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―記念文倉庫―

野上が間違いなく徹に渡した本の中に名刺を入れた、その事は最初に会った時の反応からして明らかだ。しかし、その理由となるとさっぱり思いつかず、徹はお手上げのまま放ったらかした。
今はただ、大好きなアメフトの試合をライブで見られた事に感謝して礼がしたかった。
名刺の件はそのうち野上から言って来るかも知れないし、言って来ないかも―――知れないが。

折しも世間はクリスマス・シーズンに突入してギフト商品には事欠かなかった。多分、クリスマス・イヴには野上は友人か恋人と過ごすんだろうと踏んだ徹はその前日、12月23日の街へ出て生まれて初めて花屋で観葉植物を買った。
その日、野上が自宅で執筆している事は前もってそれとなく聞き出していたので浮かれた気分で電車に乗る。
贈り物はこれまでにもしたり、されたりして来た。家族、友人、彼女。だがそれは予定調和のようで、あらかじめお互い分かり切っていた事だった。
相手が思いも寄らない時に、思いもしない自分からプレゼントされる、その事がこんなにも心を躍らせるものだとは今まで知らなかった。
電車を降りて野上のマンションに向かう。
ネットの地図で道順を調べた時に野上のマンションを見ていたが、現物の目の前に立った徹はあんぐりと口を開けて固まった。
シーサイドビューが売りのそれは超が付くぐらいの高級マンションだ。徹は印税の偉大さを初めて思い知った。
マンションのフロントに管理人が常駐しているのにもビビった。中庭には公園まであって、そこに暮らす幼い子供は遠くまで出掛ける必要がない。もしかして病院やら美容院まで入ってるんじゃないかと訝しんだが、さすがにそこまでは設えてなかった。
管理人の初老の男に、どうやって住人に来訪を知らせるのか尋ねた。傍らのインターホンで部屋番号を入力すれば呼び出してくれると教えられた。本当なら、扉の前でヤッホー!とやりたかったのだが、仕方ない。徹は野上の部屋番号を押して待った。
暫くして「どちら様ですか?」と言う彼の他所行きの声が聞こえた。徹は何時もの遊び心を起こしてこう応えた。
「あ、オレオレ、オレだけどさ―――」
マイクの向こうで相手が黙り込む気配がした。
駄目か、やっぱり受けなかった…と思って小っ恥ずかしくなった所へインターホン越しの男の声が低く響いた。
「本当に、面白いガキだ」と。

フロントから住居区へのオートロックが解除され、徹はその先のエレベーターに乗り込んだ。野上の部屋は40階とか言う非常識な所にあった。ちなみに、最上階だ。
玄関で仏頂面の野上に迎えられ部屋に入るなり、徹は言葉を失った。ついでに両手に抱えた観葉植物の存在も忘れた。
とにかく、広かった。
そしてその眺望だ。レインボーブリッジを含むその灰色の景色は全てを睥睨出来る高みに今自分はいるのだ、と言う事をつくづく思い知らせた。部屋の中自体に物が少ないせいで却って広く感じるのだと言うのもあった。
「いや〜、何ともはや…」
ぼけっと窓の外を眺めて、ただそう呟く。
後ろに男が立った気配に気付いてばっとばかりに振り向くと「いよっ!さすが超売れっ子先生!!」わざとらしく叫んでやった。
「バカ言ってねえで、座れや」
気付くと傍らのソファセットにコーヒーが二つ並んでいた。
余程長いこと我を忘れていたらしい。それからようやく手にした観葉植物を思い出して、ずいと差し出した。
「もろもろのお礼」
「モンステラか」
アメリカ熱帯地域が原産で、ハワイをイメージしたモチーフとして良く知られている。当然のように野上は一目でそれと気付いて片手で受け取った。
「何か、さあ」
徹は、牛革と思しきソファに腰を降ろしつつ呟いた。
「何だ」
「サプライズさせようと思ってたのに、逆に俺がサプライズさせられた」
気が抜けた、と言わんばかりにソファにふんぞり返る徹を見やって、野上は鉢植えを傍らに置いた。
「…俺は十分驚いたぞ」
「俺の驚きはその比じゃねえ!」
ソファの上で膝を抱えて不貞腐れる様子はまるで子供だ。
その片目が不意に向かいに腰を降ろした男を見やって、表情を変えた。
「もしかして、仕事煮詰まってる?」
何時も街中で会う時の野上の様子と違うのに気付いて、徹が小さくそう尋ねると男は自嘲の笑みを浮かべた。
「そう言う仕事なんでな」
「この間、本出したばっかじゃん。また書いてんのかよ」
「何本か連載があるからな」
野上は言って、コーヒーカップを持ち上げた。
へー、と徹は呟いて「俺、帰った方が良いみたい」と言った。
大きな窓の外を眺めながら。
野上はその横顔を見つめた。
見られている事を知りながら、徹はただ外を眺めた。
お世辞にも奇麗とは言い難い東京湾岸の街だ。人や車の巻き起こす粉塵で灰色に濁っている。雨が降ったら多少は奇麗に洗い流してくれるんだろうなと思いつつ、つい憮然としてしまう。
何でだろう、何でこんなに苛々するんだ?
徹は自分の心の動きに戸惑っていた。うきうきと馬鹿みたいにやって来て、こんな高級マンションの住人に安物のモンステラをプレゼントした自分がいかにも愚かな道化のようだった。
暇な学生の自分と違って、祝日にも関わらず野上は仕事に追われている。その違いにも何か、―――何かに急き立てられた。
そんな徹からふと目をそらした野上が言った。
「ゆっくりしていけ。ここに俺以外の人間がいるのは久々だ―――お前に用事がないなら」
少しずつ、時が撓んで行くような気がした。
「何だよ、こんな広いのに友達とか家族とか、呼んだりしねえの?イヴはパーティとかすんだろ、彼女とかと」
「…そんなもん、いねえよ」
「良く言うぜ、モテモテのくせに。それとも特定の女は作らない主義か」
「―――何でそんな事を言う」
「別に」
撓んだ時は、ゆっくりと円を描いて行く。それはある種の緊張を孕み、微かに震えていた。
「あの、さ」
「何だ」
「本に名刺挟むの、何時もやってんの?」
「―――いや」
応えた男の声は微かに掠れていた。
「ああやって、気になった女の子引っ掛けてんじゃねえの?」
「違う…」
「ああ…そっちじゃなくて、俺みたいな男の方」
「そうじゃねえ…!!」
空気を震わせて思ったよりも大きな声が部屋の中に響いて、消えた。
まだ明るい昼下がりだと言うのに、閉じられた時間の中では息苦しい程の沈黙が降りていた。
徹は立てた膝の上に顔を伏せた。
「…ごめん、あんたそんな奴じゃねえよな」
男を侮辱する暴言だった。冗談でもあんな事言うべきじゃなかった、と激しい後悔が渦巻く。
でも、やっぱり気になるのだ。
何故?その答が欲しかった。だから言葉を続けずにはいられなかった。
「…でも、どう考えたっておかしいだろ。何なんだよ、あの名刺。俺はたまたまあんたのサイン会に紛れ込んだだけだ。あんたは俺の事何にも知らないクセに、俺に向かって連絡寄越せって言ったのと同じじゃん。どうしてだよ、ああやってしょっちゅう誰かを誘ってるんだって考えちまうのだって仕方ないだろ…」
情けない台詞が次から次へと溢れ出す。自分はこんなに女々しかったろうかと、思わず唇を噛んだ。
「お前は俺をそう言う目で見ていたのか…」
伏せた耳に忍び込んで来た男の声は、何故か哀しそうだった。
「そして、それを承知で俺の誘いに乗った」
―――違う。
その一言が出て来なかった。
男は先程徹がしでかした事の仕返しとばかりに言葉を継いだ。
ふ、と空気が動いて髪の揺れる気配に顔を上げると、目の前に野上がいた。その両手をソファの背凭れに突き、片膝を徹の腰の近くにぐいと沈める。
「…遊びなら、俺に付き合うか?」
やけに低めた声が、何かを締め上げるように囁いた。
徹は動けなかった、返事も出来ない。
「応えろ―――」
男の口が耳元へ寄せられ、吐息と共に物騒な台詞を吹き込んで来る。
訳の分からない焦燥が徹を掻き立てた。何か言わなくてはと思い、だが何も口を突いて出て来なかった。
ただ、何か言おうとして必死に唇だけが動く。
もどかしい。
何かがそこには確実にあるのに自分には見えていないのだ。酷くもどかしくて、何故だか泣けて来た。
ことん、と頭を傾けると男の肩に額が乗った。
それを了承の意と受け取った野上は、青年の顎を掴み上げてその唇に噛み付いた。
何時だったか、何人目かの彼女が言っていた事を徹は思い出していた。
「キスの仕方で思いの深さが分かるのよ、巧い下手とか関係なく」
その時は女ってのはロマンティックな事言うもんだな、ぐらいにしか思わなかったが今なら分かる気がした。

野上のそれは、真っ暗闇の深い深い淵の底から止め処なく溢れ出して来るものだった。

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