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―記念文倉庫―

遅れて三の丸城門傍らの長屋に駆けつけると、そこはまるで大きな戦の跡の如く燃え落ちて崩壊した後だった。
文七郎と孫兵衛は無事だったが手足や顔に火傷を負っていた。
服や髪も所々燃え落ちている。彼らを襲ったのは、その長屋から飛び出して来た異形の者共だったと言う。
「地獄の鬼みてえな醜い野郎共でしたよ!灰色の肌に腰帯だけで、赤い眼をした…」
「豚みたいな牛みたいな雄叫びを上げて、本当に寿命が縮まった気がしました…」
それに取り囲まれている所へ、先ず綱元が駆け付けた。
一体を切り倒してみれば、ただの張りボテの人形に打ち変じた。更にそこへ政宗が走り寄って来て、雷を乗せた一撃を放って炎と地獄の獄卒を一掃してしまったのだ。

降り積もった雪を溶かして焦土と化したその場に、城中各所へ散っていた各人が集った。話を聞くと、幻を見せられたのは小十郎だけだった。その小十郎の話を聞いて良直と文七郎が声を上げる。
「その男って、こう、体つきのがっしりとした」
「やけに薮睨みの、無愛想な野郎じゃなかったすか、片倉様」
「ああ、そんな感じだったな」
「そりゃ、虎哉和尚からの文を届けに来た山伏っすよ!」
「Ah?ンじゃ何か?虎哉が奴らを俺たちの所に差し向けたってのか?」
ギロリ、と政宗に睨まれて良直と文七郎は顔を見合わせて黙り込んだ。
小十郎は懐からその虎哉から宛てられた文を取り出した。何となく気になって忍ばせていたものだ。
「!!」
それが空気に触れた途端、めらめらと炎を上げて燃え落ちた。
黒い灰の欠片となって、冷たい夜風に散って行くそれを見下ろしていた小十郎が、政宗を顧みた。
「最初っから、何もかも偽りって事か」
城門前の一際大きな篝火が三つ、彼らの周囲で渦巻いて燃え上がっている。
静寂が降りて、政宗が黙考に入っているのを妨げる者はいない。小十郎には凡そ敵の意図する所が見えていた。あとは彼が如何なる判断を下すかだ。
小十郎は抱き上げている幼な子の寝顔をそっと見下ろした。
「…こそこそしてねえで、姿を見せろ」
晦日の夜の静寂に、政宗の良く通る声が響いた。
空気の中に、ちらちら舞う雪以外の気配が混じった。それはまるで遠い群衆のようで、ざわざわと打ち震えていた。得体の知れない気配には何処か禍々しいものが含まれており、その場にいた者たちは首筋に鳥肌が立つのを禁じ得なかった。
その闇の奥から篝火の届く輪の中へ、一人の男が浮かび上がる。
例の山伏だった。
その背後、直ぐそこの夜陰の中に数知れぬ何かを引き連れている、そんな気がしてならない気配を纏い付かせて。
だが、政宗は胡散臭そうに山伏を斜に眺めやり、鼻を鳴らした。
「諦めて、帰れ」
無下に言い放つ彼の台詞に、表情を動かさず男は返した。
「そうは参らぬ、普請を受けて活計を立てている身としては」
「金を貰えりゃ殺しも厭わねえか。芸技や体を売る以上に世知辛いこったな。―――だが、手前らのまやかしも、怪しげな術も効かねえのはわかったろう、どうするよ?」
政宗の問いに、山伏は小十郎の腕の中の幼な子を見やった。
「そちらとて、何時までもその御子を留まらせる訳には行きますまい。過去へ戻さねば貴方様はなかったもの、となってしまわれる」
「戻して殺すか。それが分かっていながらこの俺があのガキをお前に渡すと思うか?…俺はこうしてここにいる。そのガキが殺されずに育った証拠だ。過去も、今も―――変わらねえ」
「…だが今この瞬間に歴史は変わる。刻を遡る呪具などがあったばかりに、我らも無理な呪詛を仕掛けなければならなかったのだから」
「呪詛だと―――?」
「虎哉宗乙」
「!!」
蔵王権現へ突如発ったと言う僧侶は呪詛を掛けられたと知るや、それが災いを成す前に山伏たちの霊山の一つに駆け込んだのだ。
「あの坊主が犠牲となって我らの呪も完成すると言うに…このように拙い芸技しか披露出来ぬ事を遺憾に思う」
「…てめえ…っ!!」
ざ、と玉砂利を蹴散らして、政宗の周囲の家臣らが腰の刀に手をやった。
だが、唐突に巻き起こった突風に思わず視界が塞がれ、顔の前に腕を翳す。それを降ろした時、目の前の山伏は、山伏ではないものに変じていた。
「て、天狗?!」
「鴉天狗かよ!!」
背に巨大な翼を持ったそれが、一つ羽ばたきをする毎に風が吹き荒れる。ふわりと体が宙に浮き上がって、胡面を被ったような姿のそれは、政宗たちを睥睨する。手にしているのは錫杖と檜扇―――ではなく鉄扇だ。
腕の長さ程もあるそれが広げられ、一閃すると衝撃が駆け抜けた。
成実や綱元は、それが地面を抉る程の威力を持つのを見て取って、間一髪の所で避けた。怪我を負っていた文七郎と孫兵衛が避け損なって、大手門の柱や土塀に体を叩き付けられた。他の徒士らは暴風の余波に巻かれて散り散りに地面に転げる。
政宗は、と成実が振り向いた先で言葉を呑んだ。
「ちょっ!筆頭、何やってんだよ!!!」
張り上げた成実の声も届かぬ風に政宗が対峙しているのは、何故か梵天丸を抱きかかえた小十郎だった。
一刀を抜き払ってじりじりと距離を詰める。
「…今の一瞬で呪を掛けられたか!」綱元が低く呻いた。
「そんな!!じゃあ筆頭には小十郎があの山伏に見えてんの?!」
「お二人を止めなければ…」
微かな声で言葉を交わす二人を、天狗の鉄扇が唸りを上げて襲った。二人は別々の方向へ逃げ、刀を抜いた。空中を自在に翔け、巨大な鉄扇と錫杖を振るう敵に対して、それは何と無力な獲物だったか。
「弓矢を持て、早く!!」
そう綱元が徒士らに声を張り上げているのを背後に聞いたが、成実はただひたすら政宗に近付こうと試みた。
―――筆頭と小十郎が刃を向け合うなんて…!そんな事、あっちゃならねえ…!!
その都度、鉄扇を食らい、突風に吹き飛ばされた。
周囲の状況を視界の隅に捕らえつつ、小十郎はじりじりと下がった。こちらの隙を窺い、逃がす間も与えず渾身の一撃を見舞おうとしている己が主、今度は幻などではなく、正真正銘本物の政宗だ。確実に一撃でやられる、そう分かっていながら腕に抱いた幼な子を手放す事も、腰の一刀を抜き放つ事も出来ない。
「…政宗様、お気を確かに…私は小十郎です」
何度かそう訴えてはみたが、彼の言葉は全て山伏の言い放つものとして聞こえているようだった。政宗は「ほざけ、下郎が」と吐き捨てるのみ。その左目は小十郎を映していながら小十郎を見ていなかった。
この騒ぎにも関わらず眠り続ける梵天丸が訝しかった。山伏に抱き上げられてからと言うものずっとだ。この子も呪に掛けられているのか。
八方塞がり、正に字に書いた如く。
予備動作の一つも見せずに、政宗が地を蹴った。
小十郎は幼な子を庇って体を捩る。
それに、重い衝撃が走った。
地面に転げた小十郎は、それでも梵天丸を放さず死守した。体の何処にも異変がないのを知るや顔を上げると、政宗の凶刃を左脇腹に受けて立つ良直の後ろ姿があった。
「に…逃げて下さい…片倉様…!!!」
血を吹きながら唸るのを、小十郎は聞いた。
「…良直…っ!!」
「小十郎!」梵天丸を抱えながら立ち上がった彼を、成実が支えた。
政宗は、自分が誰を突き刺したのか分かっていないようだった。舌打ち一つでその身体から刃を引き抜くと、再び小十郎に血塗れの切っ先を向ける。
「俺はいい…良直を」
小十郎は成実にそう短く告げて、一人政宗の前に立った。
片腕一本で子供を抱え、左手のみで刀を構える―――峰打ちに。
「小十郎!梵を抱えたままじゃ無理だ!!」
「わかってる」
「…なんでっ!!」
泣き叫ぶ声に小十郎は振り向かず応えた。
「どちらも俺がお守りする」
「―――…」
馬鹿野郎、と叫んだがどうしようもなかった。
この混乱の中、更にまやかしのせいで敵味方の区別が怪しいのだ。余人に梵天丸を預ける危険は犯せないと小十郎は判断した。
振り下ろされる刃を数合、片手で受けた。
小十郎は痺れる手を感じながら政宗の右へ右へと足を運ぶ。それを追って体を半回転させる主が痛ましかった。
だが彼の苛立ちが電撃を伴った技を発動させる前に、彼の動きを封じなければならない。斬り下ろし、反転する刃を避けて更に右へと回り込む。横殴りの刃が頬を翳めた。

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あきゅろす。
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