「もう酒はよした方がえんちゃう?」
と女の一人に心配されるくらい挙措も怪しい。
「あ〜、俺帰るわ」
と女たちの酒が来る前にそう言い放った政宗は、席から立ち上がって覚束ない足取りでテーブルを回った。
「おい、政宗」「政宗」
元親に続いて家康も呼び掛ける。
「You should enjoy night of Osaka with all one's might.(お前らは大阪の夜を楽しんでろ)」
捨て台詞にそう言い放って、くるりと背を向けた。意外にしっかりした足取りで立ち去って行く。が、その爪先が椅子に蹴躓いてたたらを踏んだ。倒れなかったのはさすがだが、その後も与太付いているので見ていられなかった。
「あーもう!家康、俺あいつを送って来るわ。後宜しく」
「お、おいっ。宜しくってお前…っ」
ソファに放っていたロングコートを引っ掴むと、元親は家康の非難の声も無視して小走りに立ち去って行った。
残された家康は、3人の女たちの不穏な空気に人知れず冷や汗を流しながら感じた。


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