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―記念文倉庫―

そこから閃いた切っ先に、小十郎は自分から一歩踏み込んで行った。右腕の付け根、肩口に蒼白い刃が吸い込まれて行く。激痛に梵天丸の体を抱く手が震えた。それでも右腕に力を籠めて骨の間に刃を噛ませる。
動きの止まった今、小十郎は左手の刀の柄頭で政宗の項を打った。
「筆頭!!」
「筆頭ーっ!!!」
「片倉様っ!!」
文七郎や孫兵衛が走り寄る。
天狗の迎撃に徒士らは弓矢を放ち続けていたが、それは威嚇にしかなり得ない。
慌てて文七郎たちが倒れた政宗を、門扉の影に引きずり込んで天狗から庇った。続いて小十郎も二人に引き摺られるようにしてそこへ駆け込む。
小十郎は肩に突き立った刃を左手の刀で叩き折った。右腕から力が抜けて行って、ずるずると梵天丸の体がずり落ちて行く。そのまろい頬へ、肩からの出血が滴る。小十郎は慌てて刀を打ち捨ててその身体を抱き止めた。
「…こ、じゅろ…?」
苦痛に歪んだ彼の顔と共に、へし折られた刀の切っ先をその肩口に見て取って、忽ち梵天丸の顔色が変わる。
「小十郎!!」
「申し訳ありません梵天丸様…お召し物が汚れて―――」
「ばか者!!」幼い叱責が走って小十郎は口を噤んだ。
「そなたが死んだら誰が政宗をまもるというのだ!!」
「…梵天丸様―――」
ゴォォ……ン
遠くの寺の鐘が鳴った。
墨汁を流したような闇の中、雪影が濃くなるにつれ凍える程の寒さが募る晦日の夜。それも更けて日付が変わろうとしていた。
恐らく資福寺で掻き鳴らされ始めた除夜の鐘はこの当時、百八の煩悩を消し去る為のものではなく、禅寺での僧侶たちの修行の一環として撞かれた。
それが遠く聞こえて来る中、城門の篝火が風もないのに激しく揺れた。薪を追加した訳でもないのに、その火勢がごお、とばかりに強まる。
何処からか法螺貝の音が響き渡り、どろどろと打ち鳴らされる太鼓の低音がそれに重なる。そこへ、やはりこの場には居もしない筈の修験道たちの力強い読経の声が覆い被され、周囲をぐるりと取り囲んだようだった。
その唱和が最高潮に達した時、炎の中にぼう、と何者かの姿が浮かび上がる。
文字通り、火炎を背負った三体の巨大な不動明王だった。忿怒の形相を刻む肌は蒼黒、怒髪天を突くその様は愚かで哀しい衆生を睥睨している。
誰もが息を呑んで炎の中の幻を見つめた。蔵王権現で虎哉が呪詛返しの法を修験道たちと共に行っているのだと、それを知る者はいないが、炎の中の不動明王が今この場を制圧している事は誰もの肌えにひしひしと感じられた。
文七郎に介抱されて眼を覚ました政宗も、顔を顰めてそれを振り仰ぐ。しかし、小十郎の姿を見つけると体を支える文七郎の腕を払って一人立ち上がった。
その肩に突き立った刃に見覚えがあった。彼に触れる事も出来ず、何を言う事も出来なかった。
そして、何も聞くまでもなかった。
政宗は黙って小十郎が落とした刀を拾い上げて、宙に浮かんだままの天狗を見上げた。
動きが止まり、天狗も又、炎の中の異形の姿を凝視している。
「…おのれ、蔵王権現めが…」
そう嘯いたのを、誰が耳にしたか。
政宗はそれへスタスタと歩み寄り小十郎の刀を手にして、八相に構えた。
「舞台は終わりだ、良い子はもうおねんねしなきゃな…Are you ready?」
天狗は、長い長い溜め息のようなもので応えた。よく見ると、使い古された廃寺で朽ちて行く仏像のような崩壊がその表面で始まっているのが見て取れた。
「長い長い、流浪の旅の涯てがこれか……政宗様の剣舞、美事なものでござった…」
「手前の傀儡使いもな」
「有り難く」
山伏だった天狗が眼を閉じた。
風に巻かれて雪が、炎が舞い踊る。
「あの世で永遠に踊れ、War Dance―――」
更に雷が踊り狂い、闇に隠されていた舞台裏が明るみに出される。
十数名の男たちのシルエットが、雷光に包まれた天狗の向こうで跳ね踊った。木製の人形だった天狗は呆気なく粉々に砕け散り、男たちは全て消し炭となって吹き飛んだ。

爆風に吹き退けられた雪片が静かに舞い戻って来ると、篝火は元に戻り、法螺貝の音も読経の声も消え失せ、ただ静寂だけが降りた。

朝一で賀礼に参上した家臣が城門を潜った時、黎明の中ひっそりと郭は静まり返っていた。
ほんの数刻前にそこで行われた"舞台"の名残は微塵もない。
家臣の献上した太刀や馬目録が、大広間の領主の前に黒漆の三方に置かれて積まれて行くのを政宗や小十郎、成実、綱元らが済ました顔で眺めやる。
大広間の下座・突き当たりにある能舞台では、しめやかに今年と言う年の始まりを言祝ぐ舞が奉納されている。控えめな唄いに上品な笛太鼓の音が、場を引き締めている。
小十郎の顔色は余り良くない。
政宗に受けた太刀を止血しながら抜き取ったのは、一番目の賀礼が始まる僅か一刻前の事だ。傷口を酒で消毒し、素早く縫い取り、油紙に塗りたくった薬膏を当てて、晒しで堅く何重にも巻き付けてある。それでも、その腕を普通の怪我人のように釣る事は拒んだ。
「新玉の年に無様な姿を家臣たちに見せる訳には参りません」
そう言って、賀礼を欠席して休んでいるように、と言う政宗の言葉にも頑として頷かなかった。
ただでさえ佐馬助を始め、良直たち主立った城中の家臣が前夜の怪我のため欠席しているのだ。常に竜の右目と褒めそやされる自分までもが姿を見せなかったら伊達家筆頭の威光が廃れる。
そんな風に屁理屈を並べる己が近侍を、政宗は無表情に眺めやったものだ。

休憩の為に自室に戻ると、侍女に餅を焼いてもらっていた梵天丸が小十郎を出迎えた。
「小十郎!そなたもたべるか?」
そう声を張り上げる梵天丸の口の回りには、きな粉やらあんこやらがべったりとくっついていた。それを、その傍らに腰を下ろした小十郎が苦笑しつつ指先で拭う。
「小十郎は宴席にて頂いているので」言って、指先のそれを舐め取る。子供の体の匂いのように甘かった。
「…それにしても、昨夜の狼藉者はなんだったのだろうな…」
幼な子には何の説明もしていない。
あの傀儡師が小次郎新派の遣わせた「梵天丸」の暗殺者だと言う事は明らかだ。だが、腐っても武将たるものが技芸を売り物にする賤民にこのように重要な仕事を任せるとは思い難かった。
「あの女の差し金だろ」あっさりと政宗は言った。
それは、憶測に過ぎない。
「調べを進めておりますが、身元も明らかでない故、はっきりとはせぬかと」
「政宗によく注意しておくのだぞ。おのれの身をわきまえないとまわりが迷惑するからな」
「…よくよく注進致します…」
笑いを堪えつつ小十郎はそう応えた。
「のう、小十郎…」
直ぐ近くで侍女が新たな餅を焼いているのを見やりつつ、梵天丸が頼りなく声を掛けた。
「梵が伊達家のかいらいというのは、どういうことであろうか?」
「―――」
覚えていたのか、と小十郎はとっさに返す言葉を失った。それから、傍らにいた侍女に軽く手を振って人払いをさせる。
「…梵天丸様が、と言うより世の領主の多くがそうした扱いを受けているのは事実です」
「あやつり人形か」
梵天丸の脳裏に年末、この城中で見た猿楽の一つが蘇っていた。
何人もの手で動かす大掛かりなものもあれば、人形との対話形式で一人で演じられるものもあった。その人形に意志はない。動かし手に動かされるままだ。梵天丸は自分の手を見た。
「まえに虎哉はもうしておった。領主は最終的には全てじぶんの意志で何事もきめなければならないと」
「難しい所でございます。領主は家臣らの進言を全く無視しては事を決められません。ですが、責任の一切は領主にある…そう言う意味では、意志ある決定だとしても、家臣らに踊らされる傀儡とも言えましょう」
「梵はそうなることをのぞまれているのか?そして、それにこたえられないから、皆は…。母上も…」
ぐっ、と梵天丸は溢れそうになるものを堪えた。
「梵天丸様…あなたはいい子になりたいですか?」
「梵はいつもいいこだぞ!曲がったことも、間違ったこともだいきらいだ!!」
「そうですか…」
小十郎はしかし、哀しそうに呟いて溜め息を吐いた。
「…なんだ?」
「小十郎は何者か分からぬ"いい子"よりも、ただの梵天丸様の方が好きだったのですが…。ですが梵天丸様は梵天丸様であるより"いい子"でありたいと、そう望まれるのですね…哀しい限りです」
「…な」言い終えて席を立とうとする男の袖に、幼な子は縋り付いた。
「梵は梵だ!なにものかわからぬのもではないぞ!!」
「しかし…"いい子"と呼ばれる方は世の中にたくさんおられます。梵天丸様と呼ばれる方はただ一人の筈です」
「―――…」
小十郎の屁理屈に煙に巻かれた幼な子が、瞳に一杯涙を湛えて言葉を失った。
違う違う、自分の言いたい事はそうではなく…と考えがぐるぐる回って、ただ口をぱくぱくさせる。
「…ああ、申し訳ありません。困らせるつもりはなかったのです。小十郎はただ梵天丸様は梵天丸様らしくあって頂きたいと申し上げたいのです」
「なんだ!」小さな主は掴んでいた袖を振り払った。
「―――…いじわるだぞ、小十郎」
「申し訳ありません」
その場に座り直した小十郎は、紅葉のようなその小さな両手を笑いながら取った。
「余人に何かを期待され、意見を言われたり諌められたりして考えを変える事があっても、その事にあなたらしさがあれば傀儡と言われても宜しいではありませんか。何を言われても梵天丸様の中にご自分を大事にし、ご自分を誇れるお気持ちがあれば、誰に左右されたとしてもそれはあなたご自身の意志に他なりません。…怯え、萎縮し、これで正しかったのかと疑うような心持ちでは、ただの操り人形と誹られても致し方ありませんよ?」
「―――梵は、梵のままでよいのか?」
「そのままで」
「………」
照れたように顔を伏せた梵天丸は何も言わないまま、小十郎に掴まれた両手をぶんぶんと振った。それから、ぽつりと呟く。
「あっちで…」
「ん?」
「梵がもといた所でも、はやく小十郎にあいたい…」
「―――…」
何て可愛い事を言ってくれるんだ、この幼い主は。
愛おしさに溢れた胸に掻き立てられるままに、小十郎は小さな体を抱き締めていた。
「小十郎も早くあなたにお目にかからねば…と思っております」
幼い子特有の甘ったるい香りをその肩口に感じながら、小十郎は強く、密かに強く、そう思う。
「……小十郎…」
「何でしょう?」
「鬼のような顔で政宗がみておる」


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