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―記念文倉庫―

ふわ、
と政宗の髪が揺れて、彼は優雅とさえ言える所作で振り向き様、抜き打ちに刀を払った。
その先で、丸太で出来た頑丈な裏手門が木っ端微塵となってこちらへと吹っ飛んで来る。
政宗の振るった斬激は、そこから飛び出して来た異形の影を掠めて消えた。
微かな気配に小十郎は背後を振り返った。だが、破れた門から飛び出して来た影を目の前にして、体が固まる。
仏教で言う所の神将と呼ばれるそれは、獣の形を模した兜を目深に被り、大陸式の具足を纏っている。長い袖を括り、それよりも長い天衣を翻す。
正に仏師の彫る像そのままの姿が今目の前にあって、カーブのない細い諸刃の剣をギリギリとこちらへ差し向けていた。
「小十郎、ぼけっとすんな!!」
政宗の声に小十郎だけでなく徒士らも我に返り、主人を守護せんと刀を払った。その彼らがじりじり詰め寄る先で、三体の神将は軽く地を蹴った。
それはもはや跳躍、などと言うものではなく、
「…と、飛んだ―――!」
徒士の一人が思わず声を上げる。
あるものはふわふわと、あるものは弧を描いて、鳥のように空中を舞った。
「It's out of order….(狂ってやがる)」
負け惜しみとも取れる罵声を低く呟いた政宗。その彼が裏手門脇の土塁を駆け上がって行った。その上に立てられた柵に飛び上がり様飛びつき、そのてっぺんを蹴って空中の神将に向かって体を捻りながら襲いかかる。
「Death Fung.」
地鳴りを起こして雷が走った。
横回転して振るった刃に手応えはあった。
「うわあぁおっっ!!!なんだあれは?!!!」
場違いに楽しそうな声が雷鳴に重なり、小十郎は良い意味で体中の力が抜けた。素早く駆けて政宗と同じように土塁の上へ馳せ登る。そこを横っ飛びに蹴って、もう一体の神将を捕らえた。
一度弾かれ、間髪入れず突きを放つ。
小十郎の刃は神将のどてっ腹に突き立った。
爆煙を押し退けて突風が巻き起こり、その向こう、何処からか猛禽類の断末魔の絶叫が上がる。それが、遠ざかって行く。
地面に降り立った小十郎は破壊された裏手門を振り向きつつ立ち上がった。
「こ、こじゅろ〜〜っ」と言う苦しげな呻きに、はっと我に返る。
「めが回ったぞ!なんて乱暴なことをするんだぁ」
「こ、これは申し訳ありません…!」
「Hey!小十郎!!」
苛立たしげな叱責が走って、慌ててそちらに駆け寄る。
呆然と立ち尽くす徒士らの真ん中で、しゃがみ込んだ政宗が地面から何かを拾い上げた。辺りは土埃の名残が漂っていたが神将らの姿はない。そして、政宗が手にしたものは。
「作り物の…腕…?」
木製と思しきそれは肘から下のもので、指先などがきちんと動くように作られていた。
「精巧に出来てるがな。何かのカラクリか操り人形か―――いずれにせよ、人じゃねえ」
「しかし、先程見た限りでは正しく本物に見えましたが…」
「近くでちゃんと見たのかよ。…だが、何だこりゃあ一体」
「政宗様」思い至る所があって小十郎は声を上げた。
「傀儡師ではありませんか」
「………」
傀儡師―――人形使いと言えば、猿楽の出し物の一つだ。
「まさか…?」
小十郎が呟いた時には既に政宗は駆け出していた。
三の丸の城門側の長屋に、仮住まいさせている回り神楽の一座がある。
遥か昔から流れ歩いて来た流浪の民が、芸能を生業として寺社などに寄り、あるいは公家や武家に庇護されて存続していた。彼らの技はそこから様々な芸能へと受け継がれて行った。その大本に傀儡師があったとも言われる。
瞬時に政宗の中でその推測が成されたものかどうか。ただ彼には二の丸三の丸へ渡った文七郎と孫兵衛の身が危ない、と言う事だけがはっきりしていた。
小十郎は駆け出す前に、徒士らを振り向いた。
「急ぎ成実様、綱元様にお伝えしろ。回り神楽の一座だ、行け!!」
は、と短く応え彼らは二人ずつになって散って行った。
それを見送りもせず、小十郎は全力で政宗の後を追う。
「こ、じゅろっ、く、くるしい…っ!!」
「我慢して下され、梵天丸様!」
小十郎が走る衝撃に幼な子は眼を回していたが今はそれ所ではなかった。あのように怪しい術を使う者たち相手に政宗一人で向かわせるなど、あってはならない事だ。右手でしっかり梵天丸の背を抱え、左手には抜き放ったままの一刀を携えて、小十郎はひた走った。
辺りは夜の闇が落ち切っていた。
視界の頼りになるのは、郭のあちこちに焚かれた篝火ばかり、小十郎は記憶を頼りに右手の櫓門を潜った。

だがそこには、ある筈のない断崖絶壁が口を開けていた。
踏み出した先で地面が足下で終わっている。小十郎は危うく踏み止まり、崖の向こうへと視線を投げやった。
巨大な渓谷がぱっかりと口を開けているその向こう岸、そこには何やら白いものが揺らめいていて。
「………っ!!」
訳が分からぬと思考がぐるぐる回り、小十郎は歯を食いしばった。
戦で追い詰められた時、味方の敗走を余儀なくされた時、何時もそうするように、意識を意図的に反転させるのだ。そうすれば、見えなかったものが見えて来る。
―――傀儡師はその演舞の全てに呪術的な要素をおおいに纏っていた。だからこそ、寺社と密接な関わりを持ったのだ。
ならば、これは幻術。現実には有り得ない筈のものを見せ、感じさせる。そして目の前の岸からふいと一歩を踏み出した者、それは同じように幻の筈だった。
「…政宗…様―――…」
青い小袖袴に黒い革製の陣羽織を身に纏い、それを翻して深淵の底を見せる断崖を吊り橋もなく渡って来るのは、遠目でも見違える筈のない己の主の姿だった。
小十郎は腹に感じる熱を確かめるように、幼な子の背を抱く手に力を籠めた。
「どうしたのだ、小十郎…」
「…幻に斬られるなんざ…末代までの恥だ―――」
噛み締めた歯の間から、男はそう低く嘯いた。
幻と分かっていてさえ、彼には主人を斬れぬ。そんな小十郎の心中を読んだかのように偽りの政宗が身辺に雷を纏い付かせて、空を渉る。
梵天丸が頭上の小十郎を見上げて訝しがり、必死でその視線の先を追おうと身をもがいた。
それを、男の大きな掌が包み込む。
「小十郎…?どうしたというのだ、いったい…」
不安を滲ませた声にようやく顔を降ろした男の表情は、それまでに見た事もなくて、梵天丸は眼を見開いてそれを凝視していた。
背で、男の温かい手が何度も撫で摩る。
「…世の悉くが貴方を憎もうとも、この小十郎は…小十郎だけは貴方を永遠に、お慕いしております…永遠に―――」
熱烈な愛の告白だと言うのに、梵天丸の身を不吉な影が差し貫いた。
「なん…だ、―――何故そんなことをいう…?」
「御免」
短く言って、小十郎はぶつと幼な子の体を括りつけていた晒しを刀で切った。ふわりと地面に降り立った梵天丸の伸ばした指先が、小十郎の羽織の裾に届かなかった。
「こ、じゅろ…?」
彼も又、割れた地面を空を切って走った。
目の前には、永遠を誓った己が主。
「小十郎!!!」
一か八かの賭けに出た。
それは勝算の見込みのない、智将と呼ばれる男にしてみれば無謀と言うより他ない行為だった。
「バカぁ!小十郎ぉっっ!!!!!」
やけに長い一瞬に、梵天丸は泣いて自らの近侍の名を呼び続けた。
「ゆるさぬ!死ぬなど、この梵天がゆるさぬぞ!!」
遠く背に幼な子のその声を聞いて、小十郎の体を何かの衝撃が走った。
生身の主を差し置いて、敵の作り出した幻に闘う前から負けてどうする。厳しい表情に孤独を滲ませた青年の姿が、思い浮かばれた。幼い記憶と心を殺して殺して、殺し尽くして来たと言って涙するその姿。
目の前の幻が刹那、驚愕の表情を刻んだ。
それへ、小十郎は抜き打ちの一刀を放った。政宗の姿をしたものに刃を向け、それを切ると言う行為は想像以上の苦痛を伴った。それを捩じ伏せての斬激。
放った刃は己の心をもズタボロに引き裂くかに思われた。
パン
陶器が破裂するような澄んだ音が響き、幻の政宗の白い肌にびしりと皹割れが走る。
ざ、と風が渡って、その姿がもろくも崩れる。
「!!」
頭上を見上げれば、赤黒い雲に覆われた空も割れて落ちて来る所だった。小十郎は刃も納めず取って返して、梵天丸の所へ急いだ。
見れば幼な子は現実の櫓門の前で踞っていて、その周囲を緑の濡れ羽色の鴉たちが取り囲んで飛び交っていた。
背後の景色が砕け、割れ落ちるのに追い立てられながら小十郎は奔った。
「梵天丸様!!」
恐るべき鴉の群れの中から、白い装束を纏った大柄な男がするりと身を滑り出させた所だった。その無骨な手が踞った幼な子を掬い上げる。
岩のようにごつごつした厳つい顔がこちらを振り向き、沈黙の闇色をした表情のない瞳が、小十郎のそれを射抜く。
「汝が!!」
叫び様、男の顔面へ必殺の突きを繰り出しつつ、男の手から片手で幼な子の体を奪い取った。
地面を削って制動を掛ける体が、櫓門の柱に突き当たって止まった。
左手の刀を返して振り向くと、既にそこには断崖絶壁も鴉も男も跡形もなく、消え失せていた。
ただ門前に焚かれた篝火だけが、パチパチと木の爆ぜる微かな音を立てて仄かな明かりを供している。
「―――――」
息を切らして小十郎は呆然と夜の郭を見つめていた。

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