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―記念文倉庫―

門松立てが終わり、手伝ってくれた者たちに酒を振る舞い終えると城中は何時もの静寂が戻った。遠く、神楽の笛太鼓が聞こえて来るぐらいだ。
猿楽一座は去ったが回り神楽の一行は城中に留まり、城郭の内に長屋を与えてある。それらが手慰みに楽器を掻き鳴らしているのだろう。
小十郎は最終的な政務の書を眺めていた。
傍らには、独楽や羽根などで一人遊びをする梵天丸の姿がある。そこへ、徒士の一人が駆け付けて来た。
「片倉様、…急ぎおいでになって下さいますでしょうか?原田様が」
息を切らしながら、昂る感情を押さえ付けて吐かれた台詞に小十郎は視線を上げた。それに、出て来た名だ。
「佐馬助が、どうした?」
「とにかく二の丸櫓門へ」
「………」
刹那、梵天丸を置いて行こうかと迷った。虎哉の忠告もある。どんな場面であれ余人に任せるより己の手元に置いた方が安全だと、直ぐに思い直した。
床に寝そべって倒れた独楽を何度も回している身体を両手で掬い上げて、小十郎は執務室を出た。

徒士に案内されて、櫓門の詰め所に入った小十郎は、血の匂いに顔を顰めた。
狭い詰め所には門衛などが集まっていて、手早く治療の采配が成されている。戦国の武将ならではで怪我を負った時の緊急処置を心得ていて、血止めや湧かした湯、それに晒しなどの用意に余念がない。
場の中央にいたのは政宗と綱元で、その二人の間に佐馬助は横たわっていた。彼は二の腕から胸に掛けて横殴りに斬られているようだ。
しゃがんだ政宗が左目をじろりと上げて、梵天丸を抱えた小十郎を見やった。
「おいでなすったぜ」
そう彼が言えば、小十郎に背を向けていた綱元がこちらを振り返る。
「気を失う寸前、こう申していた」
「…何と?」
「阿修羅にやられた、と」
「阿修羅?…仏法の守護者である、あの阿修羅ですか?」
「暗殺集団ってのは坊主って事だろ。正義と称して殺生を屁とも思わねえ血の気の多い奴らが多いしな」
政宗が呟き終わった所で、医者がやって来た。
治療の為に場を退き、門衛と共に詰め所を出た。二の丸櫓門で常時見張りに立っていたその男が、血まみれで倒れていた佐馬助の発見者だ。
「原田様はお城からこの櫓門を通って城下に出て行くおつもりのようでございました。某にお声を掛けて下さって、一礼してお見送りしたのです。…それから一寸の間も経ぬうちに、玉砂利が踏み鳴らされる激しい音が致しまして、見張り場を離れて様子を見に参りますと―――」
「佐馬助が倒れていた」
「その通りにございます」
城中に玉砂利を敷くのは、気配を忍ぶ者に忍ばせない為だ。踏めば必ず音がする。ましてや刃傷沙汰にでもなれば、直ぐにすれと分かる。
「立ち去る人影などは見なかったのか?」
小十郎はその年若い門衛にそう尋ねた。
「視界の及ぶ限りは、柴垣の向こうにも、切通しのこちらにも…」
門衛の言葉に政宗はふーんと呟いた。
袖の中で腕を組んでいた両手を降ろし、何事かを考え込んで頭を掻く。
「今更遅いかも知れねえが、城門を全て閉ざせ」
領主の意図する所を汲んで、小十郎はその門衛と使いの徒士を2名、走らせた。
「既に城中に忍び込まれておりましたか…」
苦々しく呟いたのは綱元だ。だが、それには政宗は不適に笑んで見せた。そして唯一の左目をぎらつかせる。
「却って好都合じゃねえか。まだ城ン中うろちょろしてやがるようなら、炙り出してくれる。小十郎、綱元、お前らに帯刀を許す」
今を非常事態と踏んで、普段城へ上がる者は武者控えの間で腰に帯びた大小を預け置くが、政宗はそれを名指しで許可する。
「それと成実、良直、文七郎、孫兵衛もだ。それぞれ二人、近侍なり徒士なり選んでそいつらにも帯刀させろ。曲者を捜し出せ」
綱元は命を受けてその場を立ち去った。
政宗に呼び止められた小十郎は、歩き出した主の後を追ってゆっくり歩を進める。
「小十郎、ガキ連れだからって遅れを取るなよ」
「ご懸念には及びません。―――しかし」
「…何だ?」
「その曲者、佐馬助が言い置いた阿修羅と言うのが気になります…」
「魔王、なんてものがいるくれえだからな、もしかしたらホントに三面六臂の野郎が襲って来たのかも知れねえ…」
楽しそうに嘯く主を、小十郎は何とも言えない表情で見やった。
払われた郭の道に又ぞろ雪が降り注ぎ始める。
寒、と呟いて政宗は肩に引っ掛けた長衣の前を掻き寄せた。
又この方は薄着をして、しかも袷をだらしなく肌けているものだから中に丸首を着ていても、あまり意味を成していない。
ちら、と政宗が小十郎の腕の中の梵天丸を盗み見る。幼な子は何時の間にやら眠ってしまったようだ。自分の指を銜えて頬を男の肩に預けている。
「いい気なもんだぜ」そう嘯いて、小十郎の空いている方の腕を取って自分の肩に回した。
「…政宗様」
諌める風の小十郎の声に、じろりと睨んでやる。
「黙れ」
短く遮られて、小十郎もそれ以上何も言えなくなる。
政宗は更に男の腕を引っ張って、自分の懐の中に入れた。懐手をしていた右手でその手に指を絡める。自然、背中は男の脇にぴったりと密着し、少し歩きずらくなったがそんな事はどうでも良かった。
「あっつくなるコト、最近してねえ」
不意に言われた台詞に、小十郎は思わず顔に朱が登るのを感じた。
「だから、思いっきり暴れてやる」
「…政宗様」
「いいだろ別に、戦とアレは似てんだから」
「―――…」
頭までその胸元に預けられて、小十郎は返す言葉も失う。
と、不意に、右手に抱えた幼な子が身じろぎした。そうかと思えばいきなり身を伸び上がらせ腕を伸ばすと、政宗の髪を鷲掴んだではないか。
「Ouch!!」
叫んだ政宗が身を強張らせる。
体を引きたくとも引けない、子供の手首を掴んで引き剥がそうとするが、涎でベト付いた手指に髪が纏わり付いてなかなか離れなかった。さしもの政宗もお手上げと見え、言葉にならない呻き声の後に一言叫んだ。
「小十郎!!!」
泣きそうな声に呼ばれて小十郎もさすがにこれは、と思った。
「梵天丸様、その手をお放しなさい」少し厳しい声で小十郎に言い放たれると、梵天丸は渋々と言った風にぐーにしていた掌をぱーにした。
そうしてから、両手で小十郎の首筋にしがみ着く。
いっつも政宗の側には小十郎がいて、こうして抱き寄せたりして狡い、と思った。梵の所には母・義姫の意向を畏れてろくな人間が寄り付かないのに。来ても録目当ての食い詰め人か、よぼよぼの爺婆ばかり。何て不公平なんだ、と憤ろしかった。自分はいずれ、あっちに戻らなければならないのだ。だったら今少しくらい小十郎を独占しても良いじゃないか―――。そう言った思いが言葉として結実せぬまま、小さな胸の中に溢れて来る。謂れのない我が侭だと言うのは薄々気付いている。
しかし、それでも尚。
すんすんと鼻を鳴らして顔を伏せる梵天丸を見やって、小十郎はそれ以上の小言を飲み込んだ。
年上の主を見ると、眼を怒らせていたのが冷んやりと醒め、怒鳴るのも馬鹿馬鹿しくなったとばかりに足早に立ち去ってしまった。
―――未だに、幼かった心を殺めていらっしゃるのだろうか。
寒さに猫背気味に丸めたその後ろ姿を見送りながら、小十郎は思う。
大人になる事は大なり小なり似たような行為を繰り返すものだが、政宗のそれは苛烈に過ぎる。
それも又、伊達家を背負って立つ立場に生まれた以上やんぬるかな…。物思いに耽りそうになった所で我に返る。今は城中に残っているかも知れぬ曲者を狩るのが先決だ。
小十郎も歩を早めて城主の後を追った。

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あきゅろす。
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