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―記念文倉庫―

蒼に染め抜かれた陣羽織、それを纏う青年の背で裾が翻って―――自分を振り向く。
残月の前立て、蒼黒い兜の眼廂の下で端正な顔が影になって見えない。だがその口元が不意に不適に歪むと、篭手に覆われた手が兜の紐を解く。

と風が渡って、その青い紐が棚引き、長めに伸ばした前髪が顔を覆い隠す。
―――小十郎。
と己の名を呼ぶ声は深く、体の奥底のあらゆる情動を激しく駆き立てる。
兜を小脇に抱え、前髪をうるさげに払った政宗が真っ直ぐ自分を見た。
―――行くぜ、小十郎。
それは、小姓と言って景宗と名乗ったあの青年だった。

米沢八幡を片倉景広に断りなく神馬に乗って飛び出した小十郎と慶次は、獣道をものともせずひた駆けた。途中から日が暮れて、真っ暗闇になっても構わず馬を進めた。
その吾妻山と磐梯山の間の桧原湖を横切る際、一軍の黒い人影に待ち伏せされた。先ず馬の足を切り倒され、どうとばかりに横倒しになったそれから飛び降りた2人は、それぞれの獲物を構えて敵を迎え撃った。
慶次はもとより、小十郎も常の具足に陣羽織を纏って、8月の名月の明かりを頼りに右に左にと切り結ぶ。真夜中の葦原に刃と刃の噛み合う鋭い音が響き渡った。
「片倉さん!これじゃきりがねえ、俺が活路を開くからあんた先行け!!」
「………っ!」
確かに、視界の聞かない闇の葦原から次々と敵は湧いて出て来た。
「俺たちが疲れんのを待ってんだ。捕まったら最後だぞ!」
「わかった…死ぬなよ、慶次」
小十郎は息を整えつつ静かに応えた。
「は!嬉しいね、あの片倉の兄さんにそう言ってもらえるなんて」
2人は背中合わせに敵と対峙して間合いを取った。
「自惚れんな、死んだって骨は拾わねえ」
「そりゃ又…!」
それでも嬉しそうに慶次は吠えて見せた。
ほんじゃ、行きますかねえ派手に!そう呟いて、彼は朱槍を肩に担ぎ直した。それをぶん、と振り回す。
小十郎は一早く慶次から離れた。
ぶんっ、ぶんっ、
連続して左右に振り回される朱槍が空気を潰す音がして、敵の腰が引けて来る。回る朱槍はスピードを増し、葦原を薙ぎ倒し空気を切り裂いた。
「風に散れ、恋つづり」
そのまま歩を進め前後左右にと刃を繰り出すと、葦原に隠れていた者もそうでない者も宙にと弾き飛ばされた。
「おらおらおらっ!人の恋路を邪魔する奴は朱槍の餌食になんな!!」
慶次のおかしな咆哮を背に、小十郎は姿勢を低く保ったまま葦原を駆け抜けた。後であの風来坊を張り倒してやろうと心に誓いながら。

竹中半兵衛と石田三成の来訪から、早速各地へ早馬を飛ばして決起を促していた政宗は、夜通し近隣の頭領と合議した後自室に引き揚げた。軽く眠っておくかと煙管を取り上げた所へ、表からの騒ぎが聞こえて来る。
それが徐々に近付き、何なんだと片眉を上げた彼を遠くから成実が呼んだ。外に出て来い、と言っているらしい。
「…うるせえな…、何なんだよ…」
兜を小脇に抱え、何時もの陣羽織姿で庭に出る。
見ると、柴垣の向こうに土埃が立っていた。更にその向こうから男たちの呼び交す声が聞こえて来る。山城の前の広場の方角だった。
ふらり、と怠そうにそちらへ足を向けた政宗の元へ、転がるようにして成実が駆け寄って来た。
「まっまっまっ…政宗っっ!!!何だらだらしてんだ、早く来いよ!!」
「何だってんだ、こちとら寝てねえんだよ」
「寝てねえのはこっちも同じだっ!!んな事よりっ、早くっ来いっての!」
成実が政宗の腕を取って強引に走り出した。脱ぐ暇のなかった具足がガチャガチャと鳴った。

城門前の広場に伊達の精鋭騎馬隊が今正に隊列を組み終えようとしていた。
良直、文七郎、佐馬助、孫兵衛らが小隊長となった4軍が横に並列している。これに成実の一軍が先陣となって加わると完成だ。
「何だ、この騒ぎは…」
呟きは途中で呑み込まれた。
隊伍を確認して来たらしい男の姿が馬の影から現れた。その彼が政宗を見つけて表情を刹那変える。それが更に引き締まって、政宗の前に立ち止まった。
「―――…」
「…遅えぞ、小十郎」
「申し訳ありませんでした、政宗様」
再会の言葉はそれだけだ。
「政宗様、出陣を」
「Ah?」
「徹底抗戦をなさるおつもりなのでしょう?でしたら先ず、博士山に展開している一万の軍勢を五千騎で追い払うべきです。その風聞が諸候を動かし、伝令や檄を飛ばすより早く各地から味方が集まって来る事でしょう」
「本気か、小十郎?」
真面目腐った顔で頷く小十郎を、さすがに呆れ返った政宗が見つめていた。それが不意に笑み崩れて彼はただ静かに言った。
「You are crazy…. 良いだろう、その策、乗ってやる―――」
そして背後で息を呑んで見守っていた家臣らを振り向き、声を張り上げる「Hey guys! Are you ready?」と。
朝の黒川城に勇猛な鬨の声が上がった。

会津盆地の丘陵地帯を伊達の騎馬隊が駆け抜けた。
すでに黒川城の異変に気付いていた半兵衛の軍は、幾つかの魚鱗に陣を組んでそれを迎え撃った。
「ついにヤケになったかな、伊達政宗は?」
山腹に本陣を組んで、なだらかな丘陵地帯を眺め降ろした半兵衛が、面白そうに呟いた。その隣では三成が神経質そうに眉を顰めている。
「半兵衛様とて本気ではそのように思われておられませんでしょう。斥候が齎した情報では、片倉小十郎が戻って来ているとか。何か策があると見た方が」
「わかってるよ」
それは昨夜、桧原湖岸で彼を取り逃がした半兵衛が一番良く分かっていた。

騎馬隊は勝手知ったる土地を縦横無尽に駆け回った。
先頭を行くのは当然、政宗だ。
小高い丘を使って逆落としの連続を仕掛けて来る歩兵を、次々と蹴散らした。だがそれが、逃げ散る事もなく再び魚鱗の陣を組んで素早く辺りを囲む。良く訓練された兵たちだ。本陣の前では馬柵を前に横列する歩兵2千と、巨大な鶴翼を構成する3千の兵。更に遊軍の形を取った1千の騎馬隊2つが待ち構えている。
そこへ、ほとんど落伍者を出さなかった伊達騎馬隊が迫った。
およそ3里弱、10キロの距離を取って両者は対峙した。
伊達軍は当初の陣を崩さず、走り足りないと地を掻く馬を宥める。その先頭の一軍の中から、政宗と小十郎の2人が馬を進めて来た。
「ほら、お呼びだ」
半兵衛に声を掛けられ、三成も彼の後に続いて馬を進めた。
ここ数日、雨を見ない会津の土地は今の一戦で砂埃に煙っている。
照りつける陽が男たちの顔を顰めさせ、具足に、地面に黒々とした影を落とす。陽炎も立ち登らない静かな夏の日だ。
蹄が乾いた石ころを蹴って、止まった。
「ひと月の猶予も待たずに下した決断が、これかい?」
嘲笑う声で半兵衛に問われて、政宗は口を歪ませた。
「どちらもお断りだと言った筈だぜ」
「勢いだけで浅薄な領主を、奥州の民はさぞや呪うだろう。それにしても片倉君、君は記憶が戻ったのかい?戻っていないのかい?戻っているのなら、主人の無謀を何故止めない?君らしくもない」
「俺が出陣をお勧めした」
半兵衛はわざと目を丸くして見せた。
「おやおや、…打ち所が悪かったのかな。せっかく僕の片腕として取り立ててあげようと思ったのに、それは愚の骨頂だ」
小十郎は年若い軍師の言葉に眉一つ動かさず、馬上から降り立った。数歩歩いて半兵衛の数間手前に立ち止まる。そしてその腰から一刀をスラリと抜き放った。
半兵衛は顔色を変えず、平静な表情でそれを見下ろした。逆に三成が気色ばんで腰の刀に右手を添えた。
そして政宗はただ黙って、己が右目の背を見守る。
チャキ、と鍔鳴りを立てて小十郎は刃を返すと目の前に捧げた。
それで何をするのかと見守っていれば、彼は蒼白く光る刃を己の首に当てて見せたではないか。さすがの半兵衛もその瞳に微かな驚愕の色を浮かべた。
「主君を差し置いて太閤秀吉に仕えよ、などと巫山戯た甘言を弄してこの片倉小十郎景綱を愚弄した事、まこと武士として堪え難い屈辱だ。この場に自刃して伊達家への忠誠を証したいと存ずる」
「…おい、小十郎…」
呆れ返ったような声が背後から掛けられた。
小十郎が武士の威儀や主従の忠誠心、更に面目に拘ってやたらといきり立つのを知っている政宗は、この時もそうしたものだと思って本気にしなかった。だが、月に叢雲の紋を背負った男の背が更に言い放つ。
「政宗様、この小十郎は政宗様をお諌めする事が出来ませんでした。その結果が奥州全土を上げての豊臣との全面衝突とするのならば、私はその責めを負わなければなりません」
「手前…、俺たちが負ける事が前提か…?」
「―――それは、政宗様が一番ご存知の筈です」
「………」
「よって、この場で小十郎の首一つ捧げまする」
「待て小十郎」
「待ち給え」
同時に政宗と半兵衛が声を上げた。
その2人が馬上でバツが悪そうに視線を見交わす。奇しくも彼らは一人の武将によって己の意志を曲げねばならなかった。
「I'm floored….(参った)わかった小十郎、刀を引け」
「あちらの出した条件を呑んで頂けますか」
「…Yes sir.」
渋々返された言葉に、小十郎は改めて目の前の半兵衛を見上げた。
「わかった、手を引くよ…君の頭の固さに免じて、今回は兵を引く。だが、二度目はない」
「半兵衛様…」
後ろから未だに刀に手を掛けていた三成が眼を三角にして声を荒げて来た。
「また来れば良いさ」と半兵衛は楽しげに言い放った、「今度は50万の兵を引き連れて、奥州の全てを焼き払いに―――」
馬を回した半兵衛が、小十郎に横顔を見せつつ口の端を上げた。
「君は侮辱と言うけどね、僕は本気だ。…今回の仕儀にも見事に嵌められた…小気味良いぐらいにね。だが、今回は謝っておこう、次回の逢瀬の為に。済まなかった」
「俺がお仕えするのは、伊達政宗様ただ一人だけだ」
おやおや、おっかない、と小十郎に睨まれつつ半兵衛は背を向けた。それを守りつつ三成は最後まで刀に手を掛けたままだった。

会津の丘陵地帯に展開していた豊臣軍が足並みを揃えて引き揚げて行く、それを見送って小十郎は刀を仕舞った。
軽い砂埃が立って顔を顰める。
と、馬上から笑われた。見上げると、政宗が眼廂の影から自分を面白そうに眺めている。
正直、最大の危機を乗り切った今でも腹を切りたい気持ちは燻っていた。視線のやり場に困って俯いた所へ、穏やかな声が降って来る、
「よく戻った―――」と。
照りつける陽光の中、透かし見る青年の表情は何か少し今までと違っていて、穏やかではあったが何処か心許ない気にさせた。
「小十郎がいるべき場所は、ここしかございません」
「…そうか、そうだな―――」
その、心許ない何かを抱えたまま政宗は空を見上げた。

月に叢雲、花に風。

とかくこの世はままならぬ。
だが、浮沈がなければ生きている実感に乏しい。一抹の淋しさも虚しさも、これまた風情と言うものか。
月を陰らせる雲も、花を散らす風もどちらも花月の美しさを引き立てるに過ぎないのだから―――。


20110109 Special thanks!

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