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―記念文倉庫―
4●
更に、二日後。
今度は米沢八幡神社から小十郎の異母兄、片倉景広が猪苗代城にやって来た。
八幡神社は彼らの父が隠居して今は長兄の景広が跡を継いでいる。その糊の効いた水干姿のでっぷりした男が、政宗の前で平伏して見せる。
「父と協議した結果、景綱は今の伊達家にお役に立てないものと判じました。かくなる上は景綱を八幡にて引き取り、私の手伝いをさせとうございます。政宗公には厚く重用されたにも関わらず、そのご恩に報いる術のない事を大変遺憾に存じまする。残りの後生は政宗公の天下統一が神のご加護の元に成就される事を、伏して請い願うばかりにございます…」
城の奥書院で、床の間を背にして座す政宗を両脇に控えた成実と綱元がそっと見やった。一方政宗はと言えば、成る程そういうのも有りか、などとぼんやり考えていた。
「良いだろう、連れて行け」
政宗の言に成実は険しくなる表情を隠せなかった。綱元は誰にも気付かれぬようそっと溜め息一つ、零す。

その日の内から、小十郎の米沢帰りの支度が成された。
とは言っても戦先の城での事なので、小十郎は身一つで動けば良いだけだ。ただ、送り出す伊達家としてはこれまで長年の間よくぞ尽くしてくれた忠臣に、持たせられるだけの下賜を用意してやりたかったのだ。
話が決まった後に又しても成実と良直たちが政宗に詰め寄ろうとした。だが、それを留めたのは綱元だった。
政宗の居室がある孫廂の前に仁王立ちになって成実たちの行く手を塞いだ綱元はこう言った。
「政宗公が既にご決断成された事に異を唱える事は、この鬼庭綱元が断じて許さん。先日、政宗公はお前たちの意見を聞いている。その上で下された結果に、何をか未だ異議申し立てを致すか」
「…でも、綱元―――!」
成実はそれでも駄々をこねる子供のように身悶えた。
「わかっております、成実様。政宗公もあなたたちの心積もりは分かっている。だがもうこれは決まった事です」
「………」

明日早朝出立と言う段になって夜―――、
小十郎は褥から出て檜皮色の一重をゆるりと纏った姿で床の間の衣架に掛けられた陣羽織を眺めていた。
これに袖を通す事はもうない、と思うと記憶はなくとも切なさとやるせなさに胸が詰まる思いがした。小十郎を見知った家臣らもこの一両日ぱたりと姿を見せなくなった。
見捨てられたのだ、と言う無体な考えが心を圧して彼を苦しくさせた。
義姉の喜多は「記憶が戻らずとも、片倉家も鬼庭家もお前を歓迎する。何も気に病む事なく帰って来るが良い」と言ってくれた。
一つ心残りがあるとすれば、唯の一度も面通ししてくれなかった伊達政宗の事だ。
どんな御仁だったのだろう、とその人と成りに思いを馳せる。
勇猛果敢、烈火の如き戦神、親類縁者をも容赦なく皆殺しにして見せた若き頭首。鬼のような顔をしてらっしゃるのだろうか。その背を守り抜くと誓ってこの陣羽織を纏った自分は、幾度彼の方の窮状を救えただろうか?
あるいは、これから―――?
小十郎の陣羽織に描かれた文様をひたと見つめる眼には、見も知らぬ主人への憧憬の念が宿っていた。
―――欠けた月にかかる群雲。
両肩の九曜紋は、竹に雀紋と並んで代表的な伊達家の家紋の一つであり、片倉家の家紋でもあった。それに挟まれた月の紋は正に今の小十郎の有様を皮肉っていた。
「月に叢雲、華に風」とかくこの世はままならぬ、と。
闇夜の月に雲が掛かって視界を塞ぐ、暗中手探り状態で鼻を摘まれても気付けない。
だが、それをわざわざ陣羽織の背に刻んだ片倉小十郎には別の意図があったのではないだろうか、と男は思った。
あるいは、伊達政宗の前立ては弦月。それを覆って守る雲が自分だったのか。あるいは、雲に隠れて人知れずひっそり輝いて暗中に伊達を守り導く役目の自分を現していたのかも知れぬ。
―――幾ら考えても分からなかった。
そこへ、したしたと素足が簀の子を渡る音がして政宗が姿を見せた。
「聞いたぜ、米沢に帰るんだってな」
「景宗―――」
振り向いた小十郎は、青年が眼前で降ってみせた白い酒瓶を視界に納めて微笑んだ。
「短い間だったが、主と仕えたあんたとの別れの酒だ」
そう言って、酒杯に透明な液体を並々と注いでやった。
「有り難い」
「武将からいきなり神主か。お前ン所は面白い家だな」
「代々神職と武将を同時に輩出して来た家系だ、珍しくも何ともねえよ」
「まあ、せいぜい八百万の神祇に天下統一を祈ってやれ」
同じように酒杯を受けた政宗がそれを一気に干す。
沈黙が降りて、政宗は床の間の薄闇に飾られた小十郎の陣羽織をひっそりと眺めた。これを着た者は今後二度と自分の背を守る事がないのだ、と思った。
7つ、8つの時分に徒小姓としてやって来た男は、病に気を塞がせていた政宗の心の扉をそっと開いて行った。その奇跡のような日々。彼がそれらを忘れてしまったのだとしても、確かにあった事だ。それが自分を支えここまで来る事が出来たのだから。
ふと振り向くと、小十郎が自分を眺めていた。
「俺との別れを惜しむって言うより、その陣羽織を惜しんでるようだな」
苦いものを呑み込んだ表情でそんな事を言われて、政宗は鼻で笑った。
「何だ、陣羽織に嫉妬か?ちっちぇ男だな」
「ああ、悪いか?俺は"片倉様"と違ってちっちぇ男なんだよ」
「むくれんな…酒が足りねえのか?」言って、政宗は片手で酒瓶を持ち上げて小十郎の盃にそれを注ぎ足してやった。
「片倉小十郎景綱はどんな男だった?」
「何だ今更」
「いいから応えろ」
政宗は凝っと目の前の男を見つめた。
静寂に薙いだ二つの瞳が自分を見つめ返していた。この瞬間にも愛おしさが込み上げて来る。いずれお互い妻を迎え入れ子を成す事だろう。その子らに家督を譲って老いて行くだろう。そしてあるいは戦で、あるいは何者かの暗殺者によって、泡沫のこの世ともおさらばする。そこを全て刺し貫いて、自分はこの男を求め続けずにはいられない予感がしていた。
「知らねえよ…世間一般の評判くらいしか」
「んな訳ねえだろ。お前、政宗様かその近辺の小姓だろ?だったら何かと顔付き合わせてた筈だ、戦でも―――」
俯いて酒杯に口を着けた所で、ゆらりと燭台の炎が揺れて小十郎が言葉を切った。
盃を持っていた右手の隙間からするりと、細くて長い腕が忍び込んで首に巻き付いていた。胡座を掻いた腿の上に膝で乗り上がられて、青年の重さがずしりとこの身に掛かる。
「同情…してくれんのか?」
「同情じゃねえよ」
「じゃ、何だ。政宗様に命じられたか」
「…そんなんじゃねえ」高い所から男の顔を眺め降ろす。
明らかに、小十郎だ。
それが生きて、動いて、自分と言葉を交わしている、その実体のある現実に類い稀な奇跡を感じる。
政宗を見上げる男の顔には、青年の顔色を読もうとする頼りなさが垣間見えた。自分の頬はポーカーフェイスを守っていられるだろうか、と政宗は思った。
男の手が腰に回って後ろ帯を解きに掛かっていた。
「じゃあ…、俺に惚れたか?」
自分の言い放った言葉に自分で笑ってみせる小十郎。
政宗はずいと両足で小十郎の腿に乗り上がって帯が解け易くしてやった。同時に、真正面から男の顔を抱き込んで眺めやる。
「ああ…惚れてる…。あんた、良い男だ―――」
しゅるり、と錦織の帯が解けて砧打ちしていない絹の単衣が広がった。
記憶を探るように小十郎の眼が細められ、困ったように眉が寄せられた。
「…もしかして、俺とお前は以前から―――?」
皆まで言わせず、余計な事は言うなと唇を唇で塞いだ。それを無理に引き剥がされる。
「ま、待て…お前、本当は―――」
「うるせえよ、どうだっていいだろ、んなもん。どうせ今夜で最後だ」
息を呑んだ小十郎の唇に、政宗は再び食らい付いていた。
背を掻き抱く手が乱暴に一重を剥ぎ取って行く。素肌を男の分厚い手で愛撫されて、下肢の中心が下帯をキツく押し上げて来る。
性急な口付けの合間に政宗は男の襟元に手を忍び込ませて力任せに袷を引き開いた。上がった2人の息が合わせた唇の間で激しくぶつかっていた。小十郎は着物の上を素早く諸肌脱ぎにしてその逞しい体を仄暗い燭台の前に晒し、更に青年の身体を抱き寄せる。
「泣くな、景宗…」
「……泣いてねえよ、バカヤロウ…」
可愛げもなくそう嘯いた顎が反り上がった。
下帯の上から熱くなった雄心を優しく揉みしだかれて腰が勝手に揺れてしまう。空気が足りないと、大きく口を開いて忙しなく息を継いだ。
もどかしげに男の手が下帯をも解いて片手で直に包み込まれる。思わず声を殺して男の頭を掻き抱いた。
もう片方の手が震える政宗の腿を行ったり来たりして、するりと尻へと滑った。鷲掴まれ、いびつに歪んだ尻の肉に男の指が食い込む。
声もなく喘いでいた唇が男の額に、瞼に、鼻先に落ちて、後頭部を抑えられつつ唇を唇で塞がれた。
口腔内に押し入って来た生温い舌を熱い舌で絡め取り、激しく吸い、しゃぶった。
長い口付けを束の間、離した男が夢見るように優しげな政宗の艶な貌を見つめる。
「どうしてだ…」と男は苦しげに呻いた。
「どうしてこんなに愛しいお前の事が思い出せねえ…」
「………」
未だかつて聞いた事のない言葉に政宗は力なく嗤った。
「Good boy. それが言えたんなら上出来だ…」
小憎らしい言い草に小十郎は唇を噛んで眼を細める。そうしながら手にした政宗自身をぎゅう、と掴み上げてやった。
「…ん、はぁっ…!」刹那、身を捩らせた政宗は更に声を出して笑った。
「俺を感じろ、よ…っ、体に、刻み付けてけ…!」
言われるまでもなかった、が、早朝までの刻は短い。
熱に浮かされ、互いを強く強く求めているうちに明け六つの鐘の音が遠く聞こえて来て、政宗はひっそりと小十郎の室から引き上げた。
未練は何一つなかった。

―――何一つ。

小十郎はひっそりと米沢へ引き揚げて行った。
見送る者はなく、馬や駕篭に乗った義兄・景広と義姉・喜多が共に無言で青葉の眩しい街道を渡って行くだけだ。
蝉の声が遠く響いていた。
馬上の小十郎は森の向こうに消えた猪苗代城を振り向く。
後ろ髪を引かれるのは今や一度も会う事適わず終わった伊達政宗ではなく、己の腕の中でつい先刻まで熱く悶えていた"景宗"の淋しげな横顔だけだった。

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