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―記念文倉庫―

渡廊を足早に駆けて政宗の居室へと赴くと、彼は既に別の素破から報告を受けていたらしく、床の間に起き上がって地図を睨みつけていた。
「政宗様、この小十郎―――」
「奴らは烏合の衆だ、小十郎」
政宗は、続く小十郎の詫びの言葉をざっくり無視して言い放った。
「夜明けと同時に騎馬隊1000騎と後続の歩兵1000とで追うぞ。農民はともかく、素浪人と唯川に連なる者は皆生かしちゃおかねえ」
「政宗様」
「良直と成実の所の兵を今、整えさせている。お前も早く支度しろ」
ちらとも小十郎を見やる事もなく、政宗は言うだけ言って口を閉ざした。
「政宗様…」
「Hurry up!!」声高に叫ばれた。
後に続く沈黙が耳に痛い程だ。外に降る小雪の足音さえ、聞こえて来そうなくらい。
「早くしろって言ってんだよ!Speedが勝負だってのがわからねえのか?!」
「承知、いたしました…」
ぐったりした様子で小十郎は平伏する。そして駆けるように立ち去って行った。
その遠去かる足音、再び訪れる静寂。
片膝を立ててその上に腕をのせた姿のまま、政宗は身じろぎもしない。燭台の炎が揺れ、屋根の何処からか滑り落ちる薄雪の気配がした。
「Nonsense…」
何に対して吐かれたのか分からない痛罵を、青年はぼそりと口にした。
それを耳にする者はない。



それから四半刻もしないうちに、まだ真夜中にも関わらず城下町に住まう家臣らが城中に集まった。
大広間に整然と並び来った彼らは一様に渋い表情。もし唯川がこの地に攻めて来たら、泥沼の戦に成るだろう。
勝てない戦ではない。むしろ負ける事は先ずなしと言える。だが、腐っても城下の有様を良く見知った身内の反乱だ。彼らが攻め入って来る前に殲滅する必要がある。他の町が襲われるにしても、内乱など他国が付け入る隙を作る契機でしか成り得ない。
厄介な事をしてくれた、とどの顔にも書いてある。
最も責められるべきは、土地を売り払って出奔した唯川に何の処断も下さなかった政宗本人だった。声を荒げてあからさまに指弾する者はさすがにいなかったが、無言の圧力がすべてを物語っていた。
その政宗の隣にあって、小十郎は激しく己を責め立てた。
―――くそ…まさかこんな事になろうとは…。
政宗は自らに対する反発の気色を完璧に無視して、家臣らの兵力を近隣の守りに振り分ける指示を出して行った。



体を揺さぶられて、夢の中でいやいやをしながら梵天丸は眼を覚ました。
ぼんやりした視界に映るのは剃髪姿の僧侶、虎哉和尚だった。
「…なんだ、梵はねむい……」
「戦が起こりますよ」
「ん―――…?」
戦、と言う言葉の意味を理解するまで暫時。がば、と梵天丸は身を起こした。
「いくさっ!!」
「まあ、まず負ける事はありませんが」
「…なんだそれ」
負けないと分かっている戦だなんて、と唇を尖らす幼な子を苦笑まじりに見やって虎哉は続けて言った。
「領主になられた梵天丸様…政宗様の差配が見学できる良い機会ではありませんか。さ、起きて着いて来て下さい」
むー、と唸って、それでも隠しきれない好奇心がすっかり子供の眠気を吹き飛ばしたようだ。梵天丸は綿入れを退けて、もそもそと起き出した。



家臣団が集結する大広間。
政宗が腰掛ける床の間の後ろには隠し部屋があった。火急の事態が起こった時に、そこから領主が脱出する為のものだが、今は人知れず盗み聞きをするのに最適な場所だった。
虎哉は自分の唇に人差し指を当てて、壁の一部を音も立てずにそっとずらした。政宗の張りのある声が聞こえて来る。
「ここの留守は定石通り、鬼庭綱元に一任する。越後との国境は影山、最上、築地、遠野に。甲斐のそれには石川、古川、松前に。北の守りは蘆名、横山、石垣に命ずる。遠地の氏族には早馬を出している。―――何か質問は?」
「畏れながら、政宗様」
声が上がったのは、最前列に座した初老の男だ。
「何だ、佐内」
「唯川の寄親・姫島の処遇はいかがなされますか?」
政宗の肩眉がピクリと動いた。
「今はその話をしている暇はねえ…」
「ですが、唯川に謀反の意思があったなら、先ずは寄親である姫島が処断されるべきではないでしょうか?」
晴宗、輝宗に続けて仕えて来たこの佐内と言う男は臆せず政宗を詰りにかかった。
寄親と言うのは家臣団の中の序列である。序列とは言っても上下関係ではなく、文字通り親子のそれに近い。
寄親は寄子の諸領地や処遇を安堵してやり、その代わり寄子は戦などがあれば兵を率いて寄親の隊に参列する。故に佐内の言う事は至極もっともな話だった。
「奴の屋敷と所領にゃ、捕り手をやった。後の事は戦が終わってからだ」やけに低い声で政宗は言い放った。
「それでは皆が納得しますまい。責を問われるべきが放置で、我らにはただ兵を動かせとは」
「てめえの耳は飾りか」
ドスの効いた声が佐内の言葉を遮った。「己の身が可愛いんならとっとと兵を動かせ。この機に乗じて越後の軍神が乗り込んで来たら、てめえはどうすんだ?」
越後との国境は未だ雪に閉ざされるまでに至っていない。可能性として有り得る訳だ。
その事に思い至った家臣らは、ぼそぼそ隣同士とお喋りしていた口を噤んだ。

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あきゅろす。
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