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―記念文倉庫―

視界のほとんどを塞ぐ程の書類を抱えて、簀の子を小走りに渡る。
年末年始を間近に控えて、城中は火が点いたような忙しさだった。城で使用された衣食住諸々のツケを支払う決済処理を筆頭に、年始に向けて町人や商人から上がって来る上納品の整理、更に正月からおよそ十日間に渡って続けられる家臣らの賀礼の準備もある。大晦日には近隣の民百姓らがこぞって城門前に門松を立てるその差配も。
正に、目が回る忙しさとはこの事だった。
小十郎が抱えた書類も、この半日でそれぞれの家老や老中から上げられて来たものであり、今日中に決済しなければならない。
そうしながら次に行うあれこれを考えていた小十郎は、狭い視界の隅っこをちっこいものが横切ったのに思わず足を滑らせた。
「………っ?!」
危うく書類を廊下にぶちまける事だけは逃れたが、滑った足を踏ん張ったその姿勢のままで小十郎は固まった。
とたたたたっ
軽い足音を立てて座敷の向こうを駆けて行くのは、見間違う事なき梵天丸その人だった。
「待ちやがれっ!この…っ、ちょこまかと!!」
後に続く罵声に、小十郎の胃がキリキリと痛む。
「そなたがおうのをやめればよかろう!おうから逃げるのだ!!」
やはり似た者同士と言うのだろうか、負けじと言い返す幼な子はぷっくりした頬を真っ赤にしてすばしこく追っ手から逃げ回った。
書院を舞台に繰り広げられる鬼ごっこ。
逃げる梵天丸が、行く先に立ち尽くす小十郎を見つけてまっしぐらに駆けて来る。
「おい小十郎、そのガキ捕まえとけ!!」
怒鳴りつつ般若の形相で幼な子の後から駆け寄る主を、小十郎はじっとりと睨めつけた。
先に小十郎の元へ駆けつけた梵天丸は小十郎の後ろ袴に取り縋って隠れた。小十郎の目の前に後から追い縋って来た政宗がそれへと腕を伸ばすが、上手い具合に小十郎を盾にして逃れえる。
「…っの!何しに来やがった、このクソガキ!!!!」
と政宗が吠えれば、
「政宗が小十郎をこまらせてないか、様子をみにまいった!!」
と梵天丸が言い返す。
顔面を真っ赤にして言葉を呑み込んだ政宗。フェイントを駆使してようやく子供の着物を引っ掴んで摘まみ上げた。
「へっ、チビが!俺様に適うと思ってんのか!!」
「ひとをノラ猫みたいにつかみあげるとは何事か!はなせ!!!」
ぎゃあぎゃあ言い合う二人の主を前に、男は低く呻いた。
「お二人方、いい加減にしねえと後で痛い目見ますぜ…?」
「………」
「………」
ぴたり、と二人は鳴き止んだ。
書類の山の向こうから危険なオーラを立てて二人を睨む小十郎の前に一気にしゅんとなって、政宗はそろそろと梵天丸を降ろした。すると、梵天丸はだっとばかりに小十郎の袴の後ろに回って姿を隠してしまう。
上目遣いにこちらの様子を窺う政宗を見やって、小十郎は溜め息を吐いた。
「お小さい子供に何をなされる、政宗様…」
「…っ!俺が俺をどうしようと俺の勝手だろっ!!!!!」
泣きそうな表情から一転、怒気も露わに言い放つ政宗、その台詞の余りの奇妙奇天烈さに一瞬くらり、と来た。

城の政宗の居室に、寺から虎哉が呼ばれた。
時を越えて幼き日の政宗・梵天丸がやって来るなどと言う珍事は、この怪僧たる虎哉の入れ知恵があったればこそだ。それも一度ならず二度までも、と責を問われにやって来た年齢不詳の僧侶は、おやおやと呟いてにっこり笑った。
「梵天丸様におかれましてはご機嫌麗しく」穏やかにそう挨拶を送る男を、政宗は本当に厭そうに横目で眺めた。
だが、幼な子は小十郎の着物の袂を引き寄せて、その影に隠れてしまった。大人たちが訝しげに顔を寄せ合う中、政宗だけはピンと来た。
「Ha-ha, 手前…虎哉に何かしたな?」
びくり、と幼な子が身体を震わせたのが小十郎にも掴まれた着物を伝ってありありとわかった。
身体を捻って背後の子供の目を覗き込むと「梵天丸様…何をなさったのですか?正直に仰って下さい」と、優しく問うた。
「………」
「怒らないから」
更に、宥めるように問いを重ねる。すると、彼の着物の端から不安げな目だけを覗かせて梵天丸はおずおずと口を開いた。
「その、なんだ…虎哉が寺によういしておった、ちっちゃいちゃわん、がな…」
そこまでで虎哉の気配がふい、と変わった。
「梵…天…丸…様―――?」
殊更ゆっくりと、優しく男は小さな主を呼んだ。
目を見開いた梵天丸は、慌てて頭から手にした布切れを被った。
「私が正月の茶席の為に境から取り寄せた藤波輝市…あれがある朝粉々になっていた15年前の年の瀬…ええ、はっきり覚えていますとも。輝宗様にお茶をお点てしようと楽しみにしておりました茶会にも欠席して、どれ程がっかりした事か―――」
穏やかな笑顔そのまま、男はまるで地獄の六道から吹き上げて来る怨嗟の呻きにも似た台詞を延々と言い放つ。
それに恐れを成したのは梵天丸だけではなかった。政宗も小十郎も、思わず腰を浮かせて退路を探した程だ。
「ちょっと来て下さるか…」
そう告げて手を伸ばした先にいたのは、政宗の方だった。
「俺?!何で俺…?!」
「それは勿論、年長者が責任を取るべきでしょう、この場合」
「んなっ!!!!!」
がっしと政宗の腕を掴んだ虎哉は、思い切り良い笑顔でこう告げた。
「久し振りに"おしおき"して差し上げますよ、政宗様…ふふふふふ」
断末魔の叫びを上げながら、哀れ米沢城城主は一人の怪僧に引き摺られるようにして出て行ってしまった。

「………」
「………」
騒ぎが完全に消えるまで、梵天丸と小十郎はそちらへ首を伸ばしていた。やがて、小さな掌が掴んでいた布地が持ち上がって、腰と腹に大きな手が宛てがわれると幼な子の身体は小十郎の前にちょこんと置かれた。
「…小十郎も梵をしかるのか…?」
"おしおき"とやらの痛みを思い出しているのか、梵天丸は顔をくしゃくしゃに顰めて小十郎を見上げている。そんな顔をされては何と言って良いのやら。小十郎は微かに笑んで首を振った。
「まあ、あれは自業自得と言う奴でしょう」
どう言う事なのか分からぬ梵天丸は細い首を傾けるばかりだ。
「それより」と改まった口調で小十郎は言葉を継いだ。
「本当は何があったのです?」
「―――…」
深い所に染み入る声音で尋ねられ、梵天丸は忘れていた事を思い出した。

つい先日、家臣らを前に父・輝宗と母・義姫、それに梵天丸と弟の小次郎が集まると言う珍しい事があった。
その場で母は言ったのだ。
「病弱な梵天丸では心許ない、そなたらもそうであろう?」
暗に小次郎を次の頭首に、と進める言質だった。輝宗は苦い表情で政にそのように口を出すなと言い差したが、家臣らの無表情がそれを肯定していた。
その場では訳の分からぬ子供の振りをしていたが、そして実際小次郎には何の事やら分かっていなかったようだが、梵天丸はどす黒い不安と共にその言葉の意味を正しく汲み取っていた。

それで泣くのを堪えているつもりなのか、唇を噛み締めつつボロボロと涙を流し途切れ途切れに話す幼な子を小十郎は言葉もなく見守っていた。
「…梵は、いらない子なのだ」
最後にそう言って怒ったようにむっつりと黙り込んだ梵天丸は、膝に乗った小十郎の袖をぐいと引っ張った。伸ばされる腕に自分から飛び込んでその胸にぎう、と抱きつく。
病弱、とは言っても後に政宗から伺った話では、度々母より送られて来た菓子詰めや、叔父の最上義光の病床へ見舞いに行った折りの食事などの後に体調を崩している所から、軽くはあるが毒を盛られていた可能性がある。
小十郎は、何を言う事も出来ずに幼な子の小さな身体を抱き締めていた。

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