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―記念文倉庫―

梵天丸は虎哉と共にその会話を聞きながら、大欠伸をかました。
「虎哉―――…」こっそりと子供が呼びかける。
「なんだか政宗はぼうくんみたいだぞ…」
「…まあ、口調があれですからねえ…―――」
少し考えて虎哉は、小さな声で語り出した。
「唯川は謀反を起こす前、ある違法を犯したそうです」
「いほう?」
「政宗様に無断で自分の土地を売り払ったのです」
ふーんと子供は呟く。
土地の売買が家臣の、ひいては国の弱体化に繋がる事は、施政について虎哉に学んだ時に言葉で教えられて知ってはいた。ただし実感はない。
「政宗様は領地を出奔した唯川を、自ら軍を率いて追撃しようとお考えでした」
「わかってたのか、むほんのこと?」
「いえ、それはさすがに。ただ、周囲との緊張関係を政宗様は敏感に感じ取っておられたようです」
他ならぬ虎哉は唯川の事で政宗に相談を持ちかけられた。と言うか、政宗が雑談に紛れて虎哉の考えを一方的に探っただけだが。
「それを、片倉小十郎殿はお諌めいたしました」
「なぜだ?罪を犯したのだろう?唯川とやらは。ばっせられてしかるべきだ」
「そこだけを処罰するのはやぶさかではなかったのですがね。政宗様自ら軍を率いて撃退するのはいかがなものか、と思われたようです」
政宗と小十郎の言い合いは、朝議でも見られた事だ。
「以前から、政宗様の家臣団に対する厳しい態度が内部に反発する者を醸成させていた事もあって、片倉殿はこれ以上政宗様を孤立させたくなかったのでしょう」
うーん、と子供は唸った。
「しかし、そのとき出陣しておればこのようなことにはならなかったのだな?」
「結果としては」
難しい表情をして考え込む梵天丸。
「孤立を招く事も危惧の一つではあったのですが、片倉殿は大将たる政宗様が軽々しく先陣を切って奔るのが、どうにも認められなかったようです」
政宗の事が好きだと、穏やかな笑みを浮かべつつ言った男を梵天丸は思い描いた。とても大きくて暖かい掌がぽんぽんと背中を撫でてくれた。着替えをしてくれた時は侍女の所作より少々乱暴なくらいの手つきで、力強い男の腕ならではにてきぱきと事を運んでいた。梵天丸はその全部を好ましく思っていた。
「小十郎は…しっぱいしたのだな…」
好きな人故に、大事にしたいと思った小十郎の気持ちを汲んだ梵天丸。すぐにそうと理解できたのは、さすがだった。
「その通りでございます」
ずらした板の向こうは掛け軸が下がっていて中の様子は窺えなかったが、小十郎の心中を思うとこの場にいるのは辛いだろうなと梵天丸は思った。
「話は終わりだ。兵を動かしたくない奴は勝手にすりゃいい。俺は戦支度をする」
政宗がそう言い放ち、席を立った気配がする。
他にも何人かの家臣らが立ち上がり、後に続いて大広間を出て行ったようだ。同じように、残った者たちも何人か。
「さ、私たちも行きましょう」
促されて立ち上がった梵天丸は「どこに?」と尋ねた。
「戦場です」
虎哉はずらした板戸を元の場所に戻しながら、そう応えた。



負ける戦ではない。
虎哉はそう言ったが、四つになるかならないかの梵天丸には未知なるものへの不安は拭いきれなかった。それでも手を引かれるままに虎哉に着いて行ったのは、他ならぬ政宗と小十郎が気になったからだ。
梵天丸の眼から見ても政宗は家臣の中から孤立していた。
こんな風に人心に見放されていて、領主が勤まるものだろうか。小十郎が心配するのも理解できる。ましてや、未来の我が事であれば尚更気になる。
むしろそちらの方が、戦の行く末よりよっぽど不安だ。
それに小十郎は自分の主張によって唯川の謀反を止められなかった事に忸怩たる思いを抱いているだろう。もし、自分が小十郎の立場だったら、己が身を投げ出してでも詫びたい気分になると思う。そして、そんな小十郎を政宗は―――未来の自分は―――どう思うのか。
「梵天丸様は先程、政宗様の事を暴君とおっしゃいました」
城の本丸から一番近くの隅櫓の一つに入って行きながら、虎哉はそう言った。
「領主には、意思決定とその執行を断行する権威があります。あのように家臣団らの意見を無視して命令を下す事も普通に許されているのです」
「父上はみなの意見をちゃんときくぞ」
隅櫓には火が点されており、それを黒い籠で覆い隠して光が外に漏れないようにしていた。その闇の奥で黒いものがもそりと動いて、梵天丸はぎくりと体を強張らせた。
それは、一人の男だった。
「皆の意見を聞き、まとめ上げるのも領主の勤め。ですが最後に決断するのはやはり領主ただ一人です」
その男と虎哉によって、梵天丸は寝着から狩衣装に着替えさせられながら、虎哉の言葉を聞いていた。虎哉の為にも衣装が用意されていて、彼は自ら素早くそれに着替えた。
「兵を動かす事も、農地を開拓する事も、家臣を生かすも殺すも…自分以外の誰にも委ねず、自分以外の誰のせいにする事も許されず、自分の名で決めなければならない」
淡々と闇の中で語る虎哉、良く見知った男なのに何故か梵天丸は彼の中の氷柱のように冷たい部分を、初めて覗き見た気がした。
「領主は究極、孤独な存在なのですよ」
「―――――」
明かりが吹き消され、姿のはっきりしない男に導かれて小さな城門を一つ出ると、そこには馬が待たされていた。
先に馬上の人となった虎哉は、黒ずくめの男が無造作に抱え上げた梵天丸の体を受け取って、自分の前に座らせた。
「鞍の小把…そう、そこに掴まっていて下さい」
虎哉は馬の腹を蹴る前に、見送る男に微かな目配せをした。
「では、行きますよ」
夜半から降り出した雪はもうすでに足下が埋もれるぐらいに積もっていて、今なおしんしんと空気を凍らせながら舞い降りて来る。その中を軽早足で馬を進ませながら、虎哉は黙りこくった子供の顔を後ろから覗き込んだ。
「恐ろしくなりましたか?」
戦が、ではない。
領主になる事がだ。どんなにたくさんの家臣に囲まれ、無数の兵たちを抱えていようと、封建国家の国主たる者、最後には己の責任でもって裁断しなければならない。
―――――その恐ろしさ。
それまで漠然と抱いていた父の跡を継ぐ事への不安が、具体的な形を伴って幼な子の小さな胸を蝕んだ。
「領主としては孤独ですが」顔に当たる冷たい粉に眼を眇めながら、虎哉は懐の内にいる子供に向かって話し続ける。
「政宗様個人としては、一人ではありませんよ」
人気のない城の裏手、何故か降ろされた濠の跳ね橋を渡って、彼らを乗せた馬は城下へと無事駆け出した。
「どういう…?」
「ちゃんと前を見て…。政宗様は片倉殿の諌言を無視して唯川追撃の兵を出す事とて可能だった。なのにそれをしなかった―――何故か」
「政宗も小十郎をすいておるからか?」
幼な子の物言いに、「そうとも言いますか…」と虎哉は実に言いようのない笑みに口元を綻ばせた。
「政宗様は、片倉殿にだけはきちんと納得した上でご自分に従って欲しかったのですよ」
「そうか…」
「互いを思い遣った上での行き違い、が今度の事態を引き起こしてしまったと言えるかも知れませんね」
「よい臣をえたのだな、政宗は」
「そして、良き主を頂いたのですよ、片倉殿は」
「…そうか?梵にはそうはみえぬ」
「おや?梵天丸様はちゃんとご自分の成した事共をご覧になっておられないのですか?いえ、成さなかった事ですが」
「なさなかった?」

「政宗様は片倉殿を責めなかったでしょう?」

馬の鬣に紛れて雪片が舞うのを、梵天丸は胸の奥の小さな痛みを感じながら見るともなしに見ていた。
「そんなの、とうぜんではないか」
「そうでしょうか?」
「―――――」
痛みが、むずがゆい何かに変わる。
「とうぜんだ」

梵天丸と虎哉を乗せた馬は、松林の中を軽快に駆け抜けた。
「さて、疾走に移りますよ。しっかり掴まっていて下さい」

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