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―記念文倉庫―

泣く子を慰める訳でもなかったが、城内三の丸の郭では地方で巡業している回り神楽や猿楽一座が余興を催す事を許されていた。
この笛や太鼓の響きを耳にすると、年末年始に忙しさの中にも今年は終わるのだと言う感慨に浸る事が出来る。
梵天丸は泣き腫らした目元もそのままに小十郎の腕に抱っこされてそれをぼんやりと見つめていた。
獅子頭を持って舞うのは回り神楽の前触れだ。各郷を回って民家を訪い家内安全、無病息災を祈願して神楽を舞う彼らは、こうしてここ米沢の城下を巡りながら領主の許しを得て城にも上がった。平和と安寧の象徴であるかのように些か錯覚するが、厳しい時代だからこそこうした祝福を人々は喜んだのだ。
負けじと猿楽一座が披露するのは、滑稽舞いや奇術の類い。現代で言う所のジャグリングや猿回し、田植え舞い、人形使いなどと次々と人を変え品を変え、見る者に笑いや驚きを供してくれる。
年始になれば、遥々都から下って来た能楽師が大広間での賀礼の席で年の始まりを言祝ぐことになっている。
政宗も小十郎の傍らに立ってこれを見ていたが、他の者たちの中で彼がここの城主だと気付いた者はいない。
その左目がちらちらと梵天丸に注がれるのは、幼な子が物欲しそうに自分の親指をしゃぶっていたからだ。
「みっともねえから、やめろ」
そう言って払い落としたのだが直ぐに元に戻ってしまう。
「イラ」と言うか「カッ」と言うか。ともかくこれが自分の15年前の姿かと思うと我慢ならず、払っては戻り、戻っては払うと言うような事を幾度か繰り返した。
「!」
灼け付く様な視線に気付いた政宗は、小十郎が戦場で敵に見せるような形相で睨んで来るのに言葉を失う。
ちっ、と言う舌打ち一つ残して、政宗は情けない気持ちを覆い隠しつつ立ち去った。
それを、小十郎は眉を八の字にして見送って溜め息一つ。自分の腕の中の梵天丸をこっそり見やれば、幼な子は心ここにあらずと言った体だ。
多分、虎哉の茶器を割ったのは母の言葉の後で癇癪を起こしたのだろう。誰が幼な子を責められようか。
「―――かたく〜…」
背後から陰気な声で呼ばれて、小十郎は我に返った。
振り向くと、城内の見物人を掻き退けて伊達成実が歩み寄って来る所だった。その後からぞろぞろと何時もの面子、良直・佐馬助・文七郎・孫兵衛が着いて来る。
「…何やってんだお前ら、城下でケンカでもして来たのか?」
居並んだ面々が顔や腕に塗り薬や貼り薬を付けているのを見て、呆れた声を小十郎は上げた。
一番非道いのは成実で、猫にでも引っ掻かれたように右目の上から頬まで見事に三本の赤い線をくっつけている。
「違ぁーーーう!!」叫んで、そのせいで傷口が開いてしまった成実がいてててて、と呻く。
「まさむ…筆頭だよ、筆頭!出会い頭とか後ろからとか、あの戦の身ごなしで俺たち襲われたんだよ!!」
「………は?」
「わかってないんすか、片倉様?!マジで???」
情けない声を張り上げて詰め寄って来る良直を小十郎は何となく避けた。その良直は左目の瞼を真っ青に腫らしている。ちょっとグロテスク過ぎる。
「かたくーがその子ばっかり構うからだろ!筆頭はああ見えてかなりの構ってチャンなんだからな、それ放っとかれて俺たちにそのツケが回ってんだよ!!」
「頼んますから、もう少し筆頭を構っちゃくれませんか片倉様…!」
「お願いしますよ〜、俺たちおちおち城中も歩けやしねえっす!!」
「お願いしまっす!」
「片倉様!お願いします!!!」
―――俺は政宗様のお守りか…いやまあ、確かにそうなんだが。
来年幾つだあの方は…と痛くなる頭で数えてみても始まらない。喚く大の男たちを不思議そうに眺める梵天丸をチラと見やってから、小十郎は応えた。
「わかった…わかったからみっともなく騒ぐな…。政宗様には後でお話し申し上げる…」
「あっ!!俺たちがチクったってのは言うなよ、かたくー!!」
ギロリ
こめかみに血管を浮かせた男に一瞥されて成実は息を呑んだ。
「お、お願いしま〜す…」
声を震わせ後退りつつ言う台詞かそれは、そう思う端で成実たちはだっとばかりに見物人たちの中に飛び込んでいた。

それでも、昼間の内は片付けなければならない政務が政宗にも小十郎にも有り余る程あって、ゆっくり話す隙もなかった。自然、忙しく立ち回る小十郎の後ろにぴったりくっついた梵天丸が何処にでも姿を現したので、城中の者たちには影でこっそり「子連れ小十郎」などと渾名されていたのを本人は知らない。
明日は大晦日、今日中に殆どの目処をつけた後でゆっくり話す為にも必死で仕事を片付けた。

そして夜、侍女に梵天丸を任せ夕餉や風呂に行かせてしまってから、小十郎は政宗の居室を訪れた。
床の間で一人将棋を指していたらしい領主は、膝の間に火桶を抱えたままうつらうつらと居眠りに余念がない。それが、廂間から掛けられた小十郎の声に我に返る。
返事はしない。
「―――政宗様?」
問い掛けるようにして重ねて呼ばれるのへ「んだよ」とつい不貞腐れた声音で返してしまう。
「失礼致します、少々お時間宜しいか?」
「だから、何だよ」
控え目な挙措で自分の傍らに腰を下ろした小十郎を見ようともせず、政宗は不機嫌そうに応えた。
「…とりあえず、火桶を抱えたまま居眠りと言うのは…」
ガリッ
何の音かと見下ろした政宗の手の中で、将棋の駒が砕けて床に溢れた。樫や檜など決して柔くはない堅強な木材で作られた筈のそれが、焼き菓子のように粉々になってしまった。
「―――未だ、不安なのでございますか?」
「Ah?何の事だ」
「領主として…いえ、この小十郎の唯一無二の主として」
「………」
「嫉妬と言うのは己に自信がなかったり、他を羨んだりする心が起こす病のようなものだと存じます。政宗様はお小さかった頃に戻りたいと思し召しか?」
「…小十郎、手前…それ以上言ったら…」
「いいえ、今度は言わせて頂きます。何故それ程までに梵天丸様を拒絶なさるのでしょうか?小十郎には理解出来ません。どちら様も間違う事なき輝宗様の御子であり、この伊達家と奥州を背負って立つお方に相違ありません…」
ガッ
と、将棋の駒を握り潰した手が小十郎の襟首を引っ掴んだ。
「……あのガキは違う―――」
男の目を覗き込みながら、政宗は表情の消えた声でそう呟いた。
「あいつはあのままじゃ領主になんかなれやしねえ…例え親父やお前の後ろ盾があったとしても遠からず折れちまう…、その程度のちっぽけな弱虫だ…」
「………」
「俺はあのガキを殺してやったんだよ」
昏い、昏い瞳。
唯一のそれにめらりと燃え上がるあれは何だったか、小十郎は息を呑んだまま魅せられたようにその左目から目を離せなくなった。
「泣いて、甘ったれて、誰かが手を伸ばしてくれる。そう期待して又裏切られて泣いて―――。そんな事ばっか繰り返していた奴を、俺は殺して殺して殺しまくった…」
「ま…さ―――…」
「―――」
ぽた、た、
と、小十郎の頬に温かいものが滴って直ぐに冷たくなった。
「政宗様…」
「…お前、もうちょっと早く俺の前に現れろよ…」
掠れた声は、引き寄せた小十郎の襟元辺りに落ちた。
もし、あの年頃で小十郎に出会っていたなら―――。しても仕方のない事に思いを馳せてしまう。現実には病を得てその数年後、幼な子の心を殺し尽くした政宗の前に小十郎はやって来たのだ。

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