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―記念文倉庫―

次の日、朝早くからやって来たラサ・カロン兄妹に成実が中学生レベルの英語で何事かを必死に訴えかけていた。
「あい うぉんと ごー とぅ ビーチ!!!」
初めきょとんとしていた兄妹は、その表情を互いに見合わせた。
カロンが兄を縋るように見て、その腕をぐいぐいと引っ張る。何とかしてやってくれと言う感じだ。困り果てたラサが「Beach?」と聞くと「そう、ビーチ!!」と成実が諸手を挙げて叫ぶ。
「何がビーチだ」
威嚇するような低い声が背後からして、成実はビクリと体を強張らせた。
ホテルのフロントで言い合う彼らの声が部屋にまで聞こえたらしい。朝食の用意をしていた筈の小十郎が廊下の賭場口に立っていた。
「今日はカオ・プラ・テーオに行く予定だろ」
「国立公園なんて、小学生の行く所だろ〜」
「中学生レベルの英語しか話せねえ奴が何抜かしやがる」
「日本人なら皆俺と同じくらいのレベルだ!!」
威張るポイントが違うと思うがな、と小十郎は頭を掻いた。
彼らの騒ぎを聞きつけて、支配人のジワンが姿を見せた。
「Oh, I'm unpleasant, and do you really work as a wagon master?(おやおや、本当にガイド役をやってるんだな?)」
ラサとカロンの姿を見てくしゃりと破顔する。それから小十郎の方へ手を振りつつ説明を加えた。
「They don't want to go to the place where there are a lot of tourists. There fore how if You take it to the Colral island?(彼らは観光客がたくさんいる所は厭なんだ。せっかくだからコーラル島に連れて行ってやったらどうだね?)」
「Oh, I see.」
さすが綱元の友人の知り合いだ、自身のホテルにやって来る客の嗜好を良く弁えている。
「OK! I take you with me.(いいよ、連れてってあげる)」
OK、だけは分かったようだ。成実は瞳を輝かせて小十郎を振り向いた。
「やったぜ、今おーけーって言ったよな?連れてってくれるんだろ?」
「…お前なあ…」
説教を始めようとした所へ、綱元が顔を出した。初日より更に日に焼けて、ゴルファーも真っ青だ。
「何してんだ、飯にするぞ」
その眼がラサとカロンを捕らえて屈託なく笑った。
「お前らも食ってけ、チャーハンと海老フライだ。昨日の魚の煮込みスープもある」
日本語が伝わる筈もなかったが、人懐っこい笑顔がカロンの笑顔も引き出したようだ。誘われるままに少女は政宗たちの部屋へと上がって行った。
「よっしゃー食うぞお!」とビーチ行きにすっかり乗り気になった成実がその後を追う。
「It's a quiet, scenic place, Please relax.(コーラル島は静かで風光明媚な所です、ゆっくりして来て下さい)」
タイのあらゆる部分を誇りに思う笑顔でジワンは言い、彼も又立ち去った。
残されたのは小十郎とラサだけだ。
そのラサが小十郎の腕に手を掛け、顔を覗き込んで来る。
「Aren't you tourists, too?(あんたたちも観光客じゃないの?)」
「…Even you may not take a younger sister to Patong-Beach with even you.(お前だって妹をパトンビーチに連れてく訳にゃいかねえだろう)」
「May be I am….(まあね)」
「Tell the explanation of the Coral island while eating.(食事がてら、そのコーラル島とやらの話を聞かせろ)」
「OK, Will I want you to enjoy the life in this island.(わかった、あんたたちには楽しんで欲しいしね)」

コーラル島はプーケットの最南端・プロンテップ岬の東側にあるラワイビーチから出る、ロングテールボートで20分程の所にある。ロングテールボートは海のタクシーとも言うべきもので、他にピピ島、ラチャ島、カイ島などへも連れて行ってくれる。
ロングテールボートは少し沖に泊められ、ビーチからは小さなボートが迎えに来た。「フリーダムビーチ」と名付けられたそこには、ビーチチェアがずらりと並べられ、こぢんまりとはしているがレストランもあった。プーケットの西海岸に連なる名だたるビーチに比べれば、狭い上に砂の間から黒い岩がゴロゴロ覗いていて決して贅沢なロケーションとは言えない。だが、その分人が少なくプライベートビーチのように大自然を独占出来た。正に穴場のビーチだった。
美しい海は手の届く所に広がっているし、プーケット島の島影も空気に霞んで良く見えた。それに何よりも広い広い空と太陽だ。
油絵の具の筆でさっと刷いたような雲の連なりと高い天の青さのコントラストは、南国特有の強烈な太陽が輪郭をはっきりと描き出している。エネルギーの塊、生命の謳歌、気分の高揚、そんな言葉がぴったりの世界だった。
成実がビーチに着くなり奇声を発して海に飛び込んで行った気持ちも分かろうと言うものだ。
「あいつは猿か…」と政宗がキャップの鍔を下げつつぼやくのにも苦笑で応えるのみだ。
朝食の際、ラサから聞いた話ではこのビーチの他にアクティビティを楽しめるもっと大きなビーチもあるそうだが、そこはご多分に漏れず観光客の団体がぞろぞろと動き回っているので丁重に避けた。
「徹底してるね」とラサに笑われたが、知らん顔した。
そのラサも、成実に連れられて波打ち際へ駆け寄るカロンを追ってゆったりと海へと歩いて行った。小十郎が振り向くとそこのビーチチェアに知った顔が二つ、既に寝転んでいた。政宗と綱元だ。
政宗は相変わらず焼けた肌がひりついていて、海に入るなど飛んでもないと言う状態だった。一方、綱元の方は事情が違った。
「痛え…」と剣呑に呟いてビーチチェアの上で体勢を変えているこの兄貴分は、昨日の投網漁で腰を痛めたのだと言う。
車を運転する事や、歩いたり座ったりはともかく、海で泳ぐのは勘弁して欲しいそうだ。
小十郎は二人の為に傍らのビーチパラソルを開いてやった。
島風が心地よかった。遠浅の海が明るい碧色に輝いている。
キャップの上に乗せていたサングラスを掛け、黒い岩がゴロゴロ転がった砂浜を歩く。余り広くはないビーチだ、入り江と言っても良い。成実らしき頭が海の上に見えてこちらに大きく手を振った。
小十郎はそれに小さく返し、ビーチサンダルの足を海水に浸した。
水も温かく、さすが赤道直下のアンダマン海だ。
その先はインド洋の茫漠たる大洋が広がる。
気が遠くなるような広さだった。
「I thank you.」
声に振り向くと数歩後ろにラサが近付いて来た所だった。
「In fact, I watch such a smile of the younger sister, after a long absence.(実は、妹のあんな笑顔見るの、久し振りなんだ)」そう言うラサの口元にも、仄かな微笑が浮かんでいた。
「You should quit night work.(夜の仕事、辞めりゃいいだろう)」
「You know that it's not left, and will say?(辞められないの知ってて言ってるだろ、あんた?)」
「…May be I am」
「I want Charon to go to the university, If possible of the forein country.(カロンには大学に行って欲しいんだ、出来たら外国の)」
「………」
「Though it is a deplorable thing, after all Thailand is a poor country.(情けないけど、やっぱりタイは貧しい国だからさ)」
「I seem to have the thing which is more important than a university for Charon.(俺には大学より大事なもんがあるように思えるがな)」
「What is it?」答が分かっている者の表情で、それでもラサは問う。
小十郎は黙って沖合いを見つめた。点々と浮かぶボートの手前で成実とカロンがじゃれ合っている。
「It's so….」
呟きは潮騒に掻き消された。

休憩に戻って来た成実とカロンは至極ご満悦の様子だった。
レストランで香辛料の効いたチャイを頼むと一気に呑み干す。その後はビーチチェアにごろんと寝転んで悠々自適だ。
それを、眉間に皺を寄せた政宗の左目が睨みつける。
「ちょームカつく…」
「もー、まさむーも入っちゃえよ!海水には殺菌作用もあるんだってよ?」
「手前、マジで言ってんなら殺す」
「背中叩いちゃうぞ〜?」
言ってカラカラ笑う従兄弟を、それは恨めしげに政宗は見やった。
「Why don't you swim?(君は何で泳がないの?)」
妹から受け取ったチャイのグラスを自分も傾けながら、ラサが政宗に尋ねた。
「The reason is because the skin which tanned aches from seawater….(日焼けしてて海水が滲みるからだ)」
「Faults(あらら)」
政宗の憮然とした返事にラサは苦笑してみせた。そして彼の傍らに立つ小十郎に声を掛ける。
「Don't you have a lotion after the sunburn?(日焼け用のローションは持ってないの?)」
「I stand for the time being….(一応、持ってるが)」
言い淀みつつ荷物からそれを取り出した小十郎の手から、ラサはローションを引ったくった。
「Why don't you attach a lotion? You are not smart!(何で付けてあげないんだよ、気が利かないなあ)」
言われて返す言葉もない、政宗も明後日の方角に視線を飛ばして知らん顔だ。
休憩終わり!と一声上げた成実が、今度はレストランでシュノーケリング・グッズを借りて来た。カロンの分もある。
「小十郎」と男の背に呼び掛けたのは、ずっと眠っていたらしい綱元だった。
「着いて行ってやれ、ここは俺がいる」
「しかし…」
「大丈夫だ、いざとなったら動ける」
しっしと言うように手を振られて、小十郎は渋々キャップとサングラスを取った。それを手を伸ばして来た政宗に渡す。キャップはともかく、悪戯に掛けたサングラスは彼には大き過ぎるようだった。
沖へ出て行く三人を見送って、ラサはビーチチェアの上で横になった政宗の背や肩にローションを塗ってやった。
「That reminds me….(そういや)」とその背が呟く。
「What?」
「Is it the English that you speak, very sweet pronunciation?(お前の英語、随分奇麗な発音だよな?)」
「―――」
「Be different from the manager of the hotel, It's the dialect of British English, besides.(ホテルの支配人と違って。しかも、イギリス英語の訛りだ)」
「What wants to say?(何が言いたいの?)」
「Particularly….(別に)」
小十郎が英語を身に付けたと言うボストンにはボストン・イングリッシュと言う独特の訛りがあり、それは17世紀にイギリスが彼の地に入植を進めた最も古い地域だと言うのが背景にあった。ラサの発音にはそれに通じるものがあったのだ。
だが、ラサには自分の英語がどの国の特徴を持っているかなど分からない。ビーチでの仕事に有利だから身に付けたまでだし、教わった相手の国籍などいちいち覚えていなかった。
それは当然、相手が客だったからだ。
ましてや、小十郎の英語がどういった由来のものかなど聞き分けようもない。だから、何を政宗が不貞腐れているのかラサには分からなかった。

昼飯を挟んで午後はゆったりシエスタを貪り、起きてからも成実はカロンと一緒に海で遊んだ。
良く飽きないものだと小十郎は呆れた。
寝疲れた綱元などは、帰りの事も忘れてレストランで酒を頼んでそれを何杯か空けている。
政宗もうつらうつらを繰り返し、すっかり不機嫌になっていた。
何となく気怠い雰囲気が漂っていた。そこへ案の定、成実が帰りたくないと駄々をこね始めたのだ。
「Only as for 1, there is a hotel in this island.(島に一つだけホテルがあるよ)」とラサが言ったのが決定打だった。
携帯からジワンに今夜はコーラルに泊まると告げ、彼らは島唯一のホテルに向かった。


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