干潟に船を上げ、レンタカーから取り出したバスタオルでカロンを包み、魔法瓶に入れた茶を飲ませた。
この騒ぎに他の漁師たちが集まって、ラサとあれこれと言葉を交わしている。タイ語はさっぱりなので政宗たちはそれを背に聞くだけだ。
太陽は中天を回ろうとしていて、気温も一気に35度を上回ろうとしていた。なのにカロンは微かに震えていた。まるでこの世は寒過ぎる、と言うように。
他の漁師たちがラサの肩を叩きつつ立ち去って、辺りは静かになった。
「Thank you for having you help a my younger sister.(妹を助けて下さって有り難うございました)」
そう奇麗な英語で告げたのはラサだった。
真摯な表情に漆黒の瞳と、それとは対照的に白い眼のコントラストが、思い詰めたような印象を与える。
「Is your younger sister suicidal?(お前の妹は自殺願望でもあるのか?)」
不躾とも言える質問を政宗は言い放った。ラサは本当に困ったと言うように視線を泳がせて、やがて俯くカロンの横顔を見やった。
「Such a thing…. But she waits on for them.(そんなものは…、ただ彼らを待ち続けているだけで)」
「Them?」
「She waits for our parents.(両親を)」
簡単にラサが説明した話によると、彼らの両親は数年前の大地震とそれの引き起こした津波によって行方不明になってしまったのだと言う。死体は見つからなかった。
だが、今彼らがいるこの海で漁に出ていた父と、プーケット湾のビーチにあったレストランで働いていた母が津波に巻き込まれたのは疑いようがない。その時2人はプーケットタウンの学校に行っていたので助かった。
災害の直後、政府は衛生上の問題から水に浮かんだ死体を早急に火葬に伏した。身元が分かる者も分からなかった者も。そのお陰で年中常夏のプーケットで死体が腐る事もなく、伝染病と言う二次災害を引き起こさずに済んだ。
だが、残された人々には災害の凄惨さと共に、埋め難い心の空白を作る事になってしまった。
死者との対面、そして別れ。そうした当たり前の儀式を行う事なくしては、生き残った人間は親しい人の死を受け入れられなかったのだ。
カロンのように「もしかしたら戻って来るかもしれない」、そんな儚い思いに取り憑かれて前へ進めなくなる。
兄の視線に気付いてカロンが顔を上げた。
水中で見せた死への恍惚のようなものは一欠片もない。明るい表情で兄に何事か言う。それから政宗や小十郎に対して頭を下げつつ詫びているようだ。
それは14、5歳の年相応のはにかみであり戸惑いであり、強がりでもあった。
「なあなあ」言葉の分からない成実が退屈したのか、場違いな声を上げる。
「こんなのが獲れた」
政宗たちの中心にぬっと突き出された右腕、そこに巻き付いて蠢くのは大きなタコだった。
カロンが一瞬身を引いて、そしてコロコロと笑った。
「あっ!いてててっ、こいつ噛み付いてる、いって!!ちょ、まさむー助けて!!!笑ってないでさっ、かたくー!!綱もっちゃん!!!」
慌ててタコを引き剥がしに掛かる成実を、2人の兄妹は笑っちゃ失礼だと思いつつ堪え切れずに笑った。
このKYが、と思いつつ政宗が座り込んだ成実に歩み寄ると、同じように助け舟を出していたラサと目が合った。
「…She wants to grow and doesn't think to want to die. But she still dream of the life that is some as the parents who have disappeared.(彼女は生きたがっている、死にたいなんて思ってない。ただ、両親と一緒の生活をまだ夢見てるだけなんだ)」
そう呟いて肩を竦めるラサには年に似合わないような諦観が染み付いていた。それから成実の腕にへばりついたタコを力任せに引き剥がしてやる。それを受け取って政宗は応えた。
「I can understand it. But a dream is only a dream.(それは分かる。だが夢は夢でしかない)」
「I wait for a younger sister to wake forever.(妹が目覚めるのを僕はいつまでも待ってるよ)」
「Is is so?(そうか)」
綱元が不意に政宗の手の上のタコを覗き込んだ。
「コイツも食えそうだな」と。
政宗は呆れた表情を隠しもせず日に焼けた黒い顔を顧みた。
「生きるには先ず食う事じゃありませんか、政宗様。ちなみにラサの腕前は大したものですよ」
あられもない笑顔を晒しつつ、綱元は右手に掴んだ網をずいと政宗の前に突き出した。ラサの船に積まれていたものだ。中には投網で政宗たちが獲った小魚とは比べようもない程の大きなハタやアイゴの仲間がゴロゴロ入っていた。
「え、何これすげえ!タイじゃねえ?!」と成実はラサの船から持ち上げるのがやっとと言う魚を抱えて叫んだ。
タイ故に鯛、とか日本人にしか分からない寒いギャグで一人ご満悦のようだ。
「Lhasa, May I leave our guide to you?(ラサ、君に俺たちのガイドを頼んでも良いか?)」
最後に、少し離れた所から小十郎が声を掛けて来た。
青年は大きな瞳を更に真ん丸にして、男を見返した。それから政宗を見て、成実や綱元を見る。カロンは不思議そうな表情を上げて兄を振り向いていた。