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―記念文倉庫―

がばっ、とばかりに振り向いた先で、やけに冷たい表情の政宗が妻戸口に立っていた。
正月の設えで、錦繍も鮮やかな紫紺の直垂を纏う姿はさすがに見栄えのする美丈夫だ。だったが、やはり唯一の見開かれた左目は恐ろしく冷たかった。
「先触れがあった…早く来い」
瞳と同じく、声音も冷たい。
梵天丸に暇を告げて、小十郎は慌てて政宗の後を追った。
賀礼の儀が始まってから政宗はまともに小十郎に声を掛けない。休めと言った時も、反論する小十郎をちょっと眺めやってから「好きにしろ」と呟いただけだ。
今も黙って前を行く主は不平の一つも零さない。先程も梵天丸に怒鳴り散らしたりしなかった。何時もと違う様子に、さすがの小十郎も戸惑いが隠し切れなかった。
「あの…政宗様―――」
何を言うつもりだったのか、自分でも良く分からなかった。まさか梵天丸とは政宗が嫉妬するような心根の間柄ではないとでも?しかし、己が領主が僅かに振り向き表情のない眼で一瞥するや、何も言わずに不意と顔を反らした時―――。
思わず傍らの板戸を引き開けて、誰もいないそこへ政宗を引き込んで抱き締めていた。右腕は動かないので左手一つで、それがもどかしい。
政宗はほんの少し抵抗を示したが、振り上げた拳をそのままに小十郎の成すがままになった。
「…申し訳ありません」
「何でお前が謝るんだよ。謝らなくちゃならねえのは俺の方だろ」
そう早口に言い放って、政宗は男の右肩にそっと触れた。
幻術を掛けられていたとは言え、彼に刃を向け傷付けてしまった、その事が小十郎が思うより政宗の心のしこりになっていたのだと今更気付いた。
「これは…小十郎が至らぬせい。政宗様が謝られる事は何もございません」
「お前そう言うけどさ…ホント俺、自分が情けねえ」
俯いたままおずおずと体を離す政宗はやはり、小十郎の体を気遣っている様がありありと分かった。
それが嬉しくて、小十郎の口を軽くさせる。
「傷が癒えたら、政宗様の泣き言を一晩中でもお聞かせ願えましょうか、厭と言う程」
は?と言うように上げた青年の顔が、見る見る朱に染まる。
「…おま…、ホンットに天然のたらしだな…っ!」
照れ隠しにそう吐き捨てくるりと踵を返すと、彼はとっとと簀の子へ出てしまった。その主の背を追いながら、小十郎は思わず漏れる笑みを噛み殺していた。


エピローグ
その夜、虎哉が蔵王権現から戻って来た。
賀礼の列も一先ず絶え、ようやく城内も落ち着きを取り戻した時分だ。
今回の事で何が問題かと言えば、過去からやって来るのが梵天丸だけでなく、暗殺を目的とした術者までも引き寄せられた事だ。その真相を探り、対処しなければならない。
奥書院に集められたのは小十郎の他、成実と綱元のみだった。
「皆様がご無事で何よりでした」そう虎哉は前置きして、話し出した。
「刻を遡る呪は、秘術中の秘。その禁忌を破って一団となってやって来た彼らには違えた時代で大きな制約がありました。呪を使えない、と言う最大の制約。その為、更に彼らは過去のこの虎哉に呪を掛けたのです。つまり、虎哉の遣いと言う形を取る事で未来のあなた方に呪が掛かるようにした。私はこの世では羅漢として名を馳せておりますから強力な呪具として利用された訳です。…真に遺憾な事この上ございません。そこで蔵王権現の修験道たちの力をお借りして呪詛返しを行った次第です」
「そういう…呪術の事は良く分からねえがな、そう簡単にやって来られちゃ、世の中しっちゃかめっちゃかになりやしねえか?」
政宗の懸念はもっともな事だと虎哉は頷いた。
「今回の事は、この虎哉に過失がございます。…こちらの呪具…」
そう言って男が懐から取り出したのは、梵天丸がこの時代に渡って来る時、首から下げていた黒い鏡だ。
「これを製造した地では、黒曜石に神が宿ると言われているそうです。その神性を宿した石で造られたこの鏡には絶大な力が潜在しており、彼らはこの呪具を手掛かりにして秘術を成功させたのです」
「I see. なら…どうする?」
「惜しい事ですが、これはこの世にあってはならぬものかと」
「…だな。おい、あのガキを呼べ」
言われて立ち上がったのは成実だ。彼は侍女に任せる事なく自ら小十郎の居室に走って行って、梵天丸を抱えて戻って来た。
梵天丸はもう寝ていたらしく、眠い眼を擦りつつ小十郎の膝の上に座った。
そこへ政宗は虎哉に顎をしゃくって見せる。自分が言うより虎哉の方が素直に言う事を聞くだろうと思っての事だ。
「梵天丸様…そろそろ帰りましょうか、元の場所へ」
ダダをこねられるかと思っていたが、幼な子は眠気故の不機嫌そうな表情のまま黙り込んだ。それから、背後の小十郎を見返す。
「わかった」
顔を元に戻した時、眠気も冷めた様子で梵天丸は短く応えた。
そうして小十郎の膝の上から立つ。
何をするのかと皆の眼が集まる中で、小さな子は15年後の自分の前に立った。口を引き結び、大きな二つの瞳で、何時もの一重に長衣を肩に掛けただけの青年の姿を見つめる。
対する政宗は、片方だけの眼をうっそりと細めて昔の自分の亡骸に見入る、遠い記憶を探るように。
「…この城に父上がいないこと、そなたの右目がかくされていること、梵は問いはせぬ」
幼な子の一言一言噛み締めるような物言いに、この場にいた誰もが息を呑んで見守った。
「梵はこれからたくさんのものをうしなうのだろう」
「…梵天丸様…」思わず小十郎が小さく呻いた。
「しかし、ここにいる者たちがそなたを支えている」
「その通りだ、小僧」不適に微笑みつつ政宗は応えた。
「梵はおどってやるぞ、政宗。領主という舞を、おどらされるのではない、梵は梵にしかできないやりかたで、おどってやる」
「Ha-ha! You said well!!(よく言った!)」
高らかに言って豪快に笑う政宗に、梵天丸は走り寄って抱きついた。眼を見開いた青年が、全体重を掛けて首筋に縋る幼な子の耳元を見やった。それに応えるように、少し顔をずらした梵天丸が政宗を顧みる。
「小十郎がもうしておったぞ」
「Ah?」
自然、こそこそ話になる。
「とわに、おしたいする、と」
ぐわっ、と勢い良く顔を上げた政宗は何事かと見守っていた小十郎を言葉もなく睨みつけた。だが、怒っていいのやら何なのか分からずに、結局げっそりした表情で項垂れるばかりだ。
きゃらきゃらと笑って政宗から離れた梵天丸は今度は虎哉に抱きついた。
「こたびで最後だ、虎哉。そなたにもめいわくをかけた」
「迷惑などと、そのような…」
「わかっておる」
何を分かっていると言うのかそれを問う事は出来ずに、虎哉は梵天丸の体をそっと引き離すとその首に黒い鏡を掛けてやった。
そうして、政宗の方を振り向かせる。
「政宗様、この鏡をお割り下さい」
「Hum…?そんな事して…」
「前回はこの虎哉が術で割りました。そのようにして梵天丸様は元の場所にお戻りに。今度は政宗様に割って頂きたく存じます」
「…I understood it.」
政宗は床の間の刀立てから一刀を引っ掴んで立ち上がった。
「梵天丸様、そのまま」
低く告げて、虎哉が幼な子から離れる。
その、儀式張った一瞬。
上段に抜き払った刀を構え、呼吸を止める。

―――踊れ。

と政宗の口が動いたのを見た。
次の刹那、銀光が一閃し、ふわと梵天丸の髪が揺れた。
美しいアラベスク模様の鏡は真っ二つに割れ、紫紺の紐もふつと途絶えてするりと幼な子の胸を滑り落ちて行った。
その割れた鏡もろとも、梵天丸の姿は辺りを透かせて薄くなり、消えた。
梵天丸の口が最後に動いて言った一言を、政宗だけは見ていた。

―――誓う、と。


20101213 Special thanks!

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